みなさまからのメッセージ

ご支援者インタビュー

立命館学園は、校友(卒業生)、企業、父母はじめ多方面の方々からご支援を得て運営しています。このページでは、学園の教育・研究充実のために、ご支援くださっている方々をご紹介します。

第1回


石田 喜久雄 氏

石田 喜久雄

1952年 法学部卒業  
第1回は、石田 喜久雄様、妙子様ご夫妻にお話を伺ってきました。

立命館入学にまつわるエピソード

立命館に入学された理由はなぜでしょうか。

石田(敬称略) 私の家族は六人兄弟で経済的に余裕があったわけでもなく、国公立ならまだしも私学に通うことは無理だと思い、進学はあきらめていました。卒業後は、そのまま就職しようと考えていましたが、どうしても勉学を続けたいという想いが強く、父親に相談しました。すると、「夜間の大学でも良ければ行けばいい。入学金だけは出す」と認めてもらえ、立命館に入学することができました。その後、1952年に1部法学部に転部しました。

学生生活はどんな風に過ごされましたか。

石田 当時は苦学生が多かったので、みんなアルバイトと講義で大忙しでした。教科書を買うのも大変な状況でしたが、欲しいものはどうにかして買いました。読み終わった教科書は古本屋へ売って、そのお金で新しい教科書を買うといった感じでした。そのため、学生時代に購入した本は、残念ながら一冊も残っていません。

遊ぶところもお金もありませんでしたので、図書館で勉強して過ごしたり、広小路キャンパスの隣にあった京都御所で談笑したりの生活でした。たまにいく映画館が唯一の娯楽だった気がします。

学生生活にまつわるエピソード

学生生活で印象に残ったエピソードを教えてください。

石田 法学部に入学して一番の思い出は、末川博総長と出会えたことです。ある日、京都御所で友人達と談笑していると末川総長が秘書の方とお見えになりました。驚いて立ち上がろうとしたら、「座ったままでいいよ」と言われ、そのまま半時あまり雑談しました。当時、学生の間で懐疑的に捉えられていた先生の話をすると、「その先生は日本でも超一流の学者であり、批判する前にまずは相手の主張をしっかりと勉強してみなさい」とアドバイスいただきました。末川総長と話をしていると、物事には色んな捉え方ができること、俯瞰的に考えるためには勉強することが非常に大切だということを学びました。そんな真面目な話から家庭内での奥様とのエピソードまで、幅広い話をしてくれました。入学式の挨拶で末川総長を初めてお見かけして以来の対面でしたが、勉強する大切さを知り、今まで以上に勉強するようになりました。

これ以外にも末川総長との思い出といえば、卒業式です。「未来を信じ未来に生きる」という言葉を基に様々な話をしてくださり、今でも鮮明に覚えています。末川総長の存在は私にとって、とても大きく、学生時代に末川総長から貰った色紙は今も大切に飾っています。

末川総長は学生達に気軽に話しかけてくださる方でしたのでしょうか?

石田 私が知る限りとても気さくな方でした。京都御所でお会いした時も、背広を下にひかれて自分達の横に末川総長も座って、話してくれました。卒業して10年経った頃だったでしょうか、同窓会にお誘いしたら、快くご出席くださり、得意のドイツ語でドイツ民謡をご披露されました。私たちには意味は分かりませんで したが(笑)。ユーモアもある方でした。
そんな方でしたから講義は大人気でした。なんといっても名調子。原稿はもちろんありません。それでも、途切れることもなく、滔々たるものでした。民法特殊講義を受けていましたが、広小路の203教室という大教室にもかかわらず、席の取り合いでした。当時は亀岡に住んでおりましたので、朝10時からの講義を聴くのに、7時頃の汽車に乗り、8時半頃には席についていました。それでも多くの学生がいたほどです。

ご卒業後の母校にまつわるエピソード

ご卒業後はどのようなお仕事に就かれていらっしゃったのでしょうか。

石田 京都府の亀岡で中学校の教師をしておりました。定年までの38年間、あちこちに異動しましたが、どうにか勤め上げることができました。初めての勤務は、とても小さい学校でしたから、担当の社会科以外にも、英語・数学・国語など9教科のうち半分くらいは担当しなければならず、一つ一つ私も日々勉強しながら教え ていたのを憶えています。その頃の教え子も、一番上はもう70歳を過ぎていますが、毎年同窓会を開催してくれます。それが一番の楽しみであり、教師冥利に尽きます。教え子のなかには、立命館大学に勤務した者もおり、自分の母校を支える人材を輩出できるなんて、教師になって良かったと思っています。

卒業後も立命館との繋がりや訪問する機会はありましたか?

石田 末川総長が始められた土曜講座を学生の頃から受講しており、今でも毎週楽しみにしています。白川静先生のお話ももちろん伺いました。字通・字統・字訓の三部作も持っています。

奥様 退職してから、一緒に連れて行かれたのが土曜講座でした。時々のテーマを学べることが魅力です。また、講座に行く日は学食で昼食をとることにしているので、学生たちに交じって食事ができることも嬉しく、今では毎週土曜日が何よりの楽しみになっています。

ご支援にかける想い

立命館にご支援くださったきっかけや想いを教えてください。

石田 末川総長が「人生三分論」という話をよくおっしゃいました。人生を75歳までだと考えると25年ずつの3つの時期に分けることができ、25歳までは親や社会のお世話になる期間であり、50歳までは社会に尽くす期間であり、75歳までは己の好きなことをして過ごす自適の期間であるという話でした。「己の好きなことを過ごすといっても、最後まで社会にお返しするのが人間だ」と語る末川総長の考えに、私も同感でした。だから、せめてその真似事だけでもできたらと思いました。そういった気持ちから、国際平和ミュージアムの改修や立命館アジア太平洋大学の正門寄付など、僅かばかりですが、これまでも支援を続けてきました。また、土曜講座に行けば、大学で書籍を購入し、食事もするなど、少しでも母校にお返しできるようなことをしたいと思って日々生活していました。

奥様 そんな時、東日本大震災が発生しました。土曜講座では、毎回貴重なお話を聞かせていただくうえに、たくさんの資料をくださり、私もいつも感謝の気持ちでいっぱいでした。いつの日かこのご恩に報いたいと常々思っておりましたので、「お父さん、私たちもちょっとでもいいから行動に移そうよ」と話し合い、今回、新たに支援させていただくことにしました。

今の学生(後輩達)にメッセージをお願いします。

石田 自分達の頃と比べると非常にスマートになって、勉強ができる印象があります。その素晴らしい点を活かしつつ、より一層、積極的で行動的な立命館らしさをもっと前面に出してもよいのではないかと思います。私にとって、立命館への進学は人生の大きなターニングポイントとなりました。お陰で80歳を超えた今でも、母校が大好きですし、母校にお世話になっています。そういう風に考えられる自分は幸せだと思っています。学生のみなさんにも、卒業後そう思えるような学生生活を是非送ってもらいたいです。

(掲載日:2012年6月27日)

石田 喜久雄様のインタビューを終えて

ご卒業されて50年以上経過した現在でも、母校愛を持ち続けてくださっている石田様。土曜講座にお越しになれた際に、学生食堂でお食事を取りながら講座の内容について、ご夫婦にてお話されている姿を思い浮かべると、本学名称の由縁をまさに体現されている感じでした。
  「殀寿貳わず、身を修めて以て之れを俟つは、命を立つる所以なり」
これからも母校とのつながりを持ち続けていただき、いつかキャンパスで石田様と再会を果たす、という楽しみが一つ増えたインタビューとなりました。