教員紹介
経歴
京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。京都大学GCOE研究員、大谷大学文学部社会学科助教を経て現職。主な著書に『語られないものとしての朝鮮学校』(岩波書店)。
メッセージ
映像自体には本質的に何の意味もありません。映像は人間の見る行為によってようやく意味を持つことができるのです。結局人間こそが映像の出発点であり、また帰るべきところだと思います。人間は映像をみて解釈をしますが、その過程には必ず文化というフィルターが入ります。そこで人類学は映像と人間理解に有効な道具となるわけです。人類学は対象との絶えない対話であり、その中から物語と共感を導きます。私が長年エスニックマイノリティへの人類学研究を通じて学んだのも対象と共感することです。対象への共感なしで良い物語は生まれません。一緒に対象と共感できる実践について考えていきたいと思います。