中野 元太

2010年3月

中野 元太

京都大学防災研究所博士後期課程/ 日本学術振興会 特別研究員

あなたにとって、
「国際関係学部」はどんな存在ですか?
「妥協しないことを教えてくれた仲間がいる場所」でしょうか。基礎演習でのグループワークでは、一つのプレゼンテーションを作り上げるのに、とことん議論し、夜通し議論し、行き詰れば調べなおしてさらに議論し、「ここまでやるのか!」ということをポジティブに感じさせてくれました。授業後の仲間との会話でも、「今の授業の議論はこう解釈すべきだろうか?」、「いやいや、こうだろう」と恒心館のすぐ隣にあるベンチで話し出していたことを思い出します。
そんな妥協しない姿勢は、3回生の後半に大学のプログラムを通じてシアトルにあるワシントン大学に留学したとき、既に骨身に染みて身についていました。授業の中での積極的な議論への参加は当然のことながら、留学先の先生からドキュメンタリー映画を薦められればそれを見に行き、そこから考えたことを先生と議論しました。ちょうどリーマンショックのときでしたからシアトルの街で実際に起こっていたデモ等を見聞きしては議論しました。そうしたことを繰り返してきたことをよく覚えています。卒業して7年経ちますが、国際関係学部での4年間が妥協せず突き詰めて考えることを実践し始めたスタート地点であり、そうしたことを教えてくれた仲間に出会えた場所だと改めて思います。
あなたの「今」を国際関係学部で学んだことと
関連づけて語ってください。
大学を卒業して以降、青年海外協力隊として中米エルサルバドルで地域レベルでの防災に取り組み、その後はJICA専門家、東日本大震災後の被災地支援とフィールドでの経験を積んできました。大学院入学後も、インド、ネパール、メキシコ等で防災に関する研究活動を続けています。どの経験においても、国際関係学部での学際的な学びが、世界を、そしてフィールドを見る視点の基礎を提供してくれていると思います。例えば、今は主にメキシコ西部の街で津波防災教育の研究をしていますが、防災教育を効果的に、そして持続可能な形で普及させていくためには、防災教育を実際に行うことだけではなく、経済的な指標をどう読み取るか、制度や法的枠組みをどのように解釈するのか、宗教や文化は防災教育と融和的か、そうした非常にベーシックだけれども不可欠な知識、視座、姿勢が求められます。そのベーシックな部分を与えてくれたのが国際関係学部での法学や経済学といった基礎的な科目群から、ゼミでのより専門に特化した開発系の学習・研究でした。そうしたフィールドを見るスキルとも言えるものが国際関係学部での学びであり、現在のフィールドでの研究活動にもつながっています。
あなたの「越境」体験を教えてください。
多くの人にとって、大雨の際の警報や避難指示は受け取るものだと思います。けれども、それを発表する側に立たされた経験は、まさに「越境」と呼べるものでした。私が青年海外協力隊として赴任したのは、エルサルバドルのとある市役所の危機管理課。特に洪水リスクの高い地域で、在任中にエルサルバドルで史上最高の降水量を記録し、国家非常事態宣言が出るほどの洪水が発生しました。市役所の危機管理課長や国家防災局職員らと降水量や河川水位の確認をしながら、「土砂災害の恐れがあるから避難をさせなければ」、「この避難所には寝るスペースすらない」、「河川が決壊する可能性はどれくらいか」と次から次に起こる課題に、エルサルバドルという日本とは大きく異なる環境の中で人命にもかかわるギリギリの判断を取り続けなければなりませんでした。私の赴任先では人口の10%弱が避難所生活を余儀なくされ、市の4分の1ほどは浸水しましたが、幸いにも死者ゼロを達成しました。
もう一つの「越境」は、2015年ネパール大地震後の防災教育プロジェクトです。ネパールの教育は柔軟で創造的な思考を育てることよりも、ひたすら教科書を暗記させることに重きを置いています。しかし防災教育では、地震前の備えや地震時の対応は周辺環境や家の状況によって違うということを教えることが重要です。つまり、暗記して知識を得るということと同じくらい、柔軟に物事を考える力を育てることが求められます。普段は暗記をさせる授業を好むネパールの先生方に、柔軟な思考を育てる教育手法をプロジェクトを通じて伝えています。そして、ネパールの先生方が“生徒が考えること”に重きをおいた授業を設計し、授業を行うということが既に実践されつつあり、ネパールの先生方も生徒の反応の良さに驚いています。日本の教育手法が優れていると言っているのではありません。日本の教育手法を伝えながらも、ネパールの先生方がカスタマイズしてネパールの状況に合わせて実践しているからこそ価値があると思っています。日本とネパールの教育が防災を通じて「越境」した例ではないでしょうか。