QUESTION 顔も知らない親戚の借金を
自分が背負うの?

KEYWORD #民法

そうなる可能性は十分にあります(ここからは自分をA、親戚をB、お金を貸した側をCとして話を進めます)。
もちろん、Bが生きているのであれば、お金はBが返すべきですから、AがCの請求に応じる必要はありません。ところが、Bが死亡した場合には、一定の要件(日常用語でいえば「条件」のことです)をみたすと、AがBの相続人となることがあります(「法定相続」や「代襲相続」という言葉を調べてみてください)。
相続人ということになれば、「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」(民法896条)ので、Bの義務(Cに借金を返済する義務)も相続することになります。そうすると、AはBの借金を背負うことになってしまうのでしょうか。
実は、Aにもまだ助かる余地が残されています。Aが「相続を放棄する」、つまり「AがBの相続人でなくなる」という方法があるのです。民法915条では「相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない」と規定されています。「自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内」であれば、相続放棄が可能なわけです。
しかし、「自己のために相続の開始があったことを知った時」とはいったいどのタイミングを指すのかがはっきりしません。ですから、これをそのままこのケースに「適用」して問題を解決することは困難です。法律の条文は、いろいろなケースに対応できるようにするためにこのような抽象的・一般的な表現になっていることが多いので、その意味をより具体的なものにする必要が出てきます。これが「解釈」という作業です。結局、Aの運命はこの「解釈」にかかっているといえるでしょう。

ここまでのことから、次のことがわかってもらえるのではないかと思います。

第1に、法律は、必ずしもそこに事実を当てはめればすぐに問題を解決できるようなものになっているわけではないということです(その意味では、「問い」に対するはっきりとした「答え」が用意されているわけではありません)。そのため、法律の条文の文言(もんごん)の「解釈」がとても大事なものになってきます。「解釈」に当たっては、その条文が置かれている理由(制度趣旨)、その背後にある思想や考え方、現在の取引や生活などの実態といったさまざまなものを考慮して、論理的で説得力のある「解釈」を導き出す必要があります。法律科目の授業のほとんどは、こうしたことを考える点に重点が置かれています。法学(法律学)は「論理」とか「言葉」の学問と言われることがありますが、それはこうしたことによるものです。
第2に、法律を知らないことは、自分にとってのリスクになるということです。このケースでは、上に述べたような可能性を認識して、自分の親戚は誰なのか、自分は誰の相続人になる可能性があるのか、そしてその人の財産状況がどうなっているのか、ということをあらかじめ調べておけば、生じたリスクにも余裕をもって対応することができるはずです。つまり、法律を知れば、さまざまな予測可能性が生まれ、いま自分が何をしておくべきかが見えてきますので、それによって「より安心・安全なくらし」ができることにもつながることでしょう。

このように、「法律を学ぶ」ということの意味は、単に法律を知る、法律に詳しくなるということに尽きるものではありません。むしろ、それを通じて、論理的な思考力やそれを表現する力を養うこともできますし、ことばの使い方のセンスを磨くこともできるでしょう。もちろん、法学(法律学)の視点から、自分の身近にある問題から社会問題について、より深く考えてみることもできます。

こうしたさまざまな学びができる法学部で、みなさんもいっしょに学びませんか?