総長表彰のみなさん

Special Interview 藤原正典さん
総長表彰のみなさん
堀 祐士  さん
ほり ゆうじ/経済学部

学生ボランティアサークル「ブリッジ」2008年度代表。毎月第一土曜日に防犯パトロール、毎週土曜日朝にゴミ拾い、週に3回ほど盗難防止運動を行う。2007年に作成した「地域安全マップ」(防犯マップ)は、地域から高い評価を受け、BKC新入生全員に配布された。2008年に「『なくそう犯罪』滋賀安全なまちづくり大賞」を受賞した。

小島一恵  さん
こじま かずえ/経営学部

体育会女子陸上競技部において全日本大学女子駅伝、全日本女子選抜駅伝に計8回出場し、すべてで区間賞を獲得。史上初となる全日本大学駅伝3連覇、全日本女子選抜駅伝6連覇に貢献した。個人でも日本学生陸上選手権大会において2008年女子5000m優勝、2009年女子10000m優勝の成果を収めるとともに、ユニバーシアード北京大会に日本代表として出場した。

藤原正典  さん
ふじはら まさのり/文学部
Special Interview

体育会硬式野球部に所属し、投手としてチームを2度の関西学生野球リーグ優勝に導く。関西学生野球2008年度秋季リーグ最優秀選手、2008・2009年度秋季リーグ最優秀投手、2008・2009年度ベストナインに選出された。また、2008年第4回世界大学野球選手権大会では日本学生代表として銀メダル獲得に貢献。阪神タイガースからドラフト2位で指名された。

渡辺翔史  さん
わたなべ しょうし/文学部

立命館大学バトントワリング部所属。第34回全日本バトントワリング選手権スリーバトンの部日本一・グランドチャンピオン。JAPAN CUP 2009・シニアバトントワリング部門優勝など輝かしい成績を残す。世界選手権団体で2007・2008年優勝。2008年度は部長として全国大会団体2連覇に貢献した。

安部雅宏  さん
あべ まさひろ/理工学部

2回生時に参加したUBC・ジョイント・プログラム(カナダへの8ヶ月の留学プログラム)において、学習に意欲的に取り組み、優秀な成績を収める。日本国内6大学の学生に加え、G8参加国と中国、インドの計10カ国の学生が参加する「世界学生湖沼会議2008」の実行委員会委員長を務める。様々な国籍の学生をまとめ上げ、会議の成功に貢献し、湖沼に関する諸問題の認識を広めた。留学プログラムや研究に対しても積極的に取り組み国内外で優秀な成績を収めた。

これからも輝くときの人たち Special Interview 立命館大学硬式野球部 藤原正典さん(文学部4回生)
すべては野球からはじまった
2009年10月29日、阪神タイガースのドラフト2位指名選手の名が告げられた。
その瞬間、歓喜に沸いた立命館大学。
その歓喜の中心にいたのが文学部4回生の藤原正典さんだ。
今回は人気球団で夢のプロ野球選手となる藤原さんに喜びの声と夢を実現するまでの軌跡を伺った。
(2010年3月17日掲載)
Q

阪神タイガースへの入団、おめでとうございます。
藤原さんが野球を始めたのはいつ頃からですか?

藤原

プロ野球選手を夢みていたのは、本当に小さな頃からです。それこそ野球を始める前から「プロになる」というのが夢でしたね。野球は身近なスポーツでしたし、誰もが憧れる職業であったと思います。ドラフトの発表の時は、本当に指名が来るのかどうか不安もありましたが、人気球団に決まって本当に嬉しいです。今はもう不安はありません。これからが勝負だと思っています。

 

野球に興味をもったのは、2、3歳の頃だったと思います。少年野球をしている兄の姿に憧れたのが、野球を始めるきっかけです。小学生になると自分も野球を始め、中学では硬式クラブに入って練習をしていました。ただ、このクラブは土日だけのものだったので、実は平日はよく遊んでいました。だからこそ、野球の名門校に入った高校での1年目は本当に大変でした。毎日の練習も、その練習量も今までに経験したことがないものばかり。苦しいことを何度も経験することで、2年目以降は練習にも慣れてきたのですが、今度はピッチャーとしてマウンドに立つことが辛くなっていきました。

 

ピッチャーは、不調が目に見えやすいポジションです。そして、その不調が直接、ゲームにひびくポジションでもあります。それだけ責任の重いポジションを初めて経験したのは小学生の時です。その後も小中高とピッチャーを主に任されてきましたが、不調になるとずるずると不振が続いてしまうことが何度もあって、ピッチャーとしての自分に限界を感じていました。そんなこともあり、大学では外野手を希望しました。ですが、外野手と投手のポジション分けのテストを受けた時、選手時代投手だった監督がピッチャーとしての自分を大きく評価してくれました。このことが、期待を背負ってマウンドに立つ決意へとつながりました。

 

 

 

Q

そうした決意をもって始めた大学での野球はどうでしたか?

藤原

大学でも野球をやろうと思ったのは単純に「野球が好きだから」という理由です。大学に入った時に投手としてやっていく決意をしましたが、3回生の秋まではピッチャーとして活躍することができませんでした。左投手だった私は、試合に出してもらえる機会には恵まれていたので、そのチャンスを逃さないためにも1試合1試合、少しでもいいところを出せるように努めていました。

 

そうやって頑張っていた2回生の夏、突然スランプに陥ったのです。思ったところに投げ込めない、投げても投げても上手くいかないという日々が続きました。「投手を辞めたい」とどん底まで落ち込みましたが、そんな私を仲間が支えてくれました。特に、当時、副キャプテンだった佐藤拓哉くんは、もう一度原点からやり直すためにキャッチボールからはじめた時も、上手くいかない投げ込みも、ずっと受け続けてくれました。好調の時も不調の時も、支え続けてくれた彼がいたからこそ、その年の秋には立て直して投げていくことが出来ました。

 

ただ、それでも試合にはなかなか出れず、同期の田中宏和投手が活躍するのを悔しい思いで見つめていたこともありました。ですが、彼が活躍していたからこそ、自分も奮起して必死で練習をすることが出来たんだと思います。だから、彼が3回生の秋に怪我で試合に出ることが出来なくなった時、「自分がやるしかない」と強く思いました。強い気持ちで挑んだ3回生秋からの試合は今でもすべて印象に残っています。

 

 

 

Q

たくさんの苦労があったんですね。ここまで野球をやり続けることが出来た理由はなんだったんでしょうか?

藤原

ここまで続けてこられたのは、良い仲間に恵まれていたからだと思います。大学でも野球を続けている人には、それぞれに違った目標があります。プロを目指している人ばかりではありません。それでもみんなで一丸となって試合に向かっていけたのは、いい仲間に恵まれたからです。時には、授業にも引っ張って連れていってくれる事もありました。だからこそ、野球一色だけではなく、充実した学生生活を送ることができたと思っています。そして、ずっと支え続けてくれた両親の存在も大きいですね。

 

これまで10年近く野球をやっていますが、野球があったからこそ出会えた人がいて、充実した生活がありました。すべてを野球から学ぶことが出来たと思っています。

Q

最後にメッセージをお願いします。

藤原

大学に入学した当時、プロ野球選手になることが目標ではありませんでしたが、それを1つの目標にしたことで、いろんな事にチャレンジすることができました。そして、結果的には、それが全部目標に繋がっていったと思います。「失敗してもいい」と思い切ってやることが大切だと実感しました。これからは、プロの世界でもっといろんな事を学んでいきたいと思っています。

取材・文//川口菜摘(経営学部4回生)
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