桓武天皇と平安京(全4回)
- 申込締切日
- 各講義の2日前の23:59
- 定員
- 各回200名(初回のみ1000名 先着順となっておりますのでお早めにお申し込みください。)
受付終了しました。
講師 |
本郷 真紹(立命館大学文学部 教授)
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講義紹介 |
西暦794年、桓武天皇は長岡京をわずか10年で放棄し、新たな都に移ります。その都を「平安京」と名付けました。それまでの地名を冠する都と違い、天皇の思いが名前に込められたのです。桓武天皇は、どのような新しい都を構想したのでしょうか。本講義では、古代最後の女帝となった称徳天皇、桓武天皇の父である光仁天皇、桓武天皇の時代と、平安京の成立に至る過程を辿り、その歴史的意義に迫りたいと思います。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------- ---------------------------------------------------------------------------------------------------------- 第1回 2月12日(土) 称徳天皇と法王・道鏡 <無料> 【受付終了】 藤原仲麻呂の乱の勝利を経て、再び皇位に即いた称徳天皇は、出家した尼身分の天皇でした。そして、その信任を受け皇位を窺ったとされるのが、法師・道鏡。しかし、この二人に関する評価には、事実と認めがたい部分が多くあります。改めて、その真偽を問い直します。 称徳天皇の崩御により、天智天皇の孫に当たる光仁天皇が即位。皇后・井上内親王は聖武天皇の娘で、二人の間に生まれた他戸親王が立太子します。ところが、その二年後には、井上皇后は「厭魅(えんみ)の罪」で廃され、他戸親王も連座することになります。謎の多いこの事件の真相に迫ります。 第3回 3月12日(土) 桓武天皇の即位と「革命」 【受付終了】 他戸親王に代わり立太子したのは、高野新笠という渡来系の女性を母にもつ山部親王でした。やがて父・光仁天皇の譲位を受けて桓武天皇となりますが、天皇は自身が天智系の皇統に連なることを強調し、自身の即位を革命と意味付けました。その意図するところを考察します。 第4回 3月19日(土) 長岡京から平安京へ 【受付終了】 桓武天皇により新たに設けられた長岡京は、遷都後僅か十年にして放棄され、平安京が営まれました。「平安」という名称に込められた桓武天皇の思い、そこには、長岡遷都に関わって死を遂げた弟・早良親王の霊障が存在しました。歴史の転換期に生じた悲劇を探索します。 |
対象 | どなたでもお申込みいただけます。 |
開講期間/開講日 | 2022年 2月12日(土)・26日(土)・3月12日(土)・19日(土) |
受講料 | 1回 1,500円(※第1回無料) |
受付終了しました。