【日本史探究】日本古代史を彩った女性たち(全6回)
- 開講期間/開講日
- 2022年 5月21日(土)・7月2日(土)・7月16日(土)・8月20日(土)・9月17日(土)
- 申込締切日
- 〔各回〕 各講義の2日前の23:59
〔第2回~第6回一括〕 5月19日(木)23:59 - 定員
- 各回200名(先着順となっておりますのでお早めにお申し込みください。)
受付終了しました。
講師 |
1957年、大阪市生まれ。1987年、京都大学大学院 文学研究科 国史学専攻 博士課程学修退学。富山大学人文学部助教授を経て、1996年、立命館大学文学部に着任。研究テーマは、日本古代の律令国家・王権と仏教。奈良・平安時代の宗教的事象を通じ、イデオロギー支配装置としての宗教の役割や王権の宗教的性格、地域の宗教文化の特性などを研究。『日本の名僧1 和国の教主聖徳太子』(編著、吉川弘文館、2004年)、「考証 日本霊異記(上)」(監修、法藏館、2015年)などがある。テレビなど各種メディアにも多数登場。学校法人立命館理事補佐、立命館大学硬式野球部部長などを歴任。2023年より立命館大学文学部特命教授。
本郷 真紹 (立命館大学文学部 特命教授)
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講義紹介 |
時代を生きる人の半数は女性です。にもかかわらず、教科書や歴史書に登場する人物の大半は男性ばかり。男性のみでそれぞれの時代像を形作って来たような誤解を招きますが、実際は、女性が重要な役割を担った時代も多くあります。とりわけ古代の7・8世紀は6人8代が女帝で、その治世は総じて80年に及び、まさしく「女帝の時代」であったのです。そこで本講義では、平安初期に至るまで、古代史像の形成に重要な役割を果たした宮廷の女性6人を取り上げ、その足跡を辿ってみたいと思います。 --------------------------------------------------------------------- 回数: 全6回講師: 本郷 真紹(立命館大学文学部 教授) 時間: 各回10:00~12:00 ※Q&A(質疑応答)含む ---------------------------------------------------------------------
第1回 4月24日(日) 推古天皇
日本初の女性天皇となった推古天皇。欽明天皇を父、蘇我稲目の娘・堅塩媛を母として誕生した額田部皇女(後の推古天皇)は、兄の用明天皇が崩御すると、蘇我馬子と共に物部守屋の討滅をはかります。崇峻天皇暗殺後の592年に即位し、蘇我馬子と聖徳太子に政務を委ねます。推古朝に打ち出された政策は、国家形成の礎を築くところとなりました。本講義では、『日本書紀』と共に、『元興寺縁起』の推古天皇に関する記載から、その実像に迫ります。 第2回 5月21日(土) 皇極(斉明)天皇 敏達天皇の皇子・押坂彦人大兄皇子の皇統に連なる皇極天皇は、同じ皇統の敏達天皇の妃となり、夫帝の崩御後に即位しますが、蘇我入鹿暗殺に端を発する乙巳の変が勃発、同母弟・孝徳天皇に史上初の生前譲位を行います。孝徳天皇崩御後、これまた史上初の重祚で斉明天皇となりますが、当時は唐・新羅との緊張関係が高まり、国家の存亡に関わる時期でした。まさに、国内外激動の時代を生きた彼女の生涯を辿ります。 天智天皇の娘として生まれ、叔父・大海人皇子の妃となり、壬申の乱に際しては行動を共にした?野皇女(のちの持統天皇)。天武天皇の皇后として夫帝を補佐し、その崩御後には称制を行い、大津皇子を謀殺して草壁皇子の即位を図ります。ところが、草壁が即位を前に崩じたため、自身が皇位に即き、飛鳥浄御原令の施行や藤原京への遷都といった新たな施策を展開します。この持統天皇による日本古代律令国家体制確立の軌跡を追います。 藤原不比等と県犬養橘三千代という廟堂と後宮の有力官人を両親として生まれた光明子は、同年齢の聖武天皇の皇后として、異父兄である橘諸兄と共に、天皇を支えます。夫帝に仏教への帰依と興隆を勧め、東大寺大仏や国分寺の建立は、彼女の進言に基づく事業でした。その聖武天皇の譲位後は、娘である孝謙天皇を後見し、実質的な天皇権力を掌握するに至ります。天平時代の動向に大きく影響を及ぼした彼女の存在意義を考えます。 聖武天皇と光明皇后の娘である阿倍内親王は、女性で初めて皇太子の地位につき、やがて父帝の退位により即位して孝謙天皇となります。しかし、彼女の立太子と即位には賛同しない官人も存在し、橘奈良麻呂の乱を導くことになりました。藤原仲麻呂を却け、尼の身分のまま重祚した称徳天皇は、道鏡を高位に即け、その即位まで図りますが、このように異例の事態を招いた尼天皇の行動と、彼女の構想した新しい国家体制について考えます。 兄・平城天皇の譲位を受けて即位し、その兄と対立し出家に追い込んだ嵯峨天皇。唐の制度や文化に強い関心を示し、積極的な導入を図った天皇の皇后となり、厚い仏教信仰心をもって寺院の建立等を推進した檀林皇后(橘嘉智子)は、嵯峨太上天皇の崩御を契機に勃発した承和の変で、藤原良房に謀反の動向を伝え、皇太子の更迭をもたらします。摂関政治の出現を導く契機となった、彼女の判断の真意を、改めて探ってみたいと思います。 ※本講義はZoomウェビナーを使用したライブ配信講義です。 |
対象 | どなたでもお申込みいただけます。 |
開講期間/開講日 | 2022年 5月21日(土)・7月2日(土)・7月16日(土)・8月20日(土)・9月17日(土) |
受付終了しました。