アジアインサイト

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  2. 2018年韓国大法院判決が問う植民地支配責任――論点のすり替えによって隠された本質―

2018年韓国大法院判決が問う植民地支配責任――論点のすり替えによって隠された本質―

戸塚悦朗(弁護士、立命館大学コリア研究センター上席研究員)

 

1.隠された日韓関係の危機の真因

日韓関係の危機は、韓国人戦時強制動員被害者による日本企業に対する慰謝料請求を認容した韓国大法院判決(20181030日)が日本に衝撃を与えたことに端を発した。これは民間人と民間企業の間の民事事件だから、本来政府が出る幕はない。ところが、安倍政権が1965年請求権協定による解決済み論を盾にとって、あえて経済制裁まで加えて韓国に対抗したことから、国家間の紛争になってしまった。

しかし、視点を変えてこの危機の本質を掘り下げて考察すると、もっと深い問題が見えてくる。大法院判決は、日本に何を問いかけているのだろうか?その核心について十分な理解が日本に不足していることに注目すべきである。そのような理解不足が、なぜ起きているのか?という難題を解く鍵が見つからないことこそが危機の真因だと考える。

日本の国会では質問に正面から答弁しない「論点のすり替え」論法が全盛を極めている。問題の本質をすり替えられてしまうと、核心が隠されてしまう。大法院判決への対応でもこの手法によって問題の本質(植民地支配責任)が隠されてしまったのである。

 

2.2018年大法院判決が問う植民地支配責任

2018年大法院判決の主柱は、「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配(判決の表現)」とする規範的判断である。これは韓国憲法(国内法)の解釈から導かれた。筆者は、その論旨を国際法の視点から考察し、『「徴用工問題」とは何か?――韓国大法院判決が問うもの』(明石書店、2019)を出版した。判決文を熟読すれば、大法院がこの「不法な植民支配」という判断を大前提としてほとんどすべての重要な判断を導き出していることがわかる。

注目すべき最大の論点は、大法院判決の主柱である植民地支配の不法性判断である。判決は、それを基礎にして、なぜ被告企業に責任があるのかを詳しく説明している。判決は、「不法な植民支配」下で、侵略戦争と密接にかかわる強制動員の被害者が被った人道に反する不法行為を認定し、その責任を引き受けるべきだ、と日本企業に問いかけている。だから、この「不法な植民支配」という主柱を除いてしまっては、大法院の判断の本質を理解できなくなる。大法院判決が植民地支配責任の履行をこそ求めていることに注目すべきなのである。

ところが、日本では、大韓帝国は、19108月の韓国併合条約によって大日本帝国に合法的に併合され、植民地となったとされてきた。佐藤栄作首相(当時)は、日韓基本条約(1965年)等に関する国会審議の際、併合条約について「対等の立場で、また自由意思でこの条約が締結された、かように思っております」と答弁した(衆議院特別委員会1965115)。日本政府のこの法的な立場は、日韓交渉の間も同じだったし、それ以後も今日まで変更されていない。

しかし、大法院判決の判断は、佐藤首相答弁と矛盾する。これに何の反論もしなければ、「不法な植民支配」とする判決の判断について日本政府が(黙示の)承認をしたと解釈されかねない。それにもかかわらず、なぜ安倍政権は、大法院判決が問いかけている「不法な植民支配」とする判断に沈黙し続けているのだろうか。

 

3.論点のすり替え

安倍首相は、原告側が被告企業の資産を差し押さえたことに対して、「極めて遺憾。政府として深刻に受けとめている」と語り、判決を「国際法に照らして、ありえない判決」と批判し(朝日新聞デジタル201916日)、韓国側が1965年請求権協定によって解決済みの問題を蒸し返していることが国際法違反だと示唆した。この論理によると、韓国の国際法違反によって日本が被害を受けている、と韓国を非難したことになる。

だが、大法院判決が問いかけている被害加害関係は、逆である。判決によれば、被害者は、日本による「不法な植民支配」の下で日本加害企業による強制動員によって重大な人身被害を加えられた韓国人であり、「不法な植民支配」による被害については日本が日韓交渉に際して否認し協議に応じなかったので、1965年協定では解決していない、と判断している。

ところが、安倍首相は、判決の主柱である「不法な植民支配」という判断に一言も触れず、「論点のすり替え」によって、1965年日韓請求権協定だけに衆人の注目を集める対応をした。この高度のPR作戦によって、植民地支配責任の問題は巧妙に隠蔽されてしまった。その結果、被害加害関係が逆転するというパラダイムシフトが起きた。日本は、国際法違反の被害者としてふるまい、韓国を加害者に仕立て上げて非難するという離れ業に成功した。結局、日本が不法な植民地支配の加害者であって、韓国の強制動員被害者のヒューマンライツ侵害こそが核心の問題なのだという、ことの真相が隠蔽されてしまったのである。

 

4.国際法学からも植民地支配は不法

「不法な植民支配」という結論を導いた大法院による憲法解釈は、韓国の国内法の問題である。しかし、日韓の国際関係が紛争の場になった場合は、国際法上の解釈が問題となり、法の平面が異なる。そこで、国際法上も日本による韓国の植民地支配は不法だったのだろうかという問題を検討する必要がある。

筆者は、『歴史認識と日韓の「和解」への道』(日本評論社、2019)を出版して、19051117日付の「日韓協約」とされている条約は実際には「存在しない」ことを論証した。

この発見は、どのような派生効果を生むだろうか。読者には衝撃的かも知れないが、論理的には以下の2点が言えると、筆者は考えている。

不存在の「日韓協約」を根拠として、大韓帝国が「自由意思」に基づいて合法的に日本による保護国(実質的な植民地)となったとされてきたが、この「日韓協約」が存在しない以上、大韓帝国の条約締結権者の「自由意思」によらない保護国化であり、不法な支配(武力による強制的占領)と評価される。

不存在の「日韓協約」により創設された「統監」は、不法な存在であった。その不法な統監(寺内)が大日本帝国を代表して署名し、且つ大韓帝国政府を指揮して署名させた1910年併合条約は、双方代理により制定された。そればかりか、大韓帝国側の批准もなかった。結局、併合条約は無効だったと評価されるべきである。そうすると、大法院判決による「不法な植民支配」との憲法判断は、国際法学の立場からも裏付けられたことになる。

 

5.記憶(記録)の削除

細川政権以来日本の歴代政権は、植民地支配に関する歴史認識を着実に進め、19958月戦後50年の村山首相談話が特に注目された。併合条約100年に際して出された菅直人首相談話(2010810日)は、「当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ・・・」と述べ、併合条約についての法的立場を変更する一歩手前まで歴史認識を深化させた。

ところが、2015年戦後70周年安倍首相談話は、韓国併合条約による植民地支配について沈黙した。安倍政権は、論点をすり替えて大法院判決を非難し日韓の国家間紛争を激化させた直後である20192月、菅直人首相談話を首相官邸のHPから静かに削除してしまった。だが、このことはほとんど知られていない。忘却の時代が始まったのである。

20209月菅義偉政権が誕生したので、日韓関係の好転への期待が生まれた。

だが、菅直人首相談話の削除は、菅義偉首相が官房長官だった時代に起きた。安重根記念館の設置を計画した中国政府を批判し、菅義偉官房長官(当時)は、義軍参謀中将として大韓帝国の独立を守る自衛戦争を戦った安重根を「テロリスト」と切り捨てた。

大法院判決問題を「記憶・責任・未来」財団が象徴するドイツモデルに学んで解決しようとする有力な声もある。だが、安倍政権の承継を旗印に、過去を直視することを拒否し、歴史認識の記録をも削除する政治家には、過去の記憶と責任を未来に継承しようとするドイツの思想から学ぶことは、きわめて困難であろう。

戸塚悦朗講演「19051117日付の「日韓協約」は存在しない」「乙巳条約協定締結115周年記念特別研究会」(Zoom)、立命館大学にて20201118日に開催。

戸塚悦朗「歴史認識と日韓の「和解」への道(その8)――2018年韓国大法院判決の衝撃と「植民支配」の不法性判断への対応――」龍谷法学第53巻 第1号、223-272頁。

しかし、安重根は、「テロリスト」とは言えない。不存在の19051117日付「日韓協約」を裁判管轄権の根拠として、日本国内法(刑法)による死刑判決を下した安重根義軍参謀中将に対する裁判(1910214日)は、裁判管轄権を欠き、不法だった。安重根は、自国の独立のために義軍参謀中将として自衛戦争を戦ったのだから、法廷で彼が主張したとおり、捕虜としての処遇を受ける権利があり、且つ処罰しようとするなら戦争犯罪を侵したか否かについて国際法による裁判を受ける権利があった。

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