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さらなる関係悪化を招いた日韓両政権の過ち

箱田哲也(朝日新聞論説委員)

 

 春先からの新型コロナ禍に悩まされ続けた2020年は、日本と韓国の政治関係においても最後まで重苦しい空気が立ちこめる1年となった。

 最大の懸案である徴用工問題が両国関係に大きく立ちはだかっているのは言うまでもない。この問題は太平洋戦争や朝鮮戦争の廃虚から国を興し、結果として、ともにめざましい発展を遂げた日韓が直面する、最大にして最後の難関と言われる。それは徴用工問題が、20世紀はじめの韓国併合や、長期交渉の末、併合から半世紀以上の時を経て実現した国交正常化、さらにはその後の交流・協力の評価など、すべてを包含する本質的な要素を多分に含んでいるためだろう。

 たしかにこの十数年、日韓政府間に生まれる懸案は、国際社会における位相や産業構造などの変化に伴う構造的要因に起因するケースが多い。だが、それは日本と韓国のみが抱える課題とは言い難い。かつて支配と被支配の関係にあり、その後、それぞれの経済の盛衰によって、以前は大きかった隔たりが徐々に縮まっていくならば、おのずと発生する現象とも言えるからである。

 しかし、昨今の日韓関係の悪化、とりわけ両国の市民感情の悪化は、構造的変化に加え、両国の政権による外交政策の誤りがもたらした側面があることを否定できない。

 なぜ政策を誤ったのか。日韓政府当局者らへの取材を通して考える時、そこには、隣国に対する知識や情報の欠如や、国内政治に排他的なナショナリズムを活用したいという悪意的な判断が作用したと言わざるを得ない。その象徴とも言える出来事が、日本政府による事実上の韓国に対する経済報復である輸出規制強化措置であり、それに伴い韓国政府が対抗した日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)をめぐる一連の騒動である。


●安倍官邸の浅薄な判断

 2018年10月に韓国の大法院(最高裁)が、朝鮮半島出身の徴用工を働かせた日本企業への賠償を命じる判決を出した後、日本の安倍晋三政権(当時)は強く反発した。

 1965年の国交正常化時に結んだ協定では、請求権問題を「完全かつ最終的に解決されたことを確認」としており、法的には解決済みであるにもかかわらず、判決はこの約束をたがえる国際法違反だとするのが、日本政府側の主張である。

 日本政府は外交当局間協議のみならず、水面下での多くのチャンネルを通じ、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権に是正措置をとるよう重ねて求めた。韓国政府内でも、日本通であり、多様な人脈をもつ李洛淵(イ・ナギョン)首相(当時)を責任者とするチームを作り、解決法を探った。いくつかの意見が出るには出たが、最終的にはまとめることはできず、チームは作業を停止した。

 韓国側の煮え切らない態度にいらだつ安倍政権は翌2019年5月、日韓請求権協定に基づき、第三国を交えた仲裁手続きに入ることを韓国政府に要請したが、韓国側はこれにも応じなかった。

 かねて自民党などからは韓国側に対する報復措置を求める声があがっており、日本政府内でも各省庁に、どんな措置が可能かの検討が始めるよう指示がくだった。措置を考える上での「条件」とも言える注意点には、日本側企業に大きなダメージを与えないことや国際社会に対して法や規制に違反していると指摘されないことが挙げられた。

 だが、国交正常化以降、長年にわたって積み上げられてきた実績がある両国関係において、いかなる案を選択しようと日本側に実害が出ない措置は見当たらない。各省庁ともマイナス面も含めた説明付きで、それぞれの案を出すのがやっとだった。


●所管官庁も消極的だった「制裁」

 そんな中で安倍官邸が選んだのが、韓国の輸出総額の約2割を占める主力産業である、半導体製造に必要な素材の輸出規制強化という手荒な措置だった。所管の経済産業省自体が国内の中小企業への甚大な被害を恐れ、決して積極的には推さなかった案だったが、官邸幹部らが取り上げ、安倍首相がこれを承認した。

 報復措置を決める過程に関与した政府当局者によると、官邸側には、半導体関連に手を突っ込むという激震が予想される措置をあえてとることで、辞退の深刻さに気づいた韓国側が徴用工問題で建設的な対応に変化させるにちがいないとの計算があった。

 さらに自民党内には、参院選公示を控えた時期に、韓国への強い対応をみせることで選挙を有利に展開できるとの期待感が漂っていた。

 このころ、大阪で開かれる主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が間近に迫っていた。安全保障上の問題からやむなくとった措置、と主張することは一応決まっていたものの、世界の首脳が国内に集まる中で、自由貿易の原則に背くような発表はさすがにできない。そのため、対韓輸出規制強化報復措置の発表は、G20の閉幕直後、参院選公示の前で固まり、予定通りに発表された。

 参院選への影響はともかく、この措置が韓国国内において、官邸の予想とはまったく正反対の結果を招いたことは、すでに多くの報道や研究で明らかにされている通りだ。韓国政府の対応を促すどころか、市民の怒りに火を付けた。韓国でこれまで何度呼びかけられても成功を収められなかった日本製品の不買運動も長期化し、いまだに以前のようには戻らない。また、少なくとも現時点まででみる限り、日本政府の措置で深刻な被害を受けたのは、韓国側よりむしろ、それまで対韓輸出を中心に事業を展開していた日本企業という有り様だ。


●文政権の根拠なき自信

 安倍官邸の悪手は否定しようがない一方で、韓国政府、とりわけ文大統領を含む大統領府にも決定的な見立ての甘さがあり、不幸な事態を自ら招いたことも否定できない。

 先述のように、多くのチャンネルで解決策を模索する中、報復措置の具体的な中身は伝えられなかったものの、このまま行けば日本政府が制裁する可能性を指摘する声は少なくなかった。だが、一部の韓国政府高官らは、日本にも実害が及ぶような措置をとれるはずがないと高をくくり、何ら有効な措置をとらずに放置した。そんな姿勢が、強硬措置やむなしとの日本側の判断の背中を押した形となった。

 さらなる韓国大統領府の迷走は、輸出規制強化措置への対抗として、日韓間の防衛協力の象徴であるGSOMIAに手を伸ばしたことである。

 日本に強い痛みを感じさせるカードに欠く文政権は、これまた自国内で批判されることを覚悟のうえで、2018年8月、GSOMIAを延長しないとの意向を表明し、日本側に通告した。これにより徴用工問題という日韓の歴史問題は、両国の経済分野におよび、さらには安保分野にまで拡大していくことになった。

 だが、協定の失効を目前に控えた3カ月後の11月。文政権は方針を撤回し、協定の延長を決める。それは日韓関係が改善したからでも、対日政策を変更したからでもない。ひとえに米国からの驚くほど強い圧力に屈せざるをえなかったためだ。


●日韓懸案に関与しない米国

 現在の膠着(こうちゃく)した日韓関係の打開策をめぐる議論を含め、双方のメディアや研究者の中では、ある大きな誤解が独り歩きしている。それは、日韓関係が深刻化すると、最後には双方の同盟国であり、兄貴分的存在の米国が乗り出して仲裁に入り、話をまとめるという根拠なき期待である。

 たしかに厳しい冷戦下にあった国交正常化の際は、日韓ともに米国の圧力に押される形でやむなく握手を交わした。だが、最近の米国は日韓関係、とりわけ歴史問題のような微妙な問題では一切中身に踏み込まない。それは同盟軽視のトランプ政権だけではなく、前任のオバマ政権でも同じことだった。

 2015年の日韓政府間の慰安婦合意には、背景に米国の深い関与があったと信じる言説が今も残るが、当時の日韓双方の交渉当事者たちはそんな話題になると苦笑する。互いに米国詣でを繰り返し、自国の言い分を理解してもらおうと努めたものの、最後まで米国は「仲良くしてほしい」というだけで、当事者間で解決すべきだとの姿勢を変えなかった。

 しかし、米国の安全保障にかかわる問題となれば話は別である。歴史問題が安保分野にまで波及すると、米国はにわかに動き始めた。文政権に対し、協定破棄となった場合の具体的なペナルティーまでちらつかせ、力業(ちからわざ)でGSOMIAの延長を認めさせた。他方、米国政府は、輸出措置は安保上の問題であり、韓国との交渉事項ではないとの態度をみせていた安倍政権に対しても、措置撤回に向けた日韓政府間交渉を迫り、難色を示す日本側を力でねじふせた。


●政治が不毛な争いの罪滅ぼしを

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の流れをくみ、ともすれば、韓国で長く権力を握った保守政治の実績をも否定しようとする文政権は、「移行期の正義」を行使しているとの指摘がある。取材を通してみる限り、文政権は時間を経るごとに、その度合いを増す傾向にある。そして、かつて朝鮮半島を植民地支配しながら、開き直ったような態度を続ける安倍政権にも、その「正義」は容赦なく向けられた。

 韓国側の自尊心を傷つけ、南北融和にも消極的な姿勢をみせる日本に対し、いたずらに反発だけして「義は我にあり」と国内をあおる。だが、米国の反応などを含め、必ずしも正確な情報や状況認識に基づいた判断とは言えないため、いったん決めた方針は長続きしない、というのは文政権の特徴のひとつでもある。

 かくして日韓はこの間、双方の誤った政策決定により、不毛な争いを続け、多くの代償を払うことになった。それは物質的な問題だけにとどまらず、双方の市民感情にも大きな傷を与えてしまった。政治の愚策が、取り返しのつかない状況を招いたのである。

 現実問題として日韓間には、徴用工問題で、すでに差し押さえられている被告企業の資産の現金化という最大の懸案が残る。そうなる前に対話によって何とか危機を回避することこそが、いま両国の政治ができる唯一の罪滅ぼしと言えるだろう。

 官僚とは現金なもので、8年近くにおよんだ安倍政権が終わり、日本政府の高官の間からも、輸出規制強化措置の継続に疑問を呈するような声が徐々に出始めた。日韓双方が徴用工問題で、冷静な話し合いにあたるためにも、まずは措置の撤回が急がれることは言うまでもない。

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