夢をゼロから形に!ミャンマーで学生会議を開催し、国際交流の基礎を築く
橋本 悠さん(国際関係学部3回生)
2012年5月、米国ワシントンDCで開かれたヒラリー・クリントン国務長官(当時)とミャンマー外相の共同記者会見に、当時学部共同学位プログラム(DUDP)でアメリカン大学に留学中だった橋本さんは、共同通信の学生記者として出席した。これを機に、国際社会が注目するミャンマーに関心をもった橋本さんは、DUDP終了後、経済産業省が実施したインターンシップでミャンマーを訪れた。
インターンシップ期間中、現地の大学で出会った学長や学生からこう訴えられた。「ミャンマーでは外国人と交流する機会が少ない。日本の若者をミャンマーに連れてこられないだろうか。」ミャンマーでは、自分と同じように国際関係や国際法を学んでいる学生でも、国際交流の機会がないことに衝撃を受けた。橋本さんは、“日本とミャンマーの若者が交流する機会をつくる”と奮起し、必ず日本人を連れてくることを彼らに誓った。

帰国後、橋本さんは両国から学生を集めて実行委員会を発足し、昨年12月14日から19日、ミャンマーのヤンゴン大学を会場に、日緬学生会議「International Development Field Camp(IDFC)」の開催を実現させた。会議の協力団体には国際交流基金、在ミャンマー日本大使館、JICA等が加わった。30名の参加者が講演会やワークショップを通じて、ミャンマーの社会問題の解決や自分のキャリアについて議論し、その成果をシンポジウムで発表した。IDFCが目指すものは、両国の学生らが交流し絆を深めることだ。しかし単なる交流で終わらせず、参加者がミャンマーや日本を知り、自分自身も変えられるようにプログラムを工夫した。会議最終日には両国の学生らが別れを惜しみ涙したそうだ。
2011年に民主化したばかりのミャンマーで、学生主体の国際的なイベントを実施するには困難が伴ったという。それはかつての軍事政権が学生活動を抑圧していた背景からIDFCのような活動の前例がなく、学生の交流会に国の教育相や大学の許可が必要だったからだ。橋本さんはそんなミャンマーの地で若者の国際交流の基礎を築いた。

「最初に自分だけが語っていた夢がしだいに多くのひとの夢になったことでIDFCが実現できたこと、日本人の参加者がミャンマーを好きになり、彼らのミャンマーに対する印象が変わったことが喜びです。」と橋本さん。プロジェクトを通じて、仲間と知恵を出し合い、時には意見をぶつけ合った。ミャンマー側の運営メンバーとの国を超えた議論ではすれ違いも絶えなかった。そこで忍耐強く他人の意見を受け入れて、その上でどうすればいいか考える力がついたそうだ。「0から1をつくるプロセスでは、みんながワクワクするようなビジョンや夢をつくることと、その夢を共に形にしていく仲間が大事だということを学びました。」と振り返った。
IDFCにとっての財産は、日本とミャンマーを繋いでいく若者のコミュニティだという。「いまの私たち若い世代が、10年後、20年後には経済・外交レベルでの関係を築いていくことになります。将来、会議の参加者がここで築いた絆を思い出して、日本とミャンマーをつなぐ役割を担ってほしいと願っています。また10年、20年とIDFCを継続させて、若者の草の根レベルでの交流を次世代に繋げていきたいです。」とIDFCの将来への熱い想いを語った。「次は日本でも開催したいですね」、橋本さんとIDFCの新たな挑戦は始まっていた。
お問合せ先:idfc.mj.2014@gmail.com
IDFC公式HP:http://idfc2014.strikingly.com/
IDFC Facebook page:https://www.facebook.com/idfc.myanmar.japan
ビデオリンク
https://www.youtube.com/watch?v=Edua72gG5s0

インターンシップ期間中、現地の大学で出会った学長や学生からこう訴えられた。「ミャンマーでは外国人と交流する機会が少ない。日本の若者をミャンマーに連れてこられないだろうか。」ミャンマーでは、自分と同じように国際関係や国際法を学んでいる学生でも、国際交流の機会がないことに衝撃を受けた。橋本さんは、“日本とミャンマーの若者が交流する機会をつくる”と奮起し、必ず日本人を連れてくることを彼らに誓った。
帰国後、橋本さんは両国から学生を集めて実行委員会を発足し、昨年12月14日から19日、ミャンマーのヤンゴン大学を会場に、日緬学生会議「International Development Field Camp(IDFC)」の開催を実現させた。会議の協力団体には国際交流基金、在ミャンマー日本大使館、JICA等が加わった。30名の参加者が講演会やワークショップを通じて、ミャンマーの社会問題の解決や自分のキャリアについて議論し、その成果をシンポジウムで発表した。IDFCが目指すものは、両国の学生らが交流し絆を深めることだ。しかし単なる交流で終わらせず、参加者がミャンマーや日本を知り、自分自身も変えられるようにプログラムを工夫した。会議最終日には両国の学生らが別れを惜しみ涙したそうだ。
2011年に民主化したばかりのミャンマーで、学生主体の国際的なイベントを実施するには困難が伴ったという。それはかつての軍事政権が学生活動を抑圧していた背景からIDFCのような活動の前例がなく、学生の交流会に国の教育相や大学の許可が必要だったからだ。橋本さんはそんなミャンマーの地で若者の国際交流の基礎を築いた。
「最初に自分だけが語っていた夢がしだいに多くのひとの夢になったことでIDFCが実現できたこと、日本人の参加者がミャンマーを好きになり、彼らのミャンマーに対する印象が変わったことが喜びです。」と橋本さん。プロジェクトを通じて、仲間と知恵を出し合い、時には意見をぶつけ合った。ミャンマー側の運営メンバーとの国を超えた議論ではすれ違いも絶えなかった。そこで忍耐強く他人の意見を受け入れて、その上でどうすればいいか考える力がついたそうだ。「0から1をつくるプロセスでは、みんながワクワクするようなビジョンや夢をつくることと、その夢を共に形にしていく仲間が大事だということを学びました。」と振り返った。
IDFCにとっての財産は、日本とミャンマーを繋いでいく若者のコミュニティだという。「いまの私たち若い世代が、10年後、20年後には経済・外交レベルでの関係を築いていくことになります。将来、会議の参加者がここで築いた絆を思い出して、日本とミャンマーをつなぐ役割を担ってほしいと願っています。また10年、20年とIDFCを継続させて、若者の草の根レベルでの交流を次世代に繋げていきたいです。」とIDFCの将来への熱い想いを語った。「次は日本でも開催したいですね」、橋本さんとIDFCの新たな挑戦は始まっていた。
お問合せ先:idfc.mj.2014@gmail.com
IDFC公式HP:http://idfc2014.strikingly.com/
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