白川先生は、1910年4月9日、福井県生まれ。小学校卒業後、大阪の法律事務所で住み込みで働きながら、勉強を続けます。漢字の源である甲骨文字・金文の綿密な解読に基づき、古代中国の社会と文化を理解し、それまでの学問を一新する「白川学」を構築します。そこから、「白川文字学」が生まれました。一方で、70歳を越えてから、自らの文字説による字源字書『字統』、日本語と漢字の出会いを探った古語辞典『字訓』、漢和時点の最高峰『字通』の字書三部作を刊行し、多くの読者に衝撃を与えました。これらの業績により、1998年文化功労者として顕彰され、2004年に文化勲章を受章しました。
白川先生の研究は、法律事務所で働いた経験からはじまっています。そこには、漢詩集をはじめとする多くの蔵書がありました。白川先生は、それらの蔵書を自由に読むことを許されていました。読み進めていくうちに、「東洋」という言葉に心を惹かれていきます。日本最古の詩集『万葉集』と中国最古の詩集『詩経』との比較をしたい。そのためには、中国の古代文字を勉強しなくてはならない。そのような問題意識から白川先生の研究がはじまりました。
白川先生の学問スタイルは、まず原資料の甲骨文・金文をトレーシングペーパーによって書き写しを行うものでした。文字の成り立ちやつながりを、体で感じ取るためです。膨大な量を書き写す地道な作業から、白川学の体系の基礎となる「(サイ)」を発見したのです。(詳細はコラムを参照)。
研究成果を発表する場を自らつくったエピソードもあります。当時は白川先生の甲骨文・金文字研究を出版してくれる出版社はありませんでした。そこで、研究成果を自ら油印で印刷し、発行していたのです。「サイ」を発見した論文も油印の印刷でした。
「口」のつく漢字の中には、「くち」という意味だけでは字の成り立ちが説明できないものが数多くあります。白川先生が45歳の時に古代の人々の暮らしを研究し、「口」が「
(サイ)」(載)を表していると発見したことで、説明がつかなかったことの多くが明らかになりました。「
(サイ)」とは「祝詞(人が神に願い事をするために書いた文)を入れる器の形」です。神事は政治や民間の暮らしに深く関わりがあり、漢字がそれを表現しているのです。漢字を通じて、古代人の思想も浮き彫りにすることができたのです。
白川先生といえば、一般的には漢字の専門家というイメージが強いかもしれません。しかし、白川先生の研究目的は、文字の研究を通じて中国古代社会の構造を明らかにすることでした。漢字一つひとつを徹底的に見直して、中国古代社会の宗教性に満ちた実態を明らかにしてくれました。漢字の持つ音ではなく、意味に着目し、壮大な微動だにしない体系を構築したのです。近代まで東洋の共通文化であった漢字には、現代になり徐々にその地位が低められつつあります。白川先生は、「東洋」という理念、東北アジア文化の共有性の崩壊を懸念され、東洋文字文化の普及に尽力されてきました。
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