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[「政策過程モデルの検討」目次]
5.おわりに
村松の内環・外環モデルは、国会議員や高級官僚に対するサーベイ・リサーチを主たる分析用具の一つとして著された『戦後日本の官僚制』に掲載された。そのため、このモデルは実施されたサーベイ・リサーチによる知見から作り出されたものと考えられる向きがあるが、村松自身の述懐にもあるように、実際には「主として所得倍増政策と地域開発、それに六〇年安保に関する考察(村松1981、 298頁)」に基づいて提示された升味準之輔の五五年体制論(升味1969)から示唆を受けて作り出されたもので、これに、石田雄の「別系列」組織論(石田1960)で語られた集団の棲み分けが加味されているもの、と見ることができる。したがって、データは七〇年代中葉のものを扱いながら、モデルそのものは古典的な五五年体制論の色彩を色濃く持っていた。その意味で、村松モデルは古典的な体制上の争点が価値を逓減させてきた現代のモデルとしては多くの違和感をもたれつつもデータによる吟味があまりなされてこなかったと言える。
これに対して、一人は利益集団に対するサーベイリサーチから得た知見をもって、一人は政策規定説による演繹的モデル構築と大蔵省のケーススタディからの知見をもって、二人の論者が異議を申し立てた。二人の反対者のスタイルはかなり異なるが、いずれも村松モデルの「包括性」に疑義を呈するものであった。
本稿では官僚の認識を示すデータから、二人の論者の指摘するように、村松モデルの「政策過程」をさらに細分化することができるのか、また、細分化することに理論的な意味はあるのか、を検討した。その結論として、「政策過程」には参加者がオープンな多元的相互調節の過程以外に、限られた参加者による総合的、長期的なものを見とおしての過程が存在することがわかった、としよう。
山口二郎は理論的に設定した「戦略過程」を財政政策を通じて検証し、現在は大蔵省の優位は失われたと語っている(山口二郎1987)。官僚絶対優位の競技場としての「戦略過程」は消滅しているかもしれないが、「戦略過程」を官僚優位論と切り離して考えるならば、おそらく、「戦略過程」で示されているものは、真渕が示した「政治過程I」と多分に重なるところを持ちつつ、現代においてもなお有効な概念であろう。自民党一党優位の体制のもとにおいては、長期戦略は自民党の政権維持戦略であり、官僚だけで、自民党の有力政治家抜きに長期的な戦略策定は出来ないであろう(12)。参加者を官僚だけに限るわけではないが、参加者の限定された体制維持を主眼とする政策過程が、村松モデルにおいて抜け落ちていた重要な政策過程ではないだろうか。先にすでに述べたことを再論すれば、政・官上層部の統治連合が担う体制維持のための政策過程が、不毛なイデオロギー対立や個別的な利益配分とは別のものとして、明示的には区別されていなかったのである。
本稿においてモデルの検証に利用したサーベイなどと同時に、「政治過程I」の存在を前提とした「政治過程III」の事例研究、「戦略過程」の存在を前提とした「利益過程」の事例研究、また、その逆を蓄積することによって、モデルと実証の対話をさらに推進し、政治構造、政治体制をも理論的射程に入れた政治過程研究が進められねばならないことの指摘をもって結語としよう。
最後に本稿で用いたデータの限界についても一点だけ指摘しておこう。この意識調査のサンプルからは外務省、文部省、警察庁、防衛庁など、広義のイデオロギー政策(顕在化した激突も潜在的な教化策も含むということ)や山口二郎のいう「政争過程」を導出する「構造的・概念提示」政策への関りが大きいであろう省庁が除かれている。ゆえに、このデータから見える政策過程の構図には一定の限界がある。また、高級官僚の認知データのみを材料に言えることには限界があることも確かである。しかし、こうした調査による問題発見的研究がモデルの妥当性を試し、そのことが翻って調査の設計の妥当性を試すのである。