佐藤満HomePage] [「福祉国家の構造と政治体制」目次

収斂理論

(福祉国家の政治構造論争の始まり):ウィレンスキー


 当人は自分の議論がそのような単純な分類をされてしまうことには納得がいかないと言うかもしれないが、ハロルド・L・ウィレンスキー(Harold L. Wilensky)をひとまず、この収斂理論の代表に挙げておこう。福祉国家研究においては古典としての地位を確立した彼の『福祉国家と平等』において、その主たるねらいとして「都市型産業社会(urban-industrial societies)に関する収斂理論(convergence theory)」の検証を挙げているのであるから(Wilensky 1975, 訳書、一六頁)
 ウィレンスキーの議論は、世界の六四カ国をサンプルにして、従属変数として福祉事業への公共支出をとりあげ、これに対するさまざまの説明変数をテストすることにより福祉国家を形成するについて大きな影響力を持つ事項を確定して行こうというものであった。すなわち、「イデオロギー、政治体制、経済は、福祉国家の発展と真の福祉成果に対してどのような影響を与えているのであろうか?」(訳書、五一頁)というのが、この書物に課された課題であった。

社会保障支出、軍事支出、高等教育就学率(64カ国)
1人当りの要素費用GNP(1966年)で64カ国を四分位にランク付けしている四  分  位  平  均
米ドル換算でみた1人当りのGNP(ドル)(1966年)GNP比率でみた社会保障支出(%)(1966年あるいはその最近時点での数字)GNP比率でみた軍事支出(%)(1966年あるいはその最近時点での数字)20〜24歳までの総人口の高等教育就学率(%)(就学者数/20〜24歳の総人口)(1966年あるいはその最近時点での数字)
第1・四分位(先進国16カ国……合衆国からオランダまで)2,07313.83.813.5
第2・四分位(チェコスラヴァキアからギリシアまで)94810.14.512.0
第3・四分位(キプロスからエルサルバドルまで)3724.02.84.1
第4・四分位(ガーナからアッパー・ボルタまで)1562.54.02.1
訳書、六○頁)

 そして、結論は、福祉事業への公共支出の差を説明するのは主として経済水準であり、イデオロギー、政治体制などは大きな説明力を持たないというものであった。六四ヶ国の福祉事業への公共支出とその他の変数を統計処理しパス解析を行った結果、「長期にわたってみると、経済水準が福祉国家の発展をもたらす根本的原因である」(Wilensky1975, p.47, 訳書、九八頁)としている。この根本的原因が福祉国家発展に直結するのではなく、これに二つの変数を加えて因果のパスを形作り、マクロな説明モデルを提供している。
 すなわち、経済水準の発展が、人口構造の変化(出生率の低下と高齢化)をもたらし、福祉ニーズを作り出す。そして、ひとたび、こうしたニーズに対応して福祉プログラムが作り出されると、それはやがて成熟し、適用範囲を拡大し給付の増額を計る動きが始まる。こうして経済発展は、福祉国家発展の主因ではあるが、それは、長期的には人口構造変化の圧力と福祉事業を主管する官僚制の自己増殖を介して、福祉国家発展に結び付いている、とされるのである。この説明モデルはこれだけで決定係数八三パーセントと非常に高く、「その結果は、イデオロギー、政治体制、軍事支出といった項目を含めようと含めまいと変わらない(Wilensky 1975, p.47, 訳書、九八頁)」とされる。  こうしてウィレンスキーの所説は、経済発展が福祉国家を招来するという意味の収斂理論を実証して見せた、ということになる。

社会保障支出(22カ国 要素費用GNP対比)
オーストリア21.0東ドイツ16.4カナダ10.1
西ドイツ19.6イギリス14.4スイス9.5
ベルギー18.5デンマーク13.9オーストラリア9.0
オランダ18.3フィンランド13.1イスラエル8.0
フランス18.3ノルウェイ12.6合衆国7.9
スウェーデン17.5ニュージーランド11.8日本6.2
イタリア17.5アイルランド11.1
チェコスロヴァキア17.2ソ連10.1
訳書、七三頁の表より抜粋)

 ウィレンスキーが利用したデータを見れば、一人あたりGNPが一九六六年時点で三、五四二ドルの合衆国を筆頭とするOECD加盟諸国から五○ドルのアッパー・ボルタまでの広がりを持っている。この広がり具合からすれば、「福祉国家」を達成していた先進国間にあるほとんどの差は吸収されてしまって、「福祉国家」を達成した国と未だそこに至らない国の間の比較をすれば、「福祉国家」の形成、すなわちウィレンスキーの定義によれば、公共支出のかなりの部分を福祉事業関連に支出できるようになることについては産業化の進展が主因である、という結論となるのも当然であろう。公共支出のかなりの部分を福祉政策にあてることのできる国は世界の中では限られているのである。視野を文明史的に広くとるならば、産業化の進展こそが福祉国家の原動力である、という解釈は否定し得ないものであろう。
 しかし、ひとたび視野を限定して、たとえばOECD加盟諸国のみに限れば、等しく「豊かな社会」の到来を見ながら、福祉政策への公共支出にかなり大きな差異があることはもとより、定量的には同程度の支出であってもそれをもってなされる政策の内容、対象などに国によるかなりの相違があることが知られている。ウィレンスキー自身もまた、世界大の比較を行って収斂理論の検証を行った次の段階で、先進諸国に見られるこうした政策上の差異をもたらすものは何なのかに関する研究に進んでいる。
 『福祉国家と平等』の段階で、いくつかの社会構造上の変数が「中範囲の理論」として一定、先進諸国間の福祉支出の差異を説明するとしている(訳書、一一一頁)。先進国で福祉国家がもっとも発展し、それを支えるイデオロギー(彼はイデオロギーはむしろ従属変数であるとする)も最も強力となるのは、彼の整理によれば以下の場合である(訳書、一三八頁)
 1.社会移動が緩やかで、大規模で強力に組織された労働者階級が存在し、中央集権化された政府が彼らを動員することが可能で、彼らの要求に応えていかなければならない場合。
 2.中流大衆が、富裕者階級、中産階級上層と比較して、彼らの租税負担を不公平なものとみなしておらず、貧困層との間にも大きな社会的距離を感じていない場合。
 3.租税制度がきわめて目に見えにくい形で存在しており、自営業の経験をもつ者が少なく、私的福祉制度も制限されているような場合。
 こうして、収斂理論にそった主張を行ったとされる『福祉国家と平等』の段階で、すでにいわゆる先進国間の福祉事業のあり方の違いへの周到な目配りを見せていたウィレンスキーは、一九八○年代に入って「危機」を喧伝され始めた福祉国家について、厳しい挑戦を払いのけることのできる政治経済体制とそうでない体制の区別を行っている(Wilensky 1981)。彼が福祉国家の体制を論ずる時のモデルとして考えたものは以下の3つである。
 1.協調主義的民主主義(corporatist democracies) これは、特に労働組合、使用者団体、職業団体などの利益集団が集権的に強力に組織され、相互作用し、集権的な政府が法によってもしくは非公式の合意をもって彼らの進言を入れるよう決められているような体制で、オランダ、ベルギー、スウェーデン、ノルウェイ、オーストリアがこれにあたり、徐々に西ドイツがこれに近づいている、とされる。
 2.労働の完全参加なきコーポラティズム(corporatism without full-scale participation of labor) 日本、フランス、そしておそらくスイスがこれに属し、これらの国々の間で国家官僚制の強さに差はあるものの、ビジネスコミュニティが政策決定・執行に特権的な地位を有していることを特徴とする体制である。
 3.断片的かつ分権的な政治経済体制(fragmented and decentralized political economies) アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアがこれに属す。
 もちろん、第1のものが最も福祉国家に親和的である。

 さて、こうしたウィレンスキーの研究の発展をどのように理解すればよいか。
 ウィレンスキーは、『福祉国家と平等』において収斂理論の検証を行うと明確に宣言し、また、これを検証したとしている。世界は巨視的には収斂するが、視点を変えて「福祉国家」を達成している国々だけを見たとき、その差異を説明する中範囲の理論としての政治体制関連の変数への言及がこの書物ではなされたと考えるべきなのであろう。その後の彼の研究は先進諸国間の類似点ではなく、相違点とその拠って来たる所の解明に進んでいるようであるが、巨視的に見て大同小異の先進国は収斂したと言えるとして、その先進国間の差異を説明する中範囲の理論の検討に進んだということなのだと考えられる。先進国に限定してしまえば、福祉国家のありようにマクロな影響を与える社会経済的変数は有意性を失い、政治体制関連の変数が一定の有効性を持ってくるのである。

   ともあれ、ウィレンスキーの研究は、後の発展も考えると少し分かりにくくなるが、一般には収斂理論、すなわち、国家は産業化の帰結として必然的に福祉国家に向かい、そうした福祉国家をもたらす原動力は産業化そのものであって政治的なものは関係ないとする「政治変数無効(Politics doesn't matter.)説」の代表と考えられている。
 福祉国家をめぐる政治体制の議論は、かなりの影響力を持ってしまった彼の言説に対する「政治変数有効(Politics does matter.)説」の側に立つ人々の反論を出発点とする、という捉え方もできると思われる。もちろん、本稿のような解釈をすれば、この両者はまったく対立するものではなく、単なる視点の違いであり、ウィレンスキー自身の研究のなかにすでに後者の論も含まれている、ということになるのではあるが。
 以下では、政治的変数に注目してそれにより福祉国家や政策出力の差異を析出していこうという議論を行った論者を幾人か取り上げる。こうした論者の議論を、社会的な政治勢力自体に原動力を見ようとした政治勢力重視論と、国家構造それ自体、もしくは国家アクターに主たる原動力を見ようとした議論に分けて検討してみよう。


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