佐藤満HomePage] [「福祉国家の構造と政治体制」目次

国家構造、国家アクター重視論─2

(社会的学習の理論):ヘクロウ


 本稿の最後に検討の爼上に乗せるのはヒュー・ヘクロウ(Hugh Heclo)である。彼のスウェーデンとイギリスを対象とした浩瀚な比較政策過程研究Modern Social Politics in Britain and Sweden: From Relief to Income Maintenanceは、本稿で取り上げたどの論者の論稿よりも早く刊行されている。その意味では本稿は時系列的な順序はまったく無視していることになる。この位置に彼の研究を置くことは、むろん、国家アクターとりわけ行政官僚制内部にいるアクターたちの動きに注目する研究であるから、論述の順序から言ってここへ来るということであるわけだが、彼の議論はこれまで論じてきたさまざまな論者の議論のすべてを包摂していると考えられるからでもある。
 もとより、ワイァとスコッチポルの議論も、福祉国家の成立に影響を与えた原因として唯一排他的な原因を発見したとか、決定的な普遍的原動力があるとかの主張を行っているわけではなかった。彼女たちのスタンスは分析の際に見落とされていた要素を、従来の議論に付加して議論することで分析はさらに豊かになるというものであった。いわゆるステイティストたちは、社会経済側の諸変数で何らかの事象が説明されるのにかえて国家アクターの自立的行動や国家の構造で説明したい、というのではなくて、社会経済側の諸変数に加えて、これまで無視されてきた彼等の強調する諸変数も説明に用いることで、分析をリアルなものにしたい、という希望を持つ人々であるととらえることができる。そういう意味では、はじめから彼等の議論は他の論者の議論を排除するものではない、ということが言える。
 ヘクロウは英瑞両国の失業保障の制度、一律の老齢年金、退職後の給与スライド型の年金のそれぞれの政策形成過程を比較検討する。その際に何がそうした政策の形成に決定的な力を持つかについては断定的なことは述べない。彼の整理では政策変化の背後にある政治的諸力の解釈には四種のものがある。それは、第一に選挙過程や政党の競争が影響するというものであり、第二は利益集団の力が大きいというものである。第三は、特に社会政策のような領域では行政官僚や国家組織が力を持っているというものであり、第四は、そうした政治的諸力を超えて大きな影響力を持つものは社会経済的変化であるとするものである。
 ヘクロウによればこれら四種の解釈は互いに排除しあうものでもないし、また、現代社会政策の発展を余すところなく説明するものでもない(pp.6-8)。真実は多かれ少なかれそれらの混合されたものにあるとするのである。また、社会政策の形成因を探ろうとする研究の陥りやすい傾向として、政治的要素の働きを時間を通じて相互作用するものとして捕えるのでなく孤立させて見ることで主たる決定因として浮かび上がらせようとしたり、政策形成における政治の役割をほぼ排他的に権力の問題と考える解釈を行ったりするとして注意している(p.9)
 前者については主たる決定因や主たる決定者を性急に探ろうとせず、政策形成のリアリティにまず迫るべきだ、ということであるし、後者については、政治はその源を権力だけでなく、不確実性にも有している、という彼の主張につながっていく(p.305)。つまり、対立があるとそこに政治があり政治は権力の所有者、権力の関係を変えることでそれを解決するという解釈だけでは、社会政策の分野は特にわかりにくいという主張である。政治の源として、不確実性がある、というのは対立以前の問題で人はだれも何をどうしていいかわからないということがある、ということである。ヘクロウにおいては政府は「power」するだけでなく、「puzzle」するものなのである。こうして、前者の注意点がさまざまな要素すべてに目配りすること、を指し示していたとするなら、後者の注意点はまさに社会経済的関係から独立して行動する国家アクターや国家の制度装置の政策形成への知的なコミットメントを示唆していることになる。
 先に上げた四つの政策変化の原動力について彼が比較事例研究を行った末に得た結論的コメントを記しておこう(pp.288-304)。まずは社会経済的発展から。彼はまず、政治的変数と社会経済的変数は互いに排除しあわない、とする。アリストテレス的分類をすれば、社会経済的要因は物質的要因であり、政治的要因は作用因であるということで、物質的要因は社会政策の過程の始まりであって、終わりではないとするのである。このコメントなどはキャッスルズの「敷居」の概念に通じるものがある。
 つづいて、その作用因たる政治的要素について彼のコメントを取り上げると、検討された事例に関していえば、選挙は直接的には重要性を持たない、ということである。政党は直接的な寄与は少ないとしても政策形成に向けての社会のムードを形成する役割を果たしてきたとされる。利益集団は、特に特定の政策について直接の利害関係を持つ人々の恒久的な利益集団は、全政策過程を通じてかなりの影響力を行使する。
そして、事例の検討を経た上で、彼が最も重要性を強調するのが行政官僚制の力である。「政策が単に意図された行動ではなくて、意図の結果として実際に生じたものとして理解されるならば、公務員の位置は現代社会政策の展開において決定的に重要である。政治的諸要因の中から一貫して最も重要であったものを選ばされるとすると、英瑞の官僚制は検討された政策の過程において他を圧していた。(p.301)」とする。政策が社会の諸条件の矯正として展開するならば、また、社会の成員が何をしてよいか、自分が何を望んでいるのかがわからないというときには、公務員は社会の矯正さるべき諸条件を確認し、これを処理するための具体的選択肢を作るに当たって指導的な役割を演ずることになるのである(p.302)
 こうした一連の検討を経てヘクロウがたどり着いた概念が「学習としての政治」というものであった。政策決定は権力の作用でもあるがすぐれて知的な作用でもある。「多くの政治的相互作用は政策を通じて表現された社会的学習の過程からなる(p.306)」のである。

 学習としての政治という観点からスウェーデン福祉国家を振り返れば、国家の制度装置の中に政策問題の調査検討を行う機関や、そうした審議会の答申をさまざまの関係団体の視点から洗い直す手続きを埋め込んでいると見ることができるこの国のシステムは、まさに現代社会政策を発展させるのに非常に好都合にできており、そのなかで、審議会に参加した政治家、研究者、エリート官僚たちは、社会的学習に大いに貢献した、ということが言えるのであろう。
 ヘクロウの研究は、福祉国家の原動力をめぐるあらゆる議論をその内に含みながら、流れるように歴史を語っているのである。

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