立命館大学人文科学研究所は、グローバリズムが、政治や経済、文化や社会の諸領域に生み出している諸問題を理論的に解明し続けています。

立命館大学人文科学研究所

人文科学研究所について

トップ > プロジェクト研究2007年度 > 近代日本思想史研究会 > 第3回

2007年度研究会報告

第3回(2007.9.21)【夏季集中研究会】

テーマ 『日本における上院観の展開をめぐって』
報告者 吉田 武弘(文学研究科)
報告の要旨

本報告では、日本における貴族院の位置づけについて、貴族院制度制定者の意図、その意図がどの程度社会的コンセンサスを得ていたかという観点から考察を加えた。 議院内硬派の特色とされた「国利民福の院」「独立自主」といった上院像は、貴族院制度制定者においても強く意識されており、制度制定段階から相当の配慮がなされ、英国上院を模範とする「貴族的要素」の必要性が認識されていた。 またこうした志向は決して当時の「藩閥政府」において特有のものではなく、民間の憲法構想においても、多くが華族議員を含む上院構想を有し、「下院の独裁」に歯止めをかける上院の必要性を政府と共有していた。しかし、衆議院のように具体的存在背景を有せず、抽象的理念に立脚する貴族院は、常にその正当性を発信し続けなくてはならない宿命にあり、これが後に幾度も起こる貴族院改革問題の内発的動機となったのである。

討議の内容

まず、本報告が思想的側面の解明に終始し実際の制度運営段階における事例との関連の解明が不十分となったことに対して疑義が出された。 これに対し報告者は、制度制定時における思想的背景を踏まえた上で具体的事象の検討に入るという研究意図を説明した上で、出された疑義は今後の課題として想定している旨回答した。また、日本がモデルケースとした英国など欧州との歴史的背景の違いに留意する必要に対して指摘があった。 また、実際の政治過程において政府と下院が接近し三極体制が実質的に崩れてくる中で貴族院がどのような意味を持ちえたかという点を考慮する必要性についても指摘がなされた。

吉田 武弘

テーマ 『憲法発布をめぐる商業メディア』
報告者 福井 純子(文学部非常勤講師)
報告の要旨

大日本帝国憲法が発布された1889年は、徳川時代以来の古いメディアと維新以後の新しいメディアが並存している時期である。新旧の商業メディアは、この憲法発布というイベントに対していかなる動きを示したのか、またそれはどのように受容されたのかについて報告した。

まず書物に関して、誰が買い求め、誰が読むのかという視点から、国会図書館などに現存する1889年から1890年の2年間に出版された150点を超える関連書籍を紹介し、民権家植木枝盛の「購書目記」「閲読書目記」、また1888年版の「共益社貸本目録」と比較対照した。関連書籍の出版地を見ると、東京や大阪、京都などの徳川時代の出版の中心地にとどまらず、地方都市にまで広がっており、また内容も専門家向けの大部なものから、振り仮名付の庶民向けのものまで実に幅広い。

つぎに東京大学明治新聞雑誌文庫、早稲田大学、横浜開港資料館などに所蔵されている錦絵、石版画の一覧表を示した。それらの図像を発布式、鳳輦、祝祭に分類し、従来の研究ではもっぱら天皇の描き方に注目が集まっていたが、実際にはなにが描かれているのかを明らかにした。すなわち発布式では、a.宮中正殿の天井、壁面、シャンデリア、b.玉座周辺の剣璽、御璽、憲法原本、それらをささげ持つ人物、置き台、c.描かれている天皇、皇后、政府高官など、鳳輦では二重橋などの背景、6頭立ての馬車、天皇、皇后、従者、山車、観客、祝祭では山車、緑門、役者、芸者、観客などである。

さらに発布式や鳳輦の錦絵、石版画は物語性が薄く面白みにかけるが、役者絵や美人画に連なる祝祭図、さらには地域住民が参加した祝祭図への関心を歌舞伎役者の動向や、動員された小中学生の行動から説明した。かかる錦絵、石版画を買い求める契機として、記念であり、新聞では得にくい図像情報であり、娯楽性であろうと結論した。

報告後の討論の中で、長谷川時雨の『旧聞日本橋』に憲法発布関連の記述があること、階層別の視点を入れることなどの助言を得た。

福井 純子

テーマ 『戦後沖縄の「地域」における教員の役割について―社会運動の形成を軸に―』
報告者 櫻澤 誠(文学研究科)
報告の要旨

守党対革新三党という保革対立軸が規定路線となっていく上で、1960年4月の復帰協結成が与えた政治的インパクトは大きかったといえる。復帰協結成時点においては、復帰協に集った三党(社大党、人民党、社会党)は互いに対立しており、社大党はむしろ沖縄自民党に近い立場にあり、「革新」とはみなされていなかった。 そのようななか、先行研究では注目されていないが、1961年12月の那覇市長選における初の三党の共闘成立が、革新三党が共闘していく上での重要な画期であったと考えられる 。また、1961年に軸が形成されたことは、その後の「本土」革新勢力への歩み寄りをする前提としても重要な意義を持つといえる。それ以降、「本土」自民党と沖縄自民党の「保守」に対し、「本土」革新政党と復帰協に集う沖縄革新三党の「革新」という図式ができていく。 その後、復帰運動の展開過程のなかで、革新三党も共闘の機会を重ね、教公二法阻止闘争によって、保革対立が決定的となったのち、三大選挙をむかえることになる。

櫻澤 誠

<<一覧に戻る

所在地・お問い合わせ

〒603-8577
京都市北区等持院北町56-1
TEL 075-465-8225(直通)
MAIL jinbun@st.ritsumei.ac.jp

お問い合わせ

Copyright © Ritsumeikan univ. All rights reserved.