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2007年度研究会報告

第4回(2007.10.26)

テーマ 『長谷川如是閑のナショナリズム論 ―「戦後」の論稿を中心に―』
報告者 織田 健志(同志社大学法学研究科)
報告の要旨

長谷川如是閑(1875-1969)といえば、大正デモクラシー運動のオピニオン・リーダーとして、とりわけ国家やさまざまな社会制度に対する鋭利な批判を繰り広げた言論人として今日その名が知られている。1930年代以降、如是閑は主たる言論活動を日本文化論に移行してゆくことになるが、この点に関して、先行研究の多くは、批判性の後退や「転向」というように消極的にしか取り上げてこなかった。本報告では、如是閑の主著の一つである『日本的性格』(岩波新書、1938年)を中心に、ナショナリズム論の視角から彼の日本文化論の思想的意味について若干の検討を試みた。

如是閑の日本文化論において、とくに顕著なのは、観念的で排外的な「日本主義」や「日本精神」論に対する痛烈な批判である。『日本的性格』のはしがきで、如是閑は「国民的性格」とは「先天的」に定められたものではなく、「社会形態や文化形態の構成、発展とともに構成せしめられ発育せしめられたもの」と述べている。それは歴史的に形成されたものであり、つねに「涵養さるべきもの」であって「拘泥すべきものではない」という。その意味で彼の日本文化論は、いわゆる「日本精神」論に対するイデオロギー批判として理解することができる。

だが、それだけではない。如是閑が「日本的性格」という言葉で、文化論の次元でリベラル・デモクラシーの価値を追求していた点を、われわれは見落としてはならない。「日本的性格」の特徴として、如是閑は日本の文化が「全国民的文明」であった点を強調する。平家物語のような文学が琵琶法師を通して庶民にまで広まっていたように、西洋や東洋の古代文明とは異なり、国民の上層と下層、都市と地方との格差がなかった。その意味で日本文化には、早くから「全国民的意識」が見られるという。こうした議論は、のちに敗戦後の皮相的な民主主義の受容を批判する形で、「文化的デモクラシー」として提起されることになる(「文化的デモクラシーの国」1961年)。また如是閑は、日本文化が古くから諸外国との文化的交流によって多様性を保持してきた点を「同化的傾向」として高く評価する。文化接触論に基づいて、リベラルな価値を探求する試みとして捉えることができるだろう。

そして、日本文化がもつリベラルな要素やデモクラシー的傾向を根底で支えるものとして、如是閑は「生活の文明」という点を「日本的性格」のもっとも重要な特徴であると力説する。彼によれば、「生活」とは「われわれ日本人の日常の生活」であり、権力機構としての国家との緊張関係を孕んだものとして捉えられていた。「日本的性格」という観点から人々の生活を位置づけるこうした視座は、現実の国家や支配体制への順応を高唱する「日本主義」とは似ても似つかないものであった。むしろ、如是閑の「日本的性格」という議論は、国家への帰属意識を説くナショナリティと区別された、文化や言語など共属感覚に基づく帰属意識を表すエスニシティの要素を強調する、ナショナリズム論として理解すべきではないだろうか。してみれば、長谷川如是閑の日本文化論は、リベラル・デモクラシーの価値を内に含みこんだ、国家への帰属意識に回収され得ないナショナリズム論の構想であったということができるだろう。

織田 健志

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