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2007年度研究会報告

第5回(2007.12.7)

テーマ 『日本国憲法制定と地方紙 -近畿地方を中心に-』
報告者 梶居佳広(非常勤講師)
報告の要旨

日本国憲法制定に際して日本の新聞ジャーナリズム、特に地方紙が如何なる議論を展開していたかについて、これまで日本各地のいわゆる「県紙・ブロック紙」を検討してきたが、本報告では対象を近畿の地方紙に限定し―ただし、現存する「県紙」だけでなくこの当時存在していた「新興紙」も含めて―、各紙の論調を整理検討した。

その結果、以下に挙げる事実が明らかになった。①全体の論調は、憲法草案発表までは議論自体が低調であるのに発表後は草案を支持し、国民に対する「上からの啓蒙」に終始したという他地域の地方紙のそれと類似するものであった。 ②ただし、近畿は大阪発祥の全国紙『朝日新聞』『毎日新聞』の圧倒的な影響力もあって、他の地域に比べて既存地方紙=県紙が弱体であり『京都新聞』『神戸新聞』などを除いて県紙の憲法論議はより低調であった(従って、戦時中の「一県一紙」が地方紙=県紙を有力紙にする契機になったという通説は近畿にはあまり該当しない)。 ③一方、敗戦後あらたに創刊した「新興紙」、特に京都・大阪で発行されたそれは、時事問題について多く発言し、憲法論議をもリードしていたといえる。 ④そのためか、他の地域では当初大きな論点であったものの問題の帰趨が明らかになるとともに(個々の人権の問題に関心を移し)「忘れられていった」天皇制に関する論議がかなり後々まで続けられていった。⑤また新憲法を概ね支持する点では全ての新聞が一致するが、憲法解釈(天皇の地位など)や新憲法制定の意義の理解については「新興紙」を中心に相違が残ったままであった。 この点近畿では、より急進的な憲法改革を求める『夕刊京都』や『國際新聞』の存在も大きな特色であったといえよう。⑥新憲法の意義・解釈を巡る意見の不一致は、占領終結後の「護憲―改憲」の対立を部分的であれ先取りするものであったとはいえる。ただし、占領終結に前後して(近畿を含めた)新興紙は相次いで廃刊に追い込まれたため、1950年代以降の憲法論議は全国紙が中心となった。

梶居 佳広

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