立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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2023.12.19

立命館のモニュメントを巡る(第10回)―亀岡編―

 ≪中川小十郎先生之碑≫

モニュメント第10回-1
 1993年10月、学校法人立命館は、亀岡市馬路に「中川小十郎先生之碑」を建立しました。中川先生50回忌にあたり先生の生誕の地、中川家の祖霊社に顕彰碑を建て、10月15日に除幕式が挙行されました。前日の14日には、等持院において法要を執行しています。
 中川小十郎は立命館の創立者で、館長・総長を務め、1944(昭和19)年10月7日に逝去しています。
 碑の題字は西村清次理事長、碑文は大南正瑛総長になります。除幕式で前総長谷岡武雄先生は、中川先生の座右の銘「形影相訪」を紹介し、建学の精神を思い学園発展への道を再確認していこうと祝辞を送りました。
碑文:わが立命館の初代総長故中川小十郎先生は一八六六年旧馬路村に誕生一九四四年
逝去 明治大正昭和の三代に各界にわたる多大の足跡を残された 西園寺公望公
の強い支持のもと一九〇〇年創立後先生が終生心血を注がれた学園の事業は立命
館大学を中心にすでに二〇萬人近い人材を世に送るとともに二一世紀をも目前と
する今全国に先駆けて新時代への巨大な歩みを進めている 五〇回忌に当りここ
に記念碑を建立し先生に深い感謝を捧げる
                      一九九三年一〇月七日
                         立命館総長 大南正瑛

 ≪中川人見両姓戊辰唱義碑「淸聲千古」≫

モニュメント第10回-2
 この碑は同じ中川家祖霊社にあります。
 建碑は1922(大正11)年10月。その25日に除幕式を行いました。碑文は同年2月3日。
 篆額「淸聲千古」は正二位大勲位公爵西園寺公望公揮毫。撰文は帝室編修官貴族院議員竹越與三郎、書は内閣属根岸好太郎です。建碑は中川小十郎。
 そもそも碑は、1868(慶應4)年の戊辰戦争の際に西園寺公望が山陰道鎮撫総督となり、馬路の地に初めて宿陣した際に、中川家・人見家を始めとした馬路の人々が参集し、山陰道鎮撫に従軍し維新の功業に貢献したことを顕彰した碑です。このなかに中川小十郎の実父・中川禄左衛門、養父・中川武平太、叔父・中川謙二郎などがおり、この時の西園寺公望と中川家の出会いが、のちに西園寺公望と中川小十郎を結びつけることとなりました。
 なお、建碑と合わせて『中川人見両姓戊辰唱義録』が同年10月に刊行しています。

 ≪亀岡の偉人 中川小十郎≫

モニュメント第10回-3
 2022年5月19日、亀岡市のJR亀岡駅北側の公園に「亀岡の偉人中川小十郎」顕彰碑が建立されました。碑の建立は中川小十郎顕彰会、立命館大学校友会亀岡校友会、学校法人立命館・立命館大学、亀岡市によります。
 碑文には、中川小十郎は1866(慶応2)年に亀岡市馬路町に生まれ、致遠館小学校に学び、その後東京帝国大学を卒業し文部省に入省、1900(明治33)年に立命館大学の前身京都法政学校を創立したことが記されています。そして日本の教育界に大きく貢献した郷土の偉人の碑は、中川小十郎が総代を務めた愛宕山の愛宕神社を仰ぐ地に建立されました。
 なお、5月19日は立命館の創立記念日です。

2023年12月19日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次

2023.12.06

<懐かしの立命館>高校王将への道 付属校将棋部の活動を追って

王将への道1
はじめに
 2023年は藤井聡太プロの八冠達成によって、将棋界が今まで以上に注目され、幼い年齢の子どもたちにも取り組める競技として、一躍大きなブームとなりました。
 そこで、今回は立命館学園の付属校4校における将棋の歴史と現在を取り上げてみました。

1.立命館中学校・高等学校
(1)創部 
 1954(昭和29)年版の中学校と高等学校定時制(全日制には記載なし)入学案内のクラブ活動に初めて将棋部の名をみることができることから、創部は前年の1953(昭和28)年頃かと考えられます。戦後復興の時代、中高校生たちにとって将棋が貴重な娯楽兼競技であっただろうことでしょう。当時のクラブと同好会との定義づけは資料が残されていないため区別を明確にすることはできません。
 中学校ではその後の活動記録が見られませんが、1967(昭和42)年に同好会として復活し活動を続け、1973(昭和48)年から正式のクラブとして昇格しています。
 高等学校定時制将棋部は、1966(昭和41)年の廃校と共になくなりました。これ以降では、高等学校全日制で1973(昭和48)年から同好会として活動を始め、1979(昭和54)年正式クラブへと昇格し、その後は中高合同の将棋部として活動してきました。
(2)全国高等学校将棋選手権大会への道
 高等学校の同好会であった1977(昭和52)年、団体で京都府第1位となって(全国大会の団体代表は都道府県から1校で、団体戦出場者は個人戦に出場できないという規定)初めて第13回全国高等学校将棋選手権大会(以下、全国大会)の男子団体の部に出場し、翌1978(昭和53)年の第14回大会では男子団体で第3位に入賞しています。その後も全国大会男子団体の部では1981年(第17回大会)、1983年(第19回大会)と出場し、1998年(第34回大会)での全国ベスト8を最後に全国大会団体出場は途絶えました。

王将への道2
写真1 立命館高等学校男子団体第3位

(3)その後
 1988(昭和63)年に男女共学と深草移転となってからも活動を続け、少数ながらも女子の入部者もいました。しかし、部員数が年々減少していくこととなり、2004(平成16)年に中高共に最後の部員を送り出した後、一年間の暫定的期間を経て2006(平成18)年3月で将棋部は廃部となりました。
 高校にはそれ以前から特別対応クラブという制度が認められていて、クラブがなくても個人で文化・運動面で励む生徒の活動を支えていました。この制度によって、2021(令和3)年に個人で将棋に取り組む三村陽菜さんが高校へ入学し、その年の第57回全国大会女子個人の部で5位入賞と活躍し、今年まで3年連続で全国大会に出場する活躍を続けています。これからも三村さんに続く生徒が登場することが期待されます。
 
2.立命館宇治中学校・高等学校
(1) 創部
 前身である宇治高等学校時代では、1962(昭和57)年版の校務便覧に初めて囲碁同好会が登場以来、同好会として活動を続けてきました。1994(平成6)年に立命館宇治高等学校として開校してからしばらくは活動がありませんでしたが、2001(平成13)年からは囲碁同好会として再出発し、2003(平成15)年からは将棋・囲碁同好会として活動を続けてきました。
(2)全国高等学校将棋選手権大会への道
 その後、SAプログラム(Scholar Athlete & Artist)【注1】の応援を受ける北村桂香さんが入学し、高校1年生ながら2011(平成23)年の第47回全国大会女子個人の部で優勝、翌年同大会準優勝という華々しい活躍をみせ、高校卒業後にプロの女流棋士への道を歩んでいます。
 続いて、同じSAプログラムで入学した藤井奈々さんは第50回(2014年)と第51回(2015年)の全国大会女子個人の部で2年連続優勝という大偉業を達成しました。
(3)その後
 このように個人として全国的に大活躍する生徒が誕生しましたが、現在、生徒のクラブ・同好会としての活動は途絶えています。輝ける先輩たちに続く後輩が登場することを願っています。

3.立命館慶祥中学校・高等学校
(1)創部
 前身の札幌経済高等学校から1996(平成8)年に立命館大学慶祥高等学校が創立され、2000(平成12)年に中学校が開設されました。現在の囲碁・将棋部は、その後の2010(平成22)年に創部され、中学校と高等学校の男女部員たちが共に活動を続けています。
(2)全国高等学校将棋選手権大会への道
 近年の高校生の活躍は目覚しく、2021(令和3)年の第57回全国大会女子の部に北海道代表として出場し、今年2023年の第59回大会では女子団体で準優勝となり、文化庁長官賞を受賞しています(現在の大会は全国高等学校総合文化祭の一つの部門として開催されています)。北海道勢女子の準優勝は9年ぶりの快挙でした。男子も、全国大会予選である全道高等学校将棋選手権大会の団体で第3位と健闘しています。中学生も文部科学大臣杯小・中学校将棋北海道大会の団体戦で2年連連続上位入賞と好成績を収めていて、中高で40名を超える部員たちが日々の活動に励んでいます。

王将への道3
 写真2 立命館慶祥高等学校 全国大会女子団体準優勝

4.立命館守山中学校・高等学校
(1) 創部
 立命館守山高等学校として開校された翌2007(平成19)年版の学校案内から将棋部の名前が登場しています。1,2年生の生徒たちで学校生活もクラブ活動も本格的に動き出した頃の創部で、文化クラブのなかでは開校からの早い時期での出発でした。以来、現在まで高等学校の男女部員たちで活動を続けてきています。
(2) 全国高等学校将棋選手権大会への道
 近年、しっかりと実力を備えてきていて、滋賀県内でも実力校として評価を高めています。県代表として男子団体の部で、2021(令和3)年の第57回全国大会から今年まで3年連続で決勝トーナメント進出を果たしています。また、今年開催の近畿総合文化祭(近畿大会)には県代表として団体(3名)、個人(2名)が出場していて、これからの部員たちの活躍が大いに期待されています。

王将への道4
写真3 立命館守山中学校・高等学校将棋部 ホームページから


おわりに
 現在、すべての付属校がクラブ活動として将棋に取り組んではいませんが、こうした活躍も見ていくと、いつの日か全国大会の決勝戦で立命館の付属校の生徒同士が対決する姿がみられるのではないかと期待も膨らんできます。

2023年12月6日 立命館 史資料センター 調査研究員 西田俊博

【注1】校外の活動で高いレベルで取り組み、かつ学業も高いレベルで両立しようとする生徒を応援するプログラム)

2023.11.14

立命館のモニュメントを巡る(第9回) 立命館宇治中学校・高等学校新キャンパス開設記念碑

 今回は、宇治市広野町にキャンパスがある立命館宇治中学校・高等学校の記念碑を紹介します。
 立命館宇治高等学校は、立命館が1994年に学校法人宇治学園と法人合併し、宇治高等学校を改称し開校、翌年1995年に第一期生が入学しました。
 そして2002年に宇治市三室戸から広野町の新キャンパスに開学・移転し、翌年2003年に立命館宇治中学校を開校しました。
 今回紹介する記念碑は、新キャンパスの開学、立命館宇治中学校の開校に伴い設置されたものです。
モニュメント第9回-1
【學然後知不足】

 正門を入り校舎への階段を昇る途中に大きな「學然後知不足」の碑があります。
 「學然後知不足」は、中国の史書『禮記』にある「學然後知不足 教然後知困」(学びて然るのち足らざるを知る、教えて然るのち苦しむを知る」から採られています。書は学祖西園寺公望が、大正4(1915)年に須磨に逗留した際に揮毫したものです。立命館宇治中学校・高等学校のキャンパスに設置されているのは、生徒たちに学ぶことの意味と、学祖西園寺公望が揮毫したことを伝えることにあるのでしょう。
 学校には銅板の碑のほかに、中学校のすべての教室に扁額「學然後知不足」が架けられています。教室でも生徒たちは西園寺公望が伝える教えを日々学んでいます。
 西園寺記念館にも同じ銅板の扁額がありますが、陶庵主人公望のあとに「書於須磨寓居」とあります。
モニュメント第9回-2
【各教室の「學然後知不足」】

 もう一点、校舎の際に「自由と清新」の碑があります。こちらは立命館宇治高等学校の初代校長増田潔の書になるものです。
 「自由と清新」は立命館の建学の精神です。西園寺公望や創始者中川小十郎が直接語った言葉ではありませんが、学園の歴史から、戦後末川博総長が学園の性格を「自由で清新」と述べるなど、建学の精神としてきています。
モニュメント第9回-3
【「自由と清新」碑】

 立命館宇治中学校・高等学校の教育理念は次のように謳っています。
≪教育目標≫
 本校は、立命館の建学の精神「自由と清新」と教学理念「平和と民主主義」に基づき、卓越した言語能力に基づく知性と探究心、バランスのとれた豊かな個性、正義と倫理に貫かれた寛容の精神を身につけた未来のグローバルリーダーを育成し、世界と日本の平和的発展に貢献する。
≪理想とする人間像≫
10項目の理想とする人物像
 「究(探究する人)、知(知識のある人)、考(考える人)、話(コミュニケーションができる人)、義(信念を持つ人)、寛(心を開く人)、仁(思いやりのある人)、挑(挑戦する人)、健(バランスのとれた人)、省(振り返りができる人)」 (内容は略します。)

 2023年5月現在の生徒数は、
  高校1年409名、高校2年401名、高校3年420名で、男子633名、女子597名、計1230名
  中学1年178名、中学2年172名、中学3年178名で、男子277名、女子251名、計528名
  です。
 
   「教育目標」「生徒数」は『学校要覧 2023年度版』による。


2023年11月14日 立命館史資料センター 調査研究員 久保田謙次

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