「この1年間、昨年の優勝から苦しかった時が多かったので、色んな思いが頭をよぎってウルっとしましたが、やっと実力が発揮できた」と、噛みしめるように喜びを語ってくれた川元さんは、2022年9月「天皇賜盃第91回日本学生陸上競技対校選手権(以下、日本インカレ)」の男子十種競技で大会2連覇を果たした。この1年、十種競技の大学チャンピオンの重圧と戦ってきた川元さんにとって、心も身体も最高の状態で試合に挑むことができた日本インカレは、男子陸上競技部の主将として挑む4年目のシーズンへのターニングポイントとなる大会となった。「走・跳・投」のすべてを競う過酷な競技の覇者に、世界にも目を向ける今の心境を聞いた。

地道で泥臭い練習の日々。それでも前を向いて取り組んだ

「キング・オブ・アスリート」の称号が与えられる十種競技。川元さんは中学の陸上部で四種競技と出会い、高校では八種競技、大学からは十種競技に取り組んでいる。高校3年生のときにはインターハイ8位入賞の実績を持つ川元さんだが、大学入学直後に右ハムストリングを怪我してしまい、1回生のシーズンは治療に専念することに。「中学生の頃から『全国で優勝したい』という気持ちを持ち続けて陸上を続けてきました。怪我をしたときは意外と冷静に『大学4年間で目標を達成する』という気持ちで、すぐに頭を切り替えました」と話す。コーチにも自分の気持ちを正直に伝え、復帰に向けた地道なトレーニングを積んだ川元さん。毎日泥臭く練習に打ち込む日々を振り返り、「あの時期も今となっては楽しかった」と当時を語る。長く苦しい時期を乗り越えて復帰した2回生の秋、悲願の大学王者となった。

3回生の春、思わぬ敗戦。

大学王者として挑んだ大学3年目のシーズン序盤。川元さんは、競技に対して心と身体のバランスを保つことができなかった。周囲には優勝して当たり前という雰囲気があり、練習に熱が入らない日々を過ごした。その結果、シーズン開始直後から思うように身体が動かず、2022年5月の「関西学生陸上競技対校選手権(関西インカレ)」では優勝を逃してしまう。「負けたのが本当に悔しくて、自分の闘争心に火がつきました」。負けたことで、ようやく我に返った川元さん。日本インカレまでの3カ月間、技術も身体もすべて一から鍛え直したという。負けてからは、「苦手な種目を中心に、専門のコーチや選手、外部コーチにも貪欲にアドバイスをもらい、できることすべてやった」とその変化を語る。

大学王者として挑んだ日本インカレ

2日間かけて行われる十種競技。日本インカレでは、1日目に100メートル、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400メートルを競い、2日目に110メートル障害、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500メートルで合計得点を争った。川元さんにとって「連覇」という重圧がかかる大会。しかし、「自分にできる最高の準備をしてきた自信があった」と、強い気持ちで臨んだ。

初日のパフォーマンスは、「走り高跳びだけが少しよくなかったのですが、他はいつも通り」。ただ、富山大学の小坪聖人選手の調子が非常によく、川元さんは初日を2位で終えた。「十種競技は勢いがある人が逃げ切って優勝することがあります。(小坪選手は)去年の自分を見ているような感覚でした」と振り返る。「追いつけるのか?」と、一瞬不安が胸をよぎったが、「他人の調子は操れないので、自分のことに集中しよう」といつも通り最高のパフォーマンスを出すことを心掛けたという。迎えた2日目。川元さんは各種目安定した記録を残し、大会連覇を飾った。

日本インカレ3連覇、大会記録更新、そして世界へ

日本インカレ終了後、男子陸上競技部の主将に就任した川元さん。見据える先は日本インカレ3連覇、そして世界だ。「日本インカレの大会記録を塗り替えることも狙っています。過去の日本インカレ優勝者の中で一番になるということですから」と新たな目標を掲げた。「いつか日の丸をつけて走りたい」という大きな目標を胸に、彼の陸上人生はこれからも続いていく。

PROFILE

川元莉々輝さん

滝川第二高等学校卒業。中学から混成競技を始め、高校ではインターハイ出場。十種競技の魅力を伝えたいと大学1回生の時からYouTubeをはじめる。YouTubeがきっかけで、2年生で大学王者となった際は、タレントで十種競技元日本チャンピオンの武井壮さんと対談したことも。日々練習に打ち込むうえで、YouTube視聴者からのコメントも励みにしている。

YouTubeアカウント
かわも【十種競技な大学生】

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