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  • ISSUE 9:
  • 世界とつながる

「意味」を革新するデザイン・ドリブン・イノベーション

世界の多様なデザインの思想・文化を日本のビジネス界に還元する

八重樫 文経営学部 教授

    sdgs12|

「デザイン思考」や「サービスデザイン」などといった言葉が聞かれるように、ビジネスの世界で「デザイン」の重要性が語られるようになってしばらく経つ。しかし実際日本のビジネスに「デザイン」は十分活用されているのだろうか?

「日本で用いられているのは多くの場合、アメリカのデザインコンサルティング会社IDEOとスタンフォード大学d.schoolが提唱した狭義の『デザイン思考』です。しかしこれらがビジネスにおけるデザインの一側面に過ぎないことは意外と知られていません」と語るのは八重樫文だ。狭義の「デザイン思考」が独り歩きする現状に対し、八重樫は「世界にはデザインの思考方法やその知見の多様な蓄積があり、それを広く日本のビジネス社会に還元・流通させる必要がある」と訴える。その端緒として八重樫がまず目を向けたのが欧州イタリアのデザインマネジメントだった。

「アメリカ発のデザイン思考では、まず消費者(ユーザー)に視点を置いて考えます」と説明した八重樫。消費者の行動を分析したり、意見を聞いて仮説を構築し、製品のプロトタイプを作って検証・改善を繰り返すことでスピーディーにイノベーションを達成する。あくまで消費者を中心に据え、消費者満足を志向するイノベーションプロセスだという。「こうした消費者志向から生まれるのは問題解決型のマーケット・プル・イノベーションです。しかし多くの日本の企業が目指すのは、これまでにないモノを生み出すイノベーションであり、既存のモノから不足や改良点を考えていく『デザイン思考』はマッチしない。その乖離に気づかないと『デザイン思考』は役に立たないといった誤解を招きかねません」と八重樫は語る。

一方イタリアのデザインの思考法は、アメリカの対極にあるという。「アメリカではデザインすることがより多く売ることを意味していたのに対し、イタリアでデザインは常に哲学的な観点から理解されてきました」と背景を語った八重樫。そこで中心に据えられるのは消費者ではなく、広く人間一般だ。「消費者を満足させることよりも、人間一般ひいては人間が生きる世界にとって良いものをデザインするためのビジョンを提案することでイノベーションを追求するのです」。

こうしたイタリアにおけるデザインマネジメント論を体系化し、「デザイン・ドリブン・イノベーション」として提唱したのがミラノ工科大学のRoberto Verganti (ロベルト・ベルガンティ)教授だ。八重樫はVergantiの著作を翻訳し、その理論を日本に紹介するとともに、2015年から1年にわたってミラノ工科大学で共同研究を行った。

「デザイン・ドリブン・イノベーションは、端的に言えば製品に新しい『意味』を与えることで急進的な変化を促すイノベーションです」と八重樫。消費者志向の「マーケット・プル」ではなく、ビジョンを持つ自分が主体となって「意味」のイノベーションを起こすところが従来のイノベーションと決定的に異なる。前者が“What(人々が今使いたいモノ)”を提供するのに対し、後者は“Why(なぜこれが生活の中にほしいのか)”を考え、ビジョンを提示する。任天堂の“Wii”がテレビゲームに運動やコミュニケーションといった新たな意味をもたらしたのもその一例だ。

もう一つVergantiをはじめミラノ工科大学から生まれた注目すべき考え方として八重樫は「PSS(プロダクト・サービス・システム)」を紹介する。「PSSは商品とサービスを統合して顧客に提供し、それによってビジネスモデルを革新することまでを含む概念です」。

よく知られるのがコピー機の販売ビジネスだ。コピー機の販売にトナーなどの消耗品を提供するサービスを付加し、製品を売ることで利益を上げる従来のビジネスモデルを変革した。八重樫によると「ミラノ工科大学の唱えるPSSは、収益向上だけでなく環境負荷低減など社会の持続可能性を考慮するところに特徴がある」という。例えば製品の販売に加えてメンテナンスなどのサービスを提供することで製品が長寿命化し、大量消費・大量廃棄による環境負荷を抑えることを考える。製品のライフサイクルが伸びれば収益は減少し、企業は短期的には苦戦するかもしれないが、顧客満足が上り、企業のブランド価値が向上することで結果的に持続的に存続できるというわけだ。

「イタリアのデザインに通底する思想は、その表層的な解釈を超えた、社会の本質的な豊かさへの貢献と長期的な資産構築に向けられている」と説明した八重樫。「日本ではいまだ個別商品の機能や美観へのこだわり、企業の短絡的な利益向上に終始しているのではないか」。そう問いかけ、世界の多様なデザインの思想・文化を日本のビジネス界に還元することで、その現状に風穴を開けようとしている。

八重樫 文YAEGASHI Kazaru

経営学部 教授
研究テーマ

経営学におけるデザイン概念の考察、デザインマネジメント研究に関する知見の体系的整理

専門分野

デザイン学