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2016/1/25

No.50 第50回記念特集号 学生インタビュー vol.2
●1969年卒業:古谷 寛さん

失敗を恐れず行動する

Q:先ほど(参考:第50回)、失敗を経てきて成功があると言われましたけど、失敗はされてきたのですか?

 勘定できないくらい、めちゃくちゃある。

 学生の時ではないけれど、例えば危険とかリスクとかを予知できないという失敗。海外のショッピングモールで爆弾がセットされたと聞いて爆弾探知機で缶詰売り場を探している僕を見て、日本から来た人間は震え上ってこいつ変だと帰国する。海外に行ったら当たり前だから起こるというふうに予測しないといけないが、若い間は経験不足だから手を打てなくて失敗するということはよくある。

 手を打ちすぎて失敗するというのもある。それは企業の中のルールに反するという失敗だったけど、結果はそれが社会から見て、全体から見て良かったということもあった。例えば僕が26歳のとき転勤した人口3万人くらいの市で、近くにダイエーが土地を買いそうなので私たちの店が潰れてしまうと聞いた。そりゃ大変だと考え、ダイエーが買おうとしている土地を二千万円で手付けを打ったんだ。

 それを本社に報告すると「一千万円を超える取引は本社の取締役会の審議事項だから許さない。」と言われた。それならすぐにでも見に来てくださいと言うと、創業者で今の名誉会長が次の日一番で来られて、良い場所だと言われたけどルール違反なので処罰を受けた。せっかく26歳で課長になったのに(笑 みんな、古谷はもう辞めると言ったが、僕は悪いことをしたと思ってないから全然辞めようとしなかった。一千万円超えたら取締役会が必要なんて習った覚えがないもの。そんな高度なところで物事が行われるの、教えてくれました?と人事に言ったら「そんなこと教えるか。そういうのはやんちゃ坊主というんだと。」それで僕は企業にはやんちゃ坊主が必要なんだと気付いた。やんちゃなものがいなかったら成長しない前提がある。「正しい報告連絡」だ。だから今、イオンのDNA伝承大学ではやんちゃな人を集めているんだ。

 ルール違反で処罰を受けた後、もう土地は買ってしまったからそこにショッピングセンターを新記録の期間で作ろうと考えた。そして5月に着工して12月14日にオープンという新記録を本当に作った。開店の朝、速乾性のコンクリートを打った屋上へのスロープを、家内を車に乗せて大丈夫かどうか登ったり、降りたり。一台だけだと良いが数珠繋ぎなったらどうする?とかあれこれ試しながらなんとかオープンしたよ。そうしたら同じ年に懲罰を受けた者が幹部優秀従業員表彰を同時に受けた。これは産社で習っていた「信賞必罰」の考えだ。足して二で割らない。そして悪い事は悪い、良い事は良い、でも悪い事も良い事も過ぎたら終わり。だからその年は、給与がドンと下がって落ちた時よりもバンと上った(笑 そういう企業でないと成長しないし、だからイオンは十年に二倍、二倍って成長してきた。入ったとき100億で14店舗たったのが今は7兆円を超える。それは社長が作ったのではなく、みんな僕たちがその地域のお客さまの生活の便利に寄与することができると思うから作ってきたもの。

 でも企業が大きくなってくると、みんなサラリーマン的になってしまって、お客さまよりも自分の休みが先行する。お客さまのお給料が上ってないのに、自分達だけは上げてほしい。これはもう病気です。そもそも大きい会社に入りたいというのは個人の病気かもしれない。僕は立命館ってやんちゃ坊主をする大学だと思っている。デモだといったら一番に走って行って中川会館をいっせいに封鎖したり、封鎖したのに食べ物を持って入るのを忘れていたので僕が一生懸命チキンラーメン送り込んだり。ノンポリだろうが行動したんだ。悪いと思ったらごめんって出てきたらいいんだよ。失敗しようがまずは行動する、その元気が産社になかったらいけない。

 行動もしたし、学ぶことに飢えていたから本当に勉強した。人間っておもしろくて、いろんなことに飢えないとそれにチャレンジしないんだよ。おなかが減ったら食べる、それといっしょだ。僕はいつも学生の時にこれからどんなビジネス、事業を作ったらいいんだろうって授業中ずっと考えていた。

●古谷 寛(ふるたに ゆたか)

卒業年月日 1969年3月 卒業
出 身 地 滋賀県
現 住 所 滋賀県
勤 務 先 イオンDNA伝承大学 学長
ゼ ミ 名 -
所属サークル
団 体
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