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2016/2/25

No.50 第50回記念特集号 学生インタビュー vol.3
●1969年卒業:古谷 寛さん

学生時代のビジネスマインド

Q:学生の時から経営を?

 経営ってそんな感覚はなかった。自分で会社を作るにはどうしたらいいんだろうって考える。例えば高島屋でアルバイトをしている女の子を、当時ブームだった喫茶店に派遣することを始めた。今あるどの大手派遣会社より早かったよ。

 それと一番儲かったのは立命館のあらゆる学部の講義ノート作り。学生をアルバイトで雇って講義録とらせると、彼らも勉強になるだろ。そしてそれを半期とか四半期分にまとめて、ガリ版で切って作った。僕が卒業した昭和44年は初任給が27,800円だったけど、アルバイトでは毎月7~8万稼いでいた。お勤めしたほうが生活が悪くなるんだよ。他には千代田生命の保険のおばちゃんの教育係り等々、それが2、3回生。

 いろんなことをしたけど、会社を選ぶときは30年先を見てその会社がどうなるか?ということを予測できないとダメ。その時、その会社の顧客のマーケットがあるのかどうか。少子高齢化になっていくのだから、これからはおもしろいと思うよ。今まで対象にしてこなかった人がメインになってくるんだ。今まではファミリーショッピングなんて言って、若いママとパパが子どもとショッピングに来て、週末はじいちゃんばあちゃんも一緒に来るけど今は全然違うんだ。

 P.F.ドラッカーがマネージメントというものを発見したんだけど、彼は経営とは顧客創造であると言っている。社長は顧客を創り続けるのが仕事で、それを従業員にやってもらう。今まで一週間に一回買い物に来た人に二回来てもらったら、これが顧客創造。人口が減っていく中でも、それが増えていかないと成長していかない。顧客創造って簡単で、マーケティング×イノベーション。マーケティングとは「お客さまがこれ買いますっておっしゃる商品を予測して作る。」それがマーケティング力なんだ。それだけの話し。買わないものを作ってもしょうがない。それを見抜く力、発見する力が必要なんだ。

 だから僕はクロネコヤマトが物を宅配するならば、家事を宅配しようってカジタクっていう会社を買収したんだ。母の日のバラのギフトをキッチンやバスのお掃除のギフトに変えた。今までのバラの値段より高いカジタクの方がはるかに喜ばれた。これは新しいマーケットを作り出したんだ。まだやっていない「あったら嬉しい、欲しい」という事は世の中いっぱいあるんだ。産社ってそういう今は名もない、会社のブランド力もない会社で自分が経営者になっていく学部だと思っている。

 他には立命館にも講師で来てくれた梅原猛さんから、思想とか哲学というものを一生懸命学んだ。今も神田の古本屋街で梅原さんの本があったらためらわずに買ってくる。神々の流竄(るざん)とかを君達の年齢の時に一生懸命読んでいた。みんな歴史を読むのに日本書紀とか古事記という本を手に取るけど、その周辺ってどうなっているのかを読むのが産社学生だよ。

プロフェッショナルを目指して

Q:今の産社生に何かメッセージを

 勉強しなさい。自分が社会人になった時に、生きている限りはプロフェッショナルを目指さなくてはいけないと思う。その間口は小さいほうが良くて、例えば僕の友達に二九(ふたく)っていうメガネだけのねじ屋さんは、世界のシェアの75%を持つ。

 

Q:世界のですか?!

 そう。その為に考える力を持たなければいけないし、考えるための力をつけるには産社で学ぶこともそれ以外の知識もどんどん身につけなくてはならない。そのためには毎月15冊くらいの本は読まなくてはいけない。僕が考えたのは、毎月給料の一割を自己育成のための教育費とする。若い間っていうのは自分に投資しないと。その一割はいずれお給料が上っていくたびに増えていくから、次は外国語にも投資したらいいと思う。いまどき、日本語以外に英語だけではいけないんだ。中国語でもベトナム語でもどこでもいいから、六ヶ月間日本語を使わなかったらしゃべれるようになる。そして生涯かけて勉強していくんだ。理工学部を出た人だけが生涯かけて研究しているのはおかしくて、官公庁へ行こうと一般の企業に行こうと、研究し続けないと。だから僕は若手30代40代の人にそれを今一生懸命教えている。上司の推薦なんかいらないから、今から社長になりたいものだけに、社長をさせてみる。分からなかったりダメだったらそこを教えたらいい、そしてまた社長にする。僕がそうだったように何度も敗者復活出来るんだ。人間は失敗するともうこれでだめとか思ってしまうけど、悪いほうに考えたらダメだ。それは勉強していないから失敗するのであって、せっかく産社にいるんだからいっぱい知識を詰めればいいんだ。知識を詰めたらあるところでぽかっと噴火する。その噴火を幾つするかなんだ。そのために一ヶ月15冊くらい本に目を通すんだ。全部読めとは言ってない。目次だけ見て興味のあるとこだけ読んだらいい。だからどれを読もうって考えないで、ここからここまで15冊と買ったらいい。古本なら一冊200円としたら一ヶ月3000円で、それが将来250万くらいになるかもしれない。それが成功するコツなんだよ。

 もう一つ成長するにはね、メンターのようなものを持たなくてはいけない。自分が憧れ尊敬し、超えたいと思う人にメンター、話し相手になってもらうことが社会人になって大事なんだ。月に一回一時間くらい話して、この一ヶ月間の近況をお互いに話して、お互いに成長したらいい。メンターを持たない人と雲泥の差ができる。若者の特権だもの、遠慮は全然いらない。末川さんが言った言葉「未来を信じ、未来に生きる、そこに青年の生命がある。」未来を信じられないと、未来に対して生きて行こうという気持ちがないと、人として生きている意味がない。だから僕は前半で厳しいことを言ったけど、立命館のために、産社のために自信を持って言ったんだ。30年50年先を誰が考えているんだい?それは君達が一番になって考えるべきだ。22歳で卒業したら52歳のときが30年後、50年後は72歳。僕ぐらいの年だ。そしたら30年50年後ぐらいはこうあるべきだっていうのを君達が考えていかないと。そのころ学校側はみんな死んでいるんだから、死んだ後のことは誰も真剣には考えないよ。

50周年へのメッセージ

Q:最後に産社50周年へのメッセージをいただけますか?

 今、産業社会学部という名前も変えるべきだと思っている人もいるのでは?でも、立命館大学産業社会学部はIndustrial Society、ISでしょ。

 

Q:今はSocial Science、SSです。

 なんでだ?僕たちの時には「Industrial Society:産業社会」そのままだった。世界が成長していくには産業がなくてはならない。それを社会学的に研究、学んで行こうっていうのは大事だよ。Social Scienceなんて、他大学にもいっぱいある。もっと産業社会学部が企業や産業の心理、組織の心理、サイコロジーを専門にする部署を作らなくちゃいけない。人間心理や児童心理は文学部でやればいい。そうじゃなくて産業社会学部で学んでいくということが、すごく大事なことだと思う。

 そして政治の世界に産社で学んだ心理学をぶつけてみるとか、学部を超えたセッションをやるべきなんだよ。学部代表の先生が出てきて「戦争」とか「若者」という一つのテーマで話し合ってみる。そういった声を産業社会学部の教授たちが出すというのが大事なんだ。社会に貢献するということは産業社会学部から考えればこうだ、文学部から、経済学部から、経営学部から、工学部から見たらこうだ、そしてそういったものをまとめ上げるのが「立命館大学」なんだ。その中から新しい学部が生まれてくる。例えば産業社会学部で地政学部:ゲオポリティクスを立ち上げたらおもしろいね。産社には新しいものを作っていってもらいたい。

●古谷 寛(ふるたに ゆたか)

卒業年月日 1969年3月 卒業
出 身 地 滋賀県
現 住 所 滋賀県
勤 務 先 イオンDNA伝承大学 学長
ゼ ミ 名 -
所属サークル
団 体
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