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2016.11.07

【EIZO DAYS】06:ゲーム制作を通じて「身体」を再学習したい

EIZO DAYS

2007年設立の立命館大学映像学部。
とにかくまだまだ「知る人ぞ知る」存在です。

そんな学部を知っていただくには、まず在学生を紹介するのが一番なのではないか?!私たちはそう思いました。
なぜ、映像学部を選んだのか?入学してから戸惑いや苦労はなかったのか?今映像学部でどんなことに熱中しているのか?など、学生の声を通して映像学部についてご紹介します。


ゲーム制作を通じて「身体」を再学習したい

【episode06】柴田 龍輝さん(2016年度4回生、ゲームゼミ所属、岐阜県出身)

実は私は、大学に入るまでほとんどテレビやパソコンには触れてきませんでした。それで今映像学部という場所でプログラムを描いているんですから、おもしろいですよね。


   小さい頃は、実家のすぐ裏に山があり、そこから取ってきた竹や木の枝と、家にあった割り箸・ダンボール・輪ゴムなんかでひたすら何かをつくっていましたね。一番よく作ったのは弓矢と竹光(竹を削ったものを刀身にして刀のように見せかけたもの)。他には段ボールで岐阜城を再現したり、連射式の割箸鉄砲だったり。ピッチングマシーンなんかもつくってました。今思うと、自分のものづくりの原点はそこにあるのかもしれません。身体を動かすのも好きで、小・中学校と野球、高校では陸上をやっていました。一方で絵を描いたり読書することも好き。いろんなことに興味がありましたね。実は小説家に憧れて、進路もそちらに定めていた頃もありました。
 

自分の存在価値は、「人がやっていないことをやること」だと常々思っています。私はまったく受験勉強に興味がなく、「5教科の勉強はできる人に任せたらいい」と割り切っていました。全然勉強しなかったんですよね。でもある日、日本史の担当だった先生が、「日本史が実生活で直接役立つ瞬間は少ないかもしれないが、これくらいのことをこなせないヤツにこれ以上大きなことができるわけがない」と言われて。ショックでしたが妙に納得して、一念発起。受験勉強をそこから始めました。
 

進学に当たってはいろんな大学や学部を調べました。「立命館大学」を選んだのは、知名度的に就職には困らないかな、とそんな理由でしたが、「映像学部」をめざしたのは私が興味があったあらゆること(ものづくり、絵描き、小説書き、身体を動かすことなどの文化芸術的なこと)が、「すべて『映像』に内包されている」と気付いたからです。テレビもパソコンも家になかった私が、映像学部にひかれたのはそんな気付きからでした。
 

高校時代全く勉強してこなかった私にとって、案の定受験勉強はとてもつらかったです。それでも、あのとき新しいことを学ぶフォーマットを自分の中で確立できたことは、今でもとても役立っています。何か新しく学びたいことがあると、まず最初にそのことに関する書籍を6冊揃えて、そこに書かれていることを詰め込んだ自分オリジナルの「完璧な参考書」を1冊作るようにしています。この6冊というのが要で、これ以上多くなるとまとめるのに疲れちゃうんですよ。大学生になってからもこのフォーマットは応用していて、1,2回生の頃は自分でまとめた「C言語(コンピュータにさせたい処理を記述するための言語のひとつ)」に関する参考書を基に、プログラミングの勉強会を週3回ペースで行っていました。
 

現在、私は映像学部で様々なデジタルコンテンツを制作しています。


 

私はコンピュータの双方向的(インタラクティブ)なところが好きです。こちらが何かを押したり、指示したりするとコンピュータから反応が返ってくる。今年はルーブル美術館特別展もあり、9番目の芸術として漫画が定着しつつありますが、私は、この次に位置する芸術はインタラクション(双方向性)を持ったもの、即ちテレビゲームやメディアアートだと考えています。自分が今まで興味があったものすべてを内包した「10番目の芸術」の可能性は、インタラクティブ性を取り入れ、表現者と体験者という枠をも超えてさらに無限大に広がっていきます。


人生は自分と向き合うことであり、自分自身が何者なのかを確かめるプロセスだと思っています。このシンプルで究極な問いのカギは「身体」にあると私は考えています。ゼミを選択する際に、ゲームゼミの渡辺先生から「ゲームは『身体の再学習』だ」と言われてとても衝撃を受けました。自分を知ろうとすると、必ずそこには他者の存在があり、他者との繋がりの中でしか自分自身を見つけることはできない。他者との繋がりの中で、確かに自分の一部だと言える「身体」を知っていくことが自己を知るための唯一の方法なのではないでしょうか。


卒業研究では、「人間の声を用いて樹木を生成する」コンテンツを制作しています。人間の声は、他者との関係性における媒体としての機能を持っているにも関わらず、自分の声を他人と同じように聞くことはできません。人間ではない樹木とのコミュニケーションを通して、「身体性とインタラクション(双方向性)」について考えられるような作品になればと思っています。

 

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次回は、細井ゼミの鈴鹿 友周さん

をご紹介します。

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