平井嘉⼀郎記念図書館
誕生の由来
The Story Behind the Library


平井嘉⼀郎は、明治四⼗年⼗⼆⽉⼆⼗四⽇、京都府中郡⻑善村字善王寺、現在の京丹後市⼤宮町において、⽗勇蔵、⺟ゆきの次男として誕⽣。
昭和⼗五年三⽉、⽴命館⼤学法学部経済学科を卒業。
昭和⼆⼗五年、ニチコン株式会社の前⾝、株式会社関⻄⼆井製作所の経営再建にあたり、経済界および労使双⽅からの懇願を受け、経営責任者に就任。直ちに会社の経営分析を⾏い、技術潜在⼒に着⽬して業容拡⼤に全⼒を注ぐなかで卓抜な経営⼿腕を発揮した。また、嘉⼀郎とともに⼀丸となった労使意気相俟って、⼀年⾜らずで会社経営を建て直し、以後、順調な軌道に乗せた。
嘉⼀郎の鋭敏な洞察⼒、的確な判断⼒、読みの深い先⾒性は、余⼈の追随を許さなかった。
爾来、真の創業者として会社発展のために終⽣を捧げた。

昭和三⼗六年、⽇本コンデンサ⼯業株式会社に社名変更し株式を上場。昭和六⼗⼆年にはニチコン株式会社に社名変更し、世界に躍進する企業へと、その基礎を盤⽯なものとした。
平成⼗年三⽉期、嘉⼀郎が九⼗歳の時、⾃らが持ち続けてきた⾼く困難な⽬標値を、売上⾼、経常利益の双⽅で⾒事に達成したことは特筆に値する。
半世をニチコン株式会社とともに歩んできた嘉⼀郎は、平成⼗⼆年、代表取締役会⻑を退き名誉会⻑に就任。
その後は、⼤所⾼所から後進の指導育成に励んだ。
平成⼗三年⼀⽉⼆⼗⽇、最愛の信⼦夫⼈に⾒守られ、⾃宅において眠るが如く静かに九⼗三年の⽣涯を閉じた。


嘉⼀郎は、常々、次代を担う若者達のために何か役に⽴つことをしたいと考えていた。この遺志を引き継ぎ、信⼦夫⼈は嘉⼀郎⽣誕百年記念会の開催を機に、私財を以て、さまざまな社会貢献活動に取り組むことを決意。
平成⼆⼗四年四⽉、嘉⼀郎の⾜跡を末永く顕彰するため、「平井嘉⼀郎財団」を設⽴。
また、嘉⼀郎の⺟校である⽴命館⼤学法学研究科⼤学院⽣の研究⽀援を⾏うため、平成⼗⼋年、「平井嘉⼀郎研究奨励賞」を設けた。
さらに、平成⼆⼗四年、⽴命館⼤学に「平井嘉⼀郎記念図書館」の寄贈を申し出た。こうして京都⾐笠の地に嘉⼀郎の名を冠した学術研究の拠点が誕⽣することになった。
明治、⼤正、昭和、平成に亘る嘉⼀郎九⼗三年の⽣涯は、まさしく⽇本の発展と歴史が重なる激動の⼈⽣であった。
ここに真摯な⼈柄にして仕事⼀筋に、強靭なる企業家魂を貫いた嘉⼀郎の遺徳を偲び、信⼦夫⼈の功績を未来に向けて末永く顕彰する。
平成⼆⼗⼋年四⽉吉⽇
平井嘉⼀郎財団 理事 ⼩⽟正美 記
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