RS 学園通信 vol.129 座談会 時代を駆ける先輩たち Student Report 立命館歴史探検隊
December 2000 INDEX
 
chapter1
立命館歴史探検隊 Index
スタートはここから!立命館の歴史をキッチリ学ぼう。
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百年史編纂室 PAGE 1/2

立命館草創期を支えた深い絆

昨年3月に発行された『立命館百年史 通史編第1巻』。

 最初に向かった場所は、末川記念会館。立命館の歴史のすべてが集まっている「立命館百年史編纂室」(以下、編纂室)がここにあります。1980年代には立命館史編纂室とよんでいましたが、1991年に現組織に変更。現在はその名のとおりに立命館の百年の歴史に関する資料を収集・分析・編集し、『立命館百年史紀要』(年1回発行)や『立命館百年史』にまとめる編集局の役割を果たしています。
 「あっ、これが『立命館百年史』ですね」。
 佐野隊員が発見した分厚い書籍こそは、昨年3月に発行された『立命館百年史 通史編第1巻』。立命館の創始(1869年)から終戦(1945年)までの戦前・戦中史がこと細かにまとめられています。『通史編』はこの後に戦後前半編(1945年〜1980年)の『第2巻』、戦後後半編(1980年〜2000年)の『第3巻』へと続けて編纂されます。また、『通史編』には各分冊に対応した『資料編』も併せて発行され、『立命館百年史』は合計6冊の大作になる予定です。
 「佐野隊員、『立命館』の名前の由来は知ってる?」
 疑問の答えは…「立命」は中国の古典『孟子』の盡心章にある、『殀壽不貳 修身以俟之 所以立命也』(ようじゅたがわず、みをおさめてもってこれをまつは、めいをたつるゆえんなり)の一節から採られたものだそう。
 「これは『若死にする人も、長生きする人も、すべて天命で決められているから、人は生きている間は勉強に努めて天命を待つのが、人間の本分をまっとうすることになる』(大意)という意味で、『立命館』は人が本分をまっとうするための場所ということらしいですよ」。


1849
私塾「立命館」を創始
学祖・西園寺公望
(1849年〜1940年)
1900
「私立京都法政学校」を創立
創立者・中川小十郎
(1866年〜1944年)

 なるほど、よくわかりましたよ、佐野隊員。ところで、この立命館の名付け親である学祖・西園寺公望はどんな方だったのだろう。 「公家出身の西園寺公望(1849年〜1940年)は、明治・大正・昭和を通じて議会重視を唱え、最後の元老となった近代日本を代表する政治家の一人でした。若き日に留学したフランスで西欧近代精神を身に付け、帰国後は日本の自由民権運動に参加。勅命で運動から離脱することになりましたが、その後も自由主義者・国際主義者としての良識を貫きました。また、豊かな伝統的教養と文人的・俳人的センスをも兼ね備えていた方だったようです」。  西園寺公望は、1869年に現京都御所内の私邸に私塾「立命館」を開設。後に、ここは京都府庁の差留命令により閉鎖されましたが、西園寺公望が文部大臣だったときの秘書官であった中川小十郎(1866年〜1944年)が、1900年「私立京都法政学校」を創立、1913年に「私立立命館大学」の名称を得て私塾立命館の精神を引き継ぐことになるのです。 「中川小十郎は西園寺公望とともに、京都帝国大学(現京都大学、以下、京都帝大)の創設に尽力していますね。その後も、首相となった西園寺公望の秘書官や私的秘書を務めていますから、生涯を通じて西園寺公望と縁の深い方だったんです」。 佐野隊員の報告からうかがえるように、立命館は激動の明治・大正時代に、志を同じくされていた西園寺公望と中川小十郎の並々ならぬ努力、そしてお二人の深い絆から生まれた大学だったのですね。う〜ん、信藤はなんかとても浪漫を感じてしまいました。


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