
vol.30&31
「自分がアイシンで働く意味」を哲学的に考える
あなたにとって「働く」とはどういうことだろうか。対価を得ること、人に感謝されること、自分自身を磨くこと……答えは人それぞれだが、ただ指示に従うだけでなく自分なりの工夫や挑戦をしてみようと思えるのは、働くことに何らかの意味を感じるからこそだろう。自分にとってより良い働き方を見つけるには、さまざまなものの見方に触れ、価値観を広げることが大切だ。哲学対話という方法で、この問いの背後にある価値の構造に迫ってみよう。
立命館大学と株式会社アイシンは、「人とモビリティの未来を拓く」というテーマを掲げて共同研究に取り組んでいる。その一環として、心理学から航空宇宙工学の専門家まで、多様なバックグラウンドを有する立命館大学デザイン科学研究所の研究者が、同社社員の皆さんにデザインサイエンスに関する考え方やノウハウを共有するのが「デザインサイエンスワークショップ」である。
今回から3回にわたり、デザインサイエンスに「哲学」を導入したプログラムを実施する。その初回として、哲学クラウド(株式会社ShiruBe) 顧問で帝京科学大学 准教授の榊原健太郎が登壇。哲学から「働くことの意味」を考えるうえでの背景とヒントを伝えるオンラインレクチャーと、哲学対話を通してそれぞれの価値観を広げるワークショップを開催した。

講師プロフィール
榊原健太郎哲学クラウド(株式会社ShiruBe) 顧問、帝京科学大学 准教授
東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程、東京大学共生のための国際哲学研究センター(UTCP)特任研究員等を経て、帝京科学大学 准教授。專門は哲学・倫理学・思想史など。国際哲学オリンピックの国際審査員、同運営委員などを務めるほか、哲学クラウド(株式会社ShiruBe)の顧問、哲学社会実装センター副センター長として、哲学の手法を用いた組織課題の解決をサポートしている。
納得感のある挑戦をするために、哲学というレンズで「働くこと」の解像度を上げる
AIに代表されるテクノロジーがビジネスに新局面をもたらす今、一方では哲学をはじめとする人文知に価値を見出す動きが広がっている。象徴的なのは、2026年5月に経団連がまとめた「科学技術立国戦略」で、「科学技術」「産業・社会」と並ぶ三本柱のひとつとして「思想・哲学」が挙げられていることだ。技術的に実現できることが増えたからこそ、それらによってどのような社会をめざすのかを“問う力”が求められているとも言えるだろう。
そこで本ワークショップでは、2026年度の3回にわたり「哲学」にスポットライトを当てる。入り口に当たる今回は、哲学の考え方や問いの立て方に触れるとともに、哲学対話を通して「働く意味」を考える内容だ。
講師の榊原は、帝京科学大学で教鞭をとるほか、哲学を活用したコンサルティングファームである「哲学クラウド(株式会社ShiruBe)」所属の専門家としても活動。オンラインレクチャーでは「愛知県の半田市出身で、高校時代は野球に打ち込み、高校卒業以降はラグビーに長くかかわるなど、体も動かしながら哲学に関わってきました」と自己紹介した。
哲学というと、善悪、自由、平和など壮大で難解なテーマがまず思い浮かぶ。なぜ「働く意味」なのだろうか。
「アイシンさんは『人とモビリティの未来を拓く』というミッションを掲げていらっしゃいます。これを実現するために、みなさんは日々さまざまな挑戦に取り組んでおられるでしょう。その挑戦の根底には、みなさん一人ひとりの『働く意味』があるはずです。
今回お伝えする哲学のものの見方は、組織の中での挑戦とみなさんの働く意味との間にどんな関係があるのか、その解像度を上げるレンズのようなものと考えていただけるとよいと思います。哲学が蓄積してきたさまざまなレンズを通して各々の『働く意味』の幅を広げることで、自分なりの『納得感のある挑戦』を見つけるきっかけやヒントにしていただければと思います」
哲学の営みとは、「ものの見方」を掘り下げて考えることだ。幸せの形が人それぞれ違うように、いろいろな見方を学ぶことで自分自身の見方を相対化し、解像度を上げて対象を見ることができるようになるという。榊原はこれを「眼鏡やレンズをとりかえて世界を見ること」と表現する。
哲学が誕生した頃から現在まで、数多くの哲学者が「働く意味」を考え続けてきた。その中で榊原が今回取り上げるのは、20世紀に活躍したハンナ=アーレントだ。
哲学者アーレントが考えた、働くことの3つの側面
ハンナ=アーレントは、「働く意味」を問うことから人間の本質に迫ろうとした哲学者だ。その背景には、彼女自身がナチス体制下のドイツから亡命を余儀なくされたドイツ系ユダヤ人であったという経験が深く関係している。アメリカに亡命することで生き延びたアーレントは、戦後、ナチスの中堅幹部アイヒマンの裁判を傍聴する。その裁判で、数百万人を強制収容所に送る実務を担った当事者であるアイヒマンは「私は上官の命令に従ったに過ぎない」と自らの責任を否定した。
「アーレントは、凄惨な犯罪に関与したアイヒマンが極悪非道な人物などではなく、組織に従順な『極めて平凡な人物』であったことに着目しました。彼女はこの現象を『悪の凡庸さ』と概念化し、自発的な批判的思考を放棄した『思考の欠如』こそが巨大な悪をも生み出す本質的要因であると、問題提起しました」
働く意味を上から与えられ思考停止してしまったときに、人間は「人間らしさ」を失い悲劇を起こしてしまうことがある。こうした問題意識から、アーレントは人間らしい働き方について考えるようになったという。「思考することを放棄せずに人間らしく働くことを問うことこそ、『挑戦』する上で大切なことなのかもしれません」と榊原。
さて、そんなアーレントが探究した「働く意味」とはどんなものだったのだろうか。彼女が提唱した、人間が人間らしく働くために大切な3つの側面を見てみよう。
- ワーク(仕事)…道具や建物、芸術作品など、形として残る人工物を作ること。
- レイバー(労働)…生命維持や生活のために行う作業。掃除や農業、運搬などがこれにあたる。
- アクション(活動)…他の人とのコミュニケーションによって新たな共通認識や仕組みを生み出すこと。会議や制度設計などが含まれる。
ワークやアクションは、実社会やコミュニティに何かしら目に見える結果を残すことができる。自分が作った製品が誰かに使ってもらえれば人の役に立っていることを実感できるし、重要な会議で自分のアイデアが採用されれば、組織の意思決定に関わったというやりがいを感じられるだろう。
ワークに関係する挑戦の例として、榊原はアイシン社員の西佑司さんへのインタビュー記事を引用した。西さんの挑戦とは、次世代の乗降システム「ストレスフリーエントリー」の開発。その原動力となっている働く意味は「世の中に新しい価値を提供したい」というものだ。
一方、わかりやすい結果が残らないレイバーに着目すると、人間がいかに労働に意味を与え、より良いものに変えようとしてきたのかが伺えるという。これらの労働は、歴史上長らく苦役や罰と結びつけられてきた。しかし中世になると、神に仕える人が行う「修道」としてポジティブにも捉えられるようになる。さらに、近代には社会的・経済的な「成功」とも結びつけられるようになった。現在ではどうかというと、自己実現や社会貢献といったポジティブな側面と、社畜やワーキングプアという言葉に象徴されるネガティブな側面の両極が存在する。
どのように働き、何を残すことができるのか。あるいは、何も残らないように見えたとしても、自分自身はそれをポジティブに捉えることができるか。それぞれの側面で捉えてみることが、自分なりの「挑戦」につながりそうだ。
レクチャーの最後、榊原は参加者に向けて宿題を出した。
- アイシンで働いてきた中で、あなたが「素敵な挑戦だ」と共感できた取り組みは?
- また、その理由は?
周囲の人々が挑戦する姿から、自分の「働く意味」を広げるヒントを見つけることはできるだろうか? 後半のワークショップへ続く。
他者と自分の関心を寄せ合わせ、関係・逆転・強化で「問い」をつくる
後日行われたワークショップでは、参加者同士で「働く意味」について意見を交わしながら思考を深める哲学対話に取り組むことになった。その前に、対話に向けた準備が必要だ。自己紹介を兼ねたアイスブレイクの後、レクチャーで出された宿題の回答をもとに、自分や他の人の関心事を「問い」の形に変えるワークを行った。
配布された紙には、参加者が「素敵な挑戦」だと感じた社内の取り組みがリストアップされている。新しい価値を提案するような製品開発や、周囲を巻き込んだ社内の仕組み改善など内容はさまざまだ。それらをざっと読んで、自分が気になったキーフレーズをピックアップする。筆者は「仕事の進め方を、他者を巻き込んで良い方向に変えていく」というフレーズを選んだ。他者を動かすことは自分が動くよりも難しいことだが、その分、みんなでハッピーをめざせる挑戦だと思ったからだ。
次に、グループの他の人が選んだキーワードの中から気になるものを選ぶ。そして最後に、そのキーワードを元に問い作りに取り組んだ。ここで選んだのは、働くことの意味に最も近いように思えた「感謝の言葉をもらえる」というキーフレーズだ。
さて、哲学的な問いのつくり方にはいくつかのパターンがあるという。すなわち、関係、逆転、強化だ。
- キーフレーズと他のものとの関係を問う。→たとえば、「感謝と挑戦の間にはどんな関係があるのか?」
- キーフレーズを逆転させてみる。→たとえば、「感謝されない仕事には意味はないのか?」
- キーフレーズを極端に強化してみる→たとえば、「他者からの感謝だけで働き続けることはできるのか?」
こうして、他者と自分の関心の置きどころを混ぜ合わせながら、参加者それぞれの「問い」が出来上がってきた。準備は万端だ。
「人の役に立たない挑戦はあるのか?」を問い、考え、語る哲学対話
参加者それぞれがつくった問いの中から、投票によって哲学対話のテーマが選ばれた。
「人の役に立たない挑戦はあるのか?」
榊原によると、ここで行う哲学対話は「問う・考える・語るの循環を通して、新たな気づきを生み出す対話手法」だという。対話を通して、自分が持っている前提に他者からの問いや語りがコツンとぶつかることで新たな気づきが生まれる。ディベートではないから、自分がうまく話せているか気にしなくていいし、自分の話していることが自分でわからなくなってきてもいい。途中で自分の意見が変わってももちろん構わない。今回は参加者が20名だったので、議論を主導する対話グループ10名とそれを観察する観戦グループ10名に分かれ、対話グループを中心に円をつくるように着席した。
まず、この問いについて対話グループの参加者はそれぞれどう考えているのだろうか。ある参加者は、「役に立たない挑戦こそが一番大切」と言い切った。「人間は存在自体に価値があるし、そうした価値を認める組織や社会は強いと思う」と言葉を続ける。またある参加者は、「基礎研究のように、後の時代に役立つ挑戦もある。そうすると、『今』役に立たない挑戦があっても良い」と言う。これに対して、別の参加者は「時間軸で考えるとどんな挑戦も役立つ可能性があるなら、問いへの答えとしては『わからない』になるのでは」と応答する。
ここまでで、「役に立つ/立たない」と一口に言っても、さまざまなレイヤーがありそうなことが見えてきた。製品開発のようなすぐに役に立つ挑戦。基礎研究のようないつか役に立つかもしれない挑戦。アートや娯楽といった、直接役には立たなくても価値をもつ挑戦……。そうすると、「全く誰の役にも立たない挑戦は原理的に存在しうるのか?」という次の問いが浮かぶ。
この後の対話では、「役に立たない挑戦」をさらに掘り下げて、達成感など内的な動機にもとづく挑戦や、他者に対してアウトプットしない挑戦について意見が交わされた。さらに、(自分または他人の)役に立つから挑戦するのか、挑戦が結果的に役に立つのかという順序の問題、自己実現と承認欲求の問題へと議論が進み、挑戦において大切なのは自分軸か他者軸か/プロセス重視か結果重視か……といった広がりが見えてきたが、ひとまずここでタイムアップだ。
参加者の一人として、筆者の感想をまとめておこう。
筆者はどちらかというと、挑戦とは自己実現の手段だと捉えていた。そのため「人の役に立つ」ことは大切ではあるが、絶対必要な条件ではないという立場だ。けれど対話を通して、挑戦の軸は自分にも他者にも、結果にもプロセスにも動きうるものなのだと捉えなおすことができたように思う。自己実現のために頑張っていても、それが他人に良い影響を与えることはあるし、他人のためにやったことで自信がつくこともあるだろう。ある参加者の口からぽろっと出た「意味は関係の中にある」という言葉が印象に残っているが、まさにこうした自分と世界とのやむにやまれぬ関わり合いの中から、働く意味のようなものがおのずと生じてくるのではないだろうか。
現実の複雑さをそのまま受け入れ、関係性の中で問い返してゆく
参加者が対話の感想を言い合った後、榊原は哲学の実践に必要な「複雑性」と「関係性」についての解説で対話を総括した。
「ひとつのことを深く考えるには、さまざまな条件や階層を捉える必要があります。哲学では、現実の複雑で重層的な構造をひとまずそのまま受け止め、そこから構造化して考えてゆくというアプローチを取ります。一見遠回りにも見えますが、そうすることで人間の機微や切実さをすくい上げることができるのです。みなさんの職場でも、正か否かのみを問うような上澄みの議論を一度やめて、複雑さを受け入れるようにすれば、物の見方、話し方、聞き方が変わってゆきます。
もうひとつ。自分の内側に答えがあると思って問いはじめると、自分で問いを狭めてしまってうまく問えないということがあります。そこで、他者との関係の中で問いをつくるということが大切になります。今回取り組んだように、他の人の考えを軸に据えて、そこから自分の考えとの差分を捉えるというのも一つの方法です。そのように、関係性の中で問い返してゆくことで、同じ問いであってもより切実なものになってゆくでしょう」
また、哲学は問題の構造を理解するためのモデルも与えてくれる。他者評価も含め自分自身を乗り越えてゆくような結果主義の挑戦を「ニーチェ的」、反対に、社会制度を乗り越えてより良くあることを追究するプロセス主義的な挑戦を「道(タオ)的」と榊原は表現する。どちらか一方をめざすことだけが正解ではない。
「ものごとの深層で対立する価値軸を感じ取り、その間をたゆたいながら自分の人生をたぐり寄せてゆく。そうした思索のあり方が、この複雑さを増す時代に必要なのではないでしょうか」
conclusion
ワークショップを終えて
参加者の声

BRプロセス改革推進
宮崎正旭さん
他者との関係や組織づくりに関わるような人文知を学んで、業務に活かしたいと思い参加しました。新しい企画を提案する際、対話の土壌が整っていないまま会議にかけてしまうと、十分な理解を得られないことがよくあります。今回、ワークショップ全体を通して参加者同士が前提を共有しあうなど、対話に至るまでの場づくりがいかに大切かを学ぶことができました。最後の哲学対話では、相手が何を言おうとしているのかを理解することや、自分の言いたいことを理解してもらうことの難しさも痛感しました。今回学んだ場づくり問いかけの方法を、職場でのコミュニケーションにも取り入れたいと思います。

製造統括部
片桐智寛さん
今回は、「働く意味を考える」というテーマを通して自分自身を振り返りたい、自己理解を深めたいと思い参加しました。組織の中にいると、普段話す内容も同質化してしまいがちなのですが、哲学対話では参加者それぞれの価値観で対話することで他者理解もでき、貴重な時間になりました。また、榊原先生が最後におっしゃった「価値軸の対立」も印象的でした。業務の中でも、例えば、数字を追い求めることと、会社としてあるべき姿を追い求めることの間で迷ってしまうことがよくあります。自分の中の価値軸に気づいておくと、対話や判断の助けになりそうです。
講師の声

哲学クラウド(株式会社ShiruBe) 顧問、帝京科学大学 准教授
榊原健太郎
多くの方が日々、懸命に働いていらっしゃると思いますが、そこに「意味」を探し始めると、ただ働いているというだけでは済まなくなってきます。自分で「意味があるな」と思えるような働き方を見つけるには、見本となるモデルから学ぶのが良いでしょう。そこで今回は、レクチャーでアーレントの見解をひとつのものの見方として提示させていただき、宿題とワークショップでは周りの人たちの上手な働き方、つまり「挑戦」を参考に、お互いのものの見方を交換して新しい気付きを得ていただくというプログラムを設計しました。
最後は、哲学対話という〈場〉を皆さんに体験していただきました。それぞれ課題感を持った皆さんがその場で考えながら話す、聞くということを実践してくださったおかげで、とても良い対話の相乗効果が生まれていたと思います。目の前の相手に届けるために、生の言葉でやり取りをした経験をぜひからだを通して覚えておいていただきたいです。
対話の中で、関係・反転・強化を使った問いを自然に使いこなしておられたのも印象的でした。普段のコミュニケーションにこうした問いの方法を取り入れていただくと、生産性や効率とはまた違った文脈で、思考を深める助けになるはずです。
一方で、今回の体験や学びをすぐに使おうとするよりも、各自の人生の文脈の中に寝かせてあげるということのほうが大切であるという面もあるのかもしれません。そうすると、日々をしっかり生きていくなかで、今日のことがふと思い出されるような瞬間が訪れることがあるでしょう。それが、哲学が人生のなかで生きてくるということなのだと思います。

