生まれ育った環境や留学経験から「東アジア人」として平和を考える
濱邉ふうさん(国際関係学部4回生)
私は在日コリアンが多く暮らす地域で生まれ育ち、友達や近所の方の多くは、朝鮮半島にルーツを持つ人々でした。そのような環境の中、いまなお日本社会に残る差別に疑問を感じたり、東アジア諸国が抱える歴史問題を理解しようと葛藤することがありました。そして物心がついた頃から、人種の違いや異文化による争いを解決するために必要な“国際理解”や、私たちが共に目指すべき“平和”について関心がありました。また、2つの文化がある環境で生まれ育った自分自身のアイデンティティについても考えることがありました。
立命館大学で出会った留学生の中には一口にアメリカ人といっても、さまざまなルーツをもつ学生がいました。彼らとの出会いや対話を通して、ルーツが違っていても人は自由に自分のアイデンティティを形成できることに気がつきました。そのことに刺激を受け、「アイデンティティは民族や人種、国籍に捕らわれなくてもよいのだ」と考えるようになりました。そして多様な人種が集まるアメリカに憧れ、留学することを志すようになりました。
また、大学1回生の夏休みに国際平和交流セミナー「広島・長崎プログラム」に参加し、そこで同じくプログラムに参加したアメリカン大学の学生たちと出会いました。被爆者の方々のお話や原爆資料館での展示物を前に涙する彼らを見る場面が何度もあり、アメリカで学生たちと平和について学びたいという意識が強くなりました。
2回生の夏から学部共同学位プログラム(DUDP)でアメリカン大学に約2年間留学しました。DUDPとは、最短4年間で日米2つの大学の学位を取得できるプログラムです。現地では国際関係学、国際紛争解決学を専門的に学びました。
留学中、最も力を入れたのは、「Peace of East Asia in Creative Engagement (P.E.A.C.E)」という学生団体を立ち上げたことです。「P.E.A.C.E」では、日本、中国、韓国からの留学生や、東アジアにバックグラウンドを持つ現地の学生たちと一緒に、「平和に暮らせる学校づくり」「東アジアの歴史問題」「政治課題」をテーマにした学生同士のグループディスカッションやゲストスピーカーによる講演会などを企画し、平和について深く考える活動を行いました。数人で始まった「P.E.A.C.E」も、今では約60人の学生が参加する大きな団体に成長し、真の東アジア友好に向けての活動を積極的に行っています。

PEACEの初期メンバー(濱邉さん:下右から3人目)
2013年の秋、その活動が認められ、一年に一度国際関係学部の規範となる留学生に贈られる「SIS Class of 1967 Prize」という賞を受賞することができました。また「パフォーミングアーツ論(演劇、ミュージカル、ダンスなど舞台や空間上で行われる芸術)」という正課の授業に力を入れていました。自身の研究をさまざまな形で見せることができる発表では、「Hiroshima Through the Eyes of Three Girls」という題で、日本人、朝鮮人、日系アメリカ人の三役を一人で演じる一人芝居を行いました。その発表がその年の「Best Performance Award」に選ばれました。このようなさまざまな取り組みが評価され、異文化理解に努めた卒業生に贈られる「Student Achievement Award」も受賞することができ、大変嬉しく思っています。
充実した留学生活の中で最も大変だったことは、やはり語学の勉強です。留学前は現地で正課の授業を受けられるレベルには十分達していなかったので、苦労の連続でした。2年間でアメリカン大学の学位を取得するため、必要な80単位を全て修得するには、芸術・数学・経済とさまざまな授業があるなか、1単位も落とすことのできない状況でした。その中で、課外活動を活発に取り組んだこと、仲間に支えられたことが、語学力の向上に繋がったと感じています。

私は留学の経験を通じて、大切なことを学びました。それは「聴く姿勢」です。国籍や人種、文化、環境が異なる相手と向き合うためにはどうしたらよいのか、話し方や聞き方はどうすればよいのか、ということに時間をかけて考えてきました。「P.E.A.C.E」の活動では、自分の意見を言うだけではなく、相手の心情やバックグラウンド、思考を理解した上で、自分の考えを発信することが大切だと実感しました。
今後は、これからも何らかの形で東アジアに関わることを続けていきたいと考えています。東アジアを今までと違った視点から見ることが、今の私には必要ではないかと思うので、大学卒業後は韓国の大学院に進学し、東アジアの歴史や政策を学んでみたいと思います。

ダンス部の発表会に来てくれた友人たちとの一枚
立命館大学で出会った留学生の中には一口にアメリカ人といっても、さまざまなルーツをもつ学生がいました。彼らとの出会いや対話を通して、ルーツが違っていても人は自由に自分のアイデンティティを形成できることに気がつきました。そのことに刺激を受け、「アイデンティティは民族や人種、国籍に捕らわれなくてもよいのだ」と考えるようになりました。そして多様な人種が集まるアメリカに憧れ、留学することを志すようになりました。
また、大学1回生の夏休みに国際平和交流セミナー「広島・長崎プログラム」に参加し、そこで同じくプログラムに参加したアメリカン大学の学生たちと出会いました。被爆者の方々のお話や原爆資料館での展示物を前に涙する彼らを見る場面が何度もあり、アメリカで学生たちと平和について学びたいという意識が強くなりました。
2回生の夏から学部共同学位プログラム(DUDP)でアメリカン大学に約2年間留学しました。DUDPとは、最短4年間で日米2つの大学の学位を取得できるプログラムです。現地では国際関係学、国際紛争解決学を専門的に学びました。
留学中、最も力を入れたのは、「Peace of East Asia in Creative Engagement (P.E.A.C.E)」という学生団体を立ち上げたことです。「P.E.A.C.E」では、日本、中国、韓国からの留学生や、東アジアにバックグラウンドを持つ現地の学生たちと一緒に、「平和に暮らせる学校づくり」「東アジアの歴史問題」「政治課題」をテーマにした学生同士のグループディスカッションやゲストスピーカーによる講演会などを企画し、平和について深く考える活動を行いました。数人で始まった「P.E.A.C.E」も、今では約60人の学生が参加する大きな団体に成長し、真の東アジア友好に向けての活動を積極的に行っています。
PEACEの初期メンバー(濱邉さん:下右から3人目)
2013年の秋、その活動が認められ、一年に一度国際関係学部の規範となる留学生に贈られる「SIS Class of 1967 Prize」という賞を受賞することができました。また「パフォーミングアーツ論(演劇、ミュージカル、ダンスなど舞台や空間上で行われる芸術)」という正課の授業に力を入れていました。自身の研究をさまざまな形で見せることができる発表では、「Hiroshima Through the Eyes of Three Girls」という題で、日本人、朝鮮人、日系アメリカ人の三役を一人で演じる一人芝居を行いました。その発表がその年の「Best Performance Award」に選ばれました。このようなさまざまな取り組みが評価され、異文化理解に努めた卒業生に贈られる「Student Achievement Award」も受賞することができ、大変嬉しく思っています。
充実した留学生活の中で最も大変だったことは、やはり語学の勉強です。留学前は現地で正課の授業を受けられるレベルには十分達していなかったので、苦労の連続でした。2年間でアメリカン大学の学位を取得するため、必要な80単位を全て修得するには、芸術・数学・経済とさまざまな授業があるなか、1単位も落とすことのできない状況でした。その中で、課外活動を活発に取り組んだこと、仲間に支えられたことが、語学力の向上に繋がったと感じています。
卒業式でStudent Achievement Award受賞者として壇上で紹介されている濱邉さん
私は留学の経験を通じて、大切なことを学びました。それは「聴く姿勢」です。国籍や人種、文化、環境が異なる相手と向き合うためにはどうしたらよいのか、話し方や聞き方はどうすればよいのか、ということに時間をかけて考えてきました。「P.E.A.C.E」の活動では、自分の意見を言うだけではなく、相手の心情やバックグラウンド、思考を理解した上で、自分の考えを発信することが大切だと実感しました。
今後は、これからも何らかの形で東アジアに関わることを続けていきたいと考えています。東アジアを今までと違った視点から見ることが、今の私には必要ではないかと思うので、大学卒業後は韓国の大学院に進学し、東アジアの歴史や政策を学んでみたいと思います。
ダンス部の発表会に来てくれた友人たちとの一枚
- 取材・文
- 林 ありさ(文学部2回生)