スリランカと日本を野球で結ぶ
スジーワ ウィジャヤナーヤカさん(2009年度 立命館アジア太平洋大学卒業/スリランカ出身)
今春、選抜高校野球大会で審判を務めたスジーワさん。外国人としては極めて異例のことだ。株式会社アメイズHOTEL AZ の北九州地区長を務めながら、審判としても国内外で精力的に活動している。
野球との出会いは高校1年生の時。野球に似たところのあるクリケットをしていたこともあって頭角を現し、3年生でスリランカ代表選手に選ばれた。JICA青年海外協力隊野球隊員でスリランカ選抜チームの監督でもあった植田さんから、野球の技術だけでなく心の持ち方や相手のことを思いやる大切さなどを学んだ。

野球を通じて日本の良さに触れたスジーワさん。思いやりの心や日本のマネジメントを学びたいと思うようになる。先に立命館アジア太平洋大学に留学していたお姉さんからの勧めもあり、2006年に立命館アジア太平洋大学に入学した。
日本の大学野球はそれまでスリランカでやっていた野球とはレベルが違い、選手としての活躍は難しかったものの野球とは離れたくないという思いが強かった。ちょうどそのとき宮崎県で行われたプロアマ合同審判講習会に参加したことをきっかけに審判としての勉強を進めていく。
高校野球の審判を目指したのは、初めて見た試合で勝っても負けてもきちんと挨拶をし、終わった後は自分たちでグラウンド整備をするという礼儀正しさに感動したからだ。「自分も甲子園に立ちたい。そのためには審判しかない。」
母国スリランカで審判講習会を開催したり日本で集めた野球道具を届けたりといった活動も行い、2012年には南アジア初となる野球場がスリランカに完成。スリランカのスポーツ大臣やJICA所長、在スリランカ日本大使らとともに尽力したスジーワさんは、オープニング試合で球審を務めた。

その後も2012年の都市対抗野球大会や2013年の全日本大学野球選手権大会で初の外国人審判となるなど経験を重ね、今年3月には念願のセンバツで塁審を務めた。「夢が叶って涙が出るほど嬉しい」と語ったスジーワさんは、絶妙なジャッジで高い評価を受けた。印象的だったのは、敵チームであってもいいプレーは認めたり、審判の自分にまで声援を送ってくれたりするスタンドの温かさだったという。
「自分も応援してくれた人、推薦してくれた人がいて夢をかなえることができたので、これからは今まで以上に南アジアや世界の子ども達の力になりたい」というスジーワさん。来月にはスリランカの少年野球チームを日本に連れてくる。このチームでは、過去の内戦でスジーワさんの友人を含め8人が亡くなっている。日本や韓国などのチームと大会を行う予定で、各国の少年たちの年齢は、自身が野球と出会ったのとほぼ同じ14~15歳。この多感な時期に国を超えて多くの人と関わる素晴らしさや平和の尊さを、野球を通して経験してほしいと思っている。
野球との出会いは高校1年生の時。野球に似たところのあるクリケットをしていたこともあって頭角を現し、3年生でスリランカ代表選手に選ばれた。JICA青年海外協力隊野球隊員でスリランカ選抜チームの監督でもあった植田さんから、野球の技術だけでなく心の持ち方や相手のことを思いやる大切さなどを学んだ。
野球を通じて日本の良さに触れたスジーワさん。思いやりの心や日本のマネジメントを学びたいと思うようになる。先に立命館アジア太平洋大学に留学していたお姉さんからの勧めもあり、2006年に立命館アジア太平洋大学に入学した。
日本の大学野球はそれまでスリランカでやっていた野球とはレベルが違い、選手としての活躍は難しかったものの野球とは離れたくないという思いが強かった。ちょうどそのとき宮崎県で行われたプロアマ合同審判講習会に参加したことをきっかけに審判としての勉強を進めていく。
高校野球の審判を目指したのは、初めて見た試合で勝っても負けてもきちんと挨拶をし、終わった後は自分たちでグラウンド整備をするという礼儀正しさに感動したからだ。「自分も甲子園に立ちたい。そのためには審判しかない。」
母国スリランカで審判講習会を開催したり日本で集めた野球道具を届けたりといった活動も行い、2012年には南アジア初となる野球場がスリランカに完成。スリランカのスポーツ大臣やJICA所長、在スリランカ日本大使らとともに尽力したスジーワさんは、オープニング試合で球審を務めた。
その後も2012年の都市対抗野球大会や2013年の全日本大学野球選手権大会で初の外国人審判となるなど経験を重ね、今年3月には念願のセンバツで塁審を務めた。「夢が叶って涙が出るほど嬉しい」と語ったスジーワさんは、絶妙なジャッジで高い評価を受けた。印象的だったのは、敵チームであってもいいプレーは認めたり、審判の自分にまで声援を送ってくれたりするスタンドの温かさだったという。
「自分も応援してくれた人、推薦してくれた人がいて夢をかなえることができたので、これからは今まで以上に南アジアや世界の子ども達の力になりたい」というスジーワさん。来月にはスリランカの少年野球チームを日本に連れてくる。このチームでは、過去の内戦でスジーワさんの友人を含め8人が亡くなっている。日本や韓国などのチームと大会を行う予定で、各国の少年たちの年齢は、自身が野球と出会ったのとほぼ同じ14~15歳。この多感な時期に国を超えて多くの人と関わる素晴らしさや平和の尊さを、野球を通して経験してほしいと思っている。