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インタビュー

フェローシップ生インタビュー

数学とともに生きる ~情報幾何学の領域で新たな概念「δ概十分統計量」を提唱~

理工学研究科博士後期課程2回生

山口夏穂里さん

  • 2025年度 取材当時

日本学術振興会の特別研究員(以下、学振)に採用されると、2~3年間にわたり研究奨励金や特別研究員奨励費(科研費)を受けられる。研究奨励金の用途は自由で、科研費は申請により年間で最大150万円が支給される。もちろん、誰もが簡単に学振に採用されるわけではなく、狭き門となっている。今回紹介するのはRARA学生フェローを経て、2025年度よりDC2となった理工学研究科博士後期課程2回生の山口夏穂里さんだ。

自然界と結びつく数学、その美しさにひかれて

――修士1年で早くも博士課程への進学を意識されたそうですが、そもそも純粋数学に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。

山口:思い返せば、原点は小学生時代に習った黄金比でしょうか。理屈っぽいと思っていた数学が、実は自然と結びついていて、自然界の現象を数学の理論で説明できる。これってすごいなと驚き、ロマンを感じたりしたのが最初だったと思います。

――そこから数学一直線に進んでこられた?

山口:決してそうわけでもありませんでした。というのも、早く正しく答えを出しさえすればよいという受験数学になじめませんでした(苦笑)。それでも高校1年のときに数学ゼミに入って大学の数学を学ぶ機会を得て、そこで出会ったオイラーの公式に惹きつけられましたね。高校の数学では三角関数と指数関数を別個の概念として習うのに、この公式では2つの関数が虚数単位の「i」を通じて結びつけられている。これは一体なんなのだろうと、感動したのを今でも鮮明に覚えています。

オイラーの公式
※オイラーの公式:e:自然対数の底(ネイピア数)・i:虚数単位

――そこから数学一筋に進みたいと考え、進路を決めたのですね。

山口:決めたのはよいのですが、相変わらず受験数学はなじめませんでした(苦笑)。それでも大学では数学を突き詰めたい!と思い、長い伝統のある立命館大学の理工学部数理科学科を選びました。入学後は、数学書の行間を読み込み、講義を聴きながら先生の考えを深堀りする時間が楽しく、数学研究に没頭しました。

複雑な高次元データを、シンプルに理解しやすく

――卒業研究のテーマ「情報幾何学」とは、どのような学問なのですか。

山口:たとえるなら情報、具体的には確率や統計などを図などに描いて形として理解する数学の分野です。創始者は東大名誉教授の甘利俊一先生で、幾何学の中でも微分幾何の観点からものごとを捉えます。粗幾何を大まかに説明にすると、実数の集合と整数の集合を同じものと見なすような考え方です。実際の数直線を厳密に解釈するなら、実数は数直線上にあるすべての数であり、整数には小数や分数、無理数などは含まれていません。だから実数と整数は違う。けれども引いた視点(大きなスケールといってもよいでしょう)から見れば、どちらも直線に見えます。この考えを、情報幾何に持ち込み、情報を「粗視化」して捉える試みをしています。

――む、むずかしいですね・・・うまくイメージできないというか・・・

山口:必要な情報がどのようなものかに着目する、そう考えるとわかりやすいでしょうか。たとえば宇宙空間上の人工衛星から地球に、宇宙の情報を送る場合を考えてみます。全データを送ろうとすれば、データ量が膨大になるため圧縮して送る必要がありますよね。けれどもデータを圧縮すると、元の情報から抜け落ちる部分が出てきます。そこで考えるべきは、送られてきた情報の用途です。何らかの解析をするのであれば、そのために抜け落ちる部分があったとしても、必要な情報があれば十分に役に立ちますよね。このように情報つまり確率や統計量を必要に応じて簡素化するために、粗幾何の「粗視化」という考え方を利用できるんです。

――その情報幾何学の領域で新しい概念を考えついて、発表したと聞きました。

山口:博士前期課程2回生のときに新しい概念として「δ概十分統計量」を指導教員の野澤啓先生と考え出して学会で発表しました。従来から厳密な十分統計量ではないものの、それに近い性質を持つ統計量として概十分統計量という概念がありましたが、十分に応用されていませんでした。そこで、この概念にさらに幾何学的な考え方を応用し、定量的に厳密に定義したのがδ概十分統計量です。ありがたいことに興味をもっていただく機会に恵まれ、北海道大学や名古屋大学、早稲田大学などに招待していただき、δ概十分統計量について講演しました。

フェロー生のインタビュー

純粋数学でも、統計学でもない世界

――博士後期課程に進むのは、大学入学時から決めていたのですか。

山口:決してそうではありませんでした。ただ、学部生のときに新型コロナウイルス禍があり、精神的に辛い時期がありました。そんなとき苦しんでいた自分を救ってくれたのが、数学だったんです。数学の研究に没頭できたことで、つらい時期を乗り越えられました。だから数学を研究することこそが、私のアイデンティティなんだなと思い、もっと研究を続けたいと考えるようになりました。博士前期課程1回生になると、すぐに講義やゼミが楽しくて仕方がなくなり、この楽しさをたった2年だけで終わらせたくないと思うようになりました。ただ正直にいえば、博士課程まで進むのは経済的に厳しいと思っていたんです。そんなときに知り合った別の研究室の先輩から、RARA学生フェローと学振について教えてもらいました。これはもう絶対に取るしかない、そして博士まで行こうと決めました。

――RARA学生フェローや学振の申請書を書くときに注意した点を教えてください。

山口:かなり難解な内容なので、概念図を入れたり重要な部分を太字で表したりしましたね。数学の専門用語はかなり特殊ですから、そのような用語を知らなくても、理論を追っていけるよう構造的な文章を心がけました。またRARA学生フェローと学振では審査に関わる人が異なります。だから数学に関する審査員の理解度を想定しつつ、学振については数学の先生が読む前提で、ある程度専門用語を織り交ぜ、詳細に書きました。

――RARA学生フェローには、どんなメリットを感じましたか?

山口:DC1には残念ながら落ちてしまいましたが、RARA学生フェローとなることができて博士後期課程に進み、とても充実した日々を送りました。何よりメンタル面の安心感が大きかったですね。RARA学生フェローの企画で、女性のキャリアパスを考える機会があり、そこで私にとってのロールモデルになるような人と出会えました。数学の世界には女性が少ないので、このような機会は本当に貴重でしたね。数学の研究は基本的に一人で掘り下げていけるので、自分で自分のメンターになるような意識を求められます。だからこそRARA学生フェローでのさまざまな人との出会いが、とてもよい刺激になりました。

――RARA学生フェローを経て、学振DC2になられましたが、今後どんな研究を進めていこうと考えていますか。

山口:応用統計学や純粋数学の両方に貢献したいと考えています。というのも、この2つの領域には少し距離感があり、お互いの良さや面白さが十分に共有されていないように思うんです。だからこそ、この2つの領域を繋げられれば、新たな意義が生まれるはずです。さらに従来なかった概念であるδ概十分統計量を発表して認められたからには、これを活用して何らかの社会貢献に取り組みたいとも考えています。

フェロー生のインタビュー

数学を通じた自己表現、感性に基づく研究

――一人で数学の研究を突き詰めていくのは、心理的負担が大きそうです。

山口:どちらかといえばメンタルの強い方ではないので、心と体を大切にするよう心がけていますね。以前はがんばらなければと思うあまり、睡眠よりインプットの時間を重視して無理を重ねたりもしました。けれども研究とは本来「やらなきゃ」と自分を追い込むようにしてやるものではなく、もっと「ワクワク」しながら取り組むものだと思うんです。だから、研究を真剣に楽しんでできるよう、食事や運動、睡眠を含め、体調管理にはアスリート並みに気をつけているつもりです(笑)。ただ研究内容だけは、一日中ずっと頭の中にある感じですね。

――高校に行って、ご自身の研究を発表した機会があると聞きました。

山口:RARA学生フェローとして、中高生に自分の研究を伝える機会がありました。その場で中高生から、すごく素朴、だけど本質的な質問を受けて、とても良い刺激を受けたんです。その中で、「数学、それもとびきり難しそうなテーマを研究して、世の中で何か役に立つのでしょうか」と、ストレートに質問されました(笑)。たしかに機械学習など実利に直結する数学ではないけれど、数学は自己表現の手段ともなりえます。美しいと思った自然現象を、サイエンスの視点で記述できる。これが数学の重要な役目だと思うし、厳密に伝えられるからこそ、偏見などの入りこまない議論をできるのだとも思います。そのような精緻な議論を通じて、少し大げさですが、人類は進歩していくのではないでしょうか。

――研究者志望の学生たちへのメッセージをお願いします。

山口:数学に限らず研究にはある意味、自己表現の側面があると思います。有名な数学者である岡潔先生は「数学は情緒である」と話されています。だから、まず自分の気持ちや個性、自分にしかできない何かを大切にしてください。そのうえでRARA学生フェローに応募すれば、確実に世界は広がります。RARA学生フェローでは分野を横断する活動なども行われていて、私も数学と別の学問との交流を通じて、たくさんのヒントをもらいました。研究を通じて、世界を広げてもらえるとうれしいですね。

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