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インタビュー

フェローシップ生インタビュー

ウェルビーイングの研究~その成果を社会貢献につなげる~

スポーツ健康科学研究科 スポーツ健康科学専攻

村上嘉野さん

  • 2024年度 取材当時

RARA学生フェローは、日々どのように研究に取り組んでいるのか。研究活動を通じて、どんな学びを得ているのか。博士課程後期でぶつかる壁をどのように乗り越えているのか。RARA学生フェローの学びや、思い描いているキャリアパスを紹介するインタビューシリーズ第1回目、登場するのはスポーツ健康科学研究科博士課程後期2回生の村上嘉野さんだ。

研究の社会的な価値を突き詰めたい

―― はじめに、博士課程に進もうと決断した理由を教えてください。

村上:博士課程後期に進んだ理由は、研究の意義ややりがい、面白さに気づいたからです。修士に入って研究に打ち込み始めた頃から、博士課程後期への進学を意識するようになりました。自身が修士課程から研究の中核的概念として扱ってきた「well-being」はまさに社会にも浸透しつつあり、働き方改革、QoLの向上などの需要とともに、今後世の中のニーズが高まるテーマであると確信していました。追求したことを、いつか人々や社会に役立てたい。社会から求められるテーマの研究を突き詰めていけば、いずれ社会貢献につながると思いました。ただ、そのためには研究成果を、科学的なエビデンスを伴って社会に発信する必要があります。そこまで到達しようと思うと、私の場合博士課程前期だけでは時間が足りなかったんです。私自身一つのテーマを徹底的に追究したいタイプでもあり、博士課程前期2年の4月ぐらいには、博士課程後期で挑戦したいと思うようになりました。

―― 博士課程後期への進学は思いきった決断だったのでは?

村上:そうですね。博士課程後期に進むためには、まず経済的な問題を解決しなければなりませんでした。金銭面でサポートが十分でないと、研究を続けるのは中々難しいです。そんな悩みを抱えていたところ、RARA学生フェローに採用してもらったおかげで、博士課程後期への進学にとって何よりネックになっていた経済問題が解消されました。

―― 修士課程からの研究テーマは一貫して「ウェルビーイング(well-being)」だそうですね。

村上:自身の研究で扱う心理(Psychological) well-being(ポジティブな心理的機能)(以下、PWB)は、主観的な評価に基づく心理的な概念ですが、その向上を説明する客観的な要因は明らかではありません。例えば「運動」はPWBを高める一つの手段であることが幅広い属性で明らかにされてきましたが、“なぜPWBが上がるのか?”はこれまでの知見から十分に説明できないのです。そこで修士課程では、PWBの高さを反映する客観的要因を生理学的視点から探索的に検討しました。これまでの研究結果から、「副交感神経機能(心拍変動)という生理学的要因の向上がPWBの向上に寄与するのではないか?」という仮説が立てられ、現在はこの仮説を検証するために、心拍変動を効果的に高められる運動手法を含む有酸素性トレーニングの介入実験を行っています。この研究から、「有酸素性運動→心拍変動の向上→PWBの向上」という一連の流れが明らかになることが期待されます。

フェローシップ生インタビュー

常識とサイエンス、そのギャップに面白さを覚えて

―― そもそもwell-beingとは、どのような概念なのでしょうか。

村上:正直なところ、現時点では「well-beingの定義はこれ!」といえるほど確定的な定義は定められていません。実際、幅広い領域で、さまざまな研究が進められています。たとえば世界保健機関(WHO)の憲章では、”Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity”と記されています。定義中のwell-beingを日本語訳すると“満たされた状態”となり、どこかぼんやりとしています。私自身はwell-beingを哲学的背景に基づく定義として、快楽主義と幸福主義の2つの側面に分けて考えたりもしています。

―― 快楽主義と哲学主義とは?

村上:快楽主義に基づくwell-beingとは、ポジティブ感情や人生満足度など、感覚的に満たされた状態であり、幸福主義に基づくwell-beingは、生きがいや自己成長などによってもたらされるものです。いずれのwell-beingも、疾患リスクや死亡リスクの低下に寄与するとの報告があります。たしかにいずれにしても「満たされた状態」であれば、長生きできるというのは常識的でありなんとなく想像もできます。けれども、そう単純でもなさそうだという知見が、特定の炎症関連遺伝子群(CTRA[Conserved transcriptome response to adversity])の発現に関する研究から得られたのです。CTRAは、逆境(e.g., 社会的孤立や慢性ストレス)にさらされた人においてその活性が高いことが明らかにされています。well-beingとの関連では、幸福主義的に満たされた人ほどCTRAの発現が低い(つまり炎症レベルが低い)ことも明らかになってきました。さらに驚くことには、そのうちいくつかの知見では、快楽主義的に幸せな人においてはCTRAの活性が高い(炎症レベルが高い)という一見矛盾した結果が示されているのです。

―― well-beingと遺伝子の関わりは初めて聞きました。

村上:幸福主義、快楽主義を問わずwell-beingが高ければ長生きできそうと、普通なら思います。けれども科学的に突き詰めると、いわゆる常識とは違う知見を得られる。そんな気づきを得たときは嬉しくなるし、その根源に迫りたいと思うじゃないですか。CTRAがwell-beingにどう関わっているのかをもっと知りたい。そんな思いが通じたんでしょうか、今まさにCTRA遺伝子を発見した海外の先生と共同研究させてもらっています。

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一つのテーマを突き詰めると、次につながる

―― 遺伝子を発見したとなると、いわゆるその分野の第一人者ですよね。

村上:おっしゃる通りです。CTRAの解析法を持っているのは、提唱者の米・カリフォルニア大学ロサンゼルス校のスティーブ・コール博士です。もちろんCTRA研究の第一人者の先生と私自身には、何のつながりもありませんでした。けれども、たまたまコール博士のCTRA遺伝子に関する論文を見つけて指導教員の橋本健志先生に話をしたところ、「それは面白いね!」と言っていただき、コール博士にコンタクトがとれるよう、動いてくださったんです。おかげでコール博士とつながる日本人の先生が見つかり、その方からコール博士に繋いでもらえました。

―― 橋本先生の行動力が実を結んだんですね

村上:先生もアメリカで研究生活を送っていた経験があり、アメリカの方のフランクさを肌感覚で理解されていたようです(実際に先生ご自身もアメリカの方並み(?)にフランクで、日々学ぶところが多いです)。日本人はつい社会的地位などを気にしがちですが、研究の世界は違う。同じテーマに興味を持っているなら、研究者仲間として受け容れてもらえるのだと実感しました。

―― 研究は順調に進んでいるのですか。

村上:今は被験者の方に週3回研究室に来てもらい、心拍変動(副交感神経機能)を効果的に高めるトレーニングを行っています。被験者には毎朝、携帯アプリを使って心拍変動の状態を記録してもらい、その増減(コンディション)に応じてトレーニング負荷を調整することで、介入後の心拍変動が効果的に高められる、という理論に基づくものです。介入前後には学校で心電図を用いた測定をするのですが、心拍変動は身体の疲労・回復状態のみならず、ストレスなどの気分状態を反映した繊細な指標であり、日常生活で生じるストレスが直接的にその数値に影響をもたらす可能性があります。さらに、大学まで来てもらうときに自転車を使ったときと、バスで来たときでは、計測値が変わってしまう傾向が見られています。トレーニングの効果を抽出するためには、このような交絡因子を取り除き、実験を進めていかないといけないので、悪戦苦闘しています。

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見えてきた未来、海外も選択肢に

―― 博士課程後期では論文執筆が重要かつハードなタスクだと思いますが、どのように進んでおられますか。

村上:ちょうど先月(2024年12月)、ようやく1本アクセプトされました。この論文は1年前に出したときにリジェクト、つまり不採用となったものです。博士課程後期に進んでから1年以上もかけて書いた論文ですから、受理されなかった心理的ダメージはかなりなものでしたね・・・。だけど、研究とはそれくらい厳しい世界だと意識を切り替えました。査読者が論文を読んで、さまざまなコメントをつけてくれます。難解な指摘も多いですが、それらをいったん受け容れたうえで自分なりに解釈し修正を重ねていく。そんな苦労を経ていたので、アクセプトされたときの喜びは一入でしたね。

―― ハードな日々を過ごしているようですが、ご自身のwell-beingはどのように保っているのですか。

村上:週1回以上の有酸素運動をしたり、地元の友だちや関西在住の友だちと食事に行ったりして気分転換しています。研究中は徹底的に集中するけれども、ときには研究の外に出てリフレッシュするのも大切です。また、海外出張で国際学会に参加させてもらったり、コール博士のような海外の研究者との交流もモチベーションを高める貴重な機会となっています。

―― RARA学生フェローでは、何か海外交流の支援はあったりしますか。

村上:海外での学会で参加したいと思うものを見つけたときは、渡航費等の補助を受けられます。こうした渡航支援も大きなメリットだと思います。また、海外に限らずRARAに所属する先生方が集まる交流会に参加すると、自分の視野やキャリアプランがとても広がります。また、大学以外の研究機関にいる研究者などと話をする機会もあり、別の世界が見えてきて、大変参考になっています

―― 今後のキャリアパスは、どのように描いているのでしょう。

村上:大切な柱として考えているのは、科学的なエビデンスを伴う研究成果を、何らかの形で社会に提供することです。官公庁や企業でも博士人材を求める動きが出てきているので、それも一つの選択肢です。あるいはwell-beingを高める技術や製品開発に研究者として携わる道も考えられます。その時には、国内に限らず海外も視野に入ってきます。思うままに研究を突き進みがちな自分の性格を考えると、海外でのフィールドのほうが合っているかもしれません(笑)。そこまで自分の人生の可能性を大きく引き伸ばしてくれたRARA学生フェローには、とても感謝しています。

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