[佐藤満HomePage]
[「政策過程モデルの検討」目次]
4.データによる検証
(11)
端的にいえば、村松モデルに対する二人の批判者が提示した政策過程をデータの上から読み取ることが出来るか、が本節の課題である。取り扱うデータが官僚に対する意識調査によるものであるから、このデータから検証できるのは主として官僚が認知する政策過程であることになる。とすれば、村松モデルの内環すなわち「政策過程」、真渕モデルの「政治過程I」、「III」、山口モデルの「総合機能・基本設計」以下の「状況志向」に向かう政策群がデータのカバーしている範囲であろう。村松の「政策過程」が一様ではなく、二人の批判者が示しているようにさらに分類していくことができるかどうかをみていくことになる。
真渕モデルの「政治過程I」、「III」に分類できるとするならば、参加者の限られた主として資本主義政治経済体制の安定的運営にかかわる過程と、村松が反体制的とした野党勢力も含む多元的な諸力による利益配分の交渉の過程が析出されるであろうし、山口モデルの「戦略過程」と「利益過程」が読み取れるとするならば、官僚を中心的担い手とする、システム全体を見渡して、かつ長期的な展望を持つ計画作成を行う過程と、個別的利益配分に対応する利益政治の過程とが浮かび上がってくるであろう。意識調査の質問項目の中から、こうした問題意識に対応するものを選びだすことが、次の作業である。
意識調査の質問項目には官僚に対して政策過程に対する規範認識を問うものと事実認識を問うものが含まれる。ここでの目的からいえば、政策過程がかくあるべきであるとか、こうあって欲しいとかの官僚の意見ではなく、官僚の目から見た事実がどうあるかを答えたものに注目すべきである。むろんこの両者が截然と区別される訳ではないが、分析目的からすれば事実認識が示されていると考えられるデータが分析の対象となる。その中でも、政策過程の種差性を示していると考えられるものに焦点をあてねばならない。こういうふうに絞り込んでくると、注目すべき質問項目は官僚の外部勢力との接触、協力・敵対関係などであることになる。
ところで、部分的政策過程を「記述的で主題別のカテゴリー(Lowi1964b, p.689)」に代えて、理論的なカテゴリーにすることの意図は、先にも述べたようにそれを通じて政治の構造を見通すことである。しかし、政策規定説に立って演繹的論理構成をとるのでなく問題発見的に部分的過程を構成しようとするならば、一番手近なのはその「記述的で主題別のカテゴリー」であるところの、農業政策、とか福祉政策というものである。これは、我々のデータの上では回答者の所属省庁という形で近似的に表わされている。農水省が所管する政策、厚生省が所管する政策、という訳である。こうした「主題別カテゴリー」を一定の概念的な分布図の上で近いものをまとめることで、部分的過程の構成は始まるであろう。そうした概念的な分布図の上で近いところにプロットされる省庁は、概念的にひとまとまりにしやすい政策をそれぞれ所管していると考えてよいだろうということである。したがって、所属省庁という変数を中心に事実認識を表していると考えられる変数群を検討していくことになる。
省庁の違いと相関のある事実認識を表す変数を使って概念的な分布図を作り出す分析用具として、数量化理論III類を用いることにした。したがって、この分析手法で取り扱いにくい形をしている変数は割愛せざるを得なくなった。数量化理論III類は各サンプルの各カテゴリーに対する反応に注目して、反応のあった組み合わせにそれぞれ数量を入れたとして、そのサンプル数量とカテゴリー数量について相関係数を最大化するような数量を求めていくという手法だから、一つの設問に選択肢がたくさんあり、それに対して多様な回答があるようなものについては、各選択肢がおよそ排他的になっているだけに用いにくい。カテゴリー数量が隔たっているのが有意に遠いのか設問の構造上そうなっているに過ぎないのかが判定しにくいからである。そういうものについては大胆に選択肢を統合するなり無視するなりする訳であるが、省庁別クロスにおいて結構高い相関を示してはいたが、数量化III類に投入することが困難な変数が幾つかあった。
結局、取り上げた質問項目と、それをどのように加工して分析に投入したかについては以下のとおりである。
・所属省庁
調査の全範囲、すなわち、経企、大蔵、厚生、農水、通産、労働、建設、自治の八省。
・外部勢力との接触頻度
頻繁に(毎日、いつも)、時々(数日に一回)、ある程度(一週間に一回ぐらい)、あまりない(一ヵ月に一回)、ほとんどない(一ヵ月に一回未満)の五段階尺度。これを「首相・官房長官やその直属の部下」、「あなたの省の大臣」、「与党国会議員」、「野党国会議員」、「自民党政調会」、「地方自治体代表(首長、職員、議員等)」、「種々の関係団体」の七つのアクターに関して問うたものを「ある程度」以上の「高い」と「あまりない」以下の「低い」に統合。与野党議員については質問票に「国会の会議、委員会での接触は除いてください」との注記がある。
・自省の政策に関する限りでの自社両党の相違
非常に、かなり、ある程度、あまり、ないの5段階尺度。このうち、「違いはない」と言う回答はなかったので、「かなり違いがある」以上の「大きい」と「ある程度違いがある」以下の「小さい」に統合。
・現代日本において政策決定に最も力をもっているもの
政党、官僚、企業、労組、マスコミなど「その他」も入れて11項目から3位まで上げてもらう質問になっているが、1位と2位は「政党」、「行政官僚」に集中している。したがって、1位に政党を答えたか、官僚を答えたか、のみに注目する。
解析の結果は表3の通りである。第一次元を横軸に、第二次元を縦軸にとってこれを図上にプロットしたものが図2である。相関係数をいえば、固有値を平方に開いてそれぞれ、0.53794 、0.40978 である。
表3 多変量解析の結果
-----------------------------------------------
固有値
第一次元 第二次元
0.28938 0.16792
-----------------------------------------------
カテゴリー数量 (実数)
所属省庁
経企 1.69048 2.59952 20
大蔵 1.72801 0.77021 41
厚生 -0.22301 -1.14349 41
農水 -0.99119 -2.64719 34
通産 0.18448 1.45722 40
労働 -0.54149 2.29387 27
建設 -1.13539 -1.72162 31
自治 -1.29453 -1.03733 16
接触頻度
首相 高い -0.87588 4.53935 29
低い 0.11587 -0.59609 222
大臣 高い -0.54638 0.66660 187
低い 1.60224 -1.95834 64
与党議員 高い -0.70945 0.16424 199
低い 2.73738 -0.65215 51
野党議員 高い -1.26277 0.57003 128
低い 1.31744 -0.59657 123
政調会 高い -1.42924 0.37949 112
低い 1.16930 -0.32588 138
自治体 高い -1.05661 -0.75149 148
低い 1.52229 1.07320 103
団体 高い -0.34313 -0.27404 218
低い 2.28148 1.78876 33
自・社の違い
大きい 0.23311 0.62307 148
小さい -0.38209 -0.90415 102
影響力
政党 -0.07578 -0.50033 123
官僚 0.11362 0.65631 104
---------------------------------------------
<図2 挿入予定箇所>
あまり美しく出たとはいえないが、横軸は首相、大臣を除く各アクターに対する接触頻度の高低がもっぱらこれに表されているので、政策過程の開放度と捉えることができる。首相との接触頻度の違いは横軸よりむしろ縦軸に強く現われており、大臣との接触頻度は両方の軸に表現されているが、他はおおむね横軸のマイナス方向に接触頻度が高くプラス方向に接触頻度が低く、この軸のみで尽きている。したがって、政治過程内のさまざまのアクターが参加する政策過程が横軸のマイナス方向に、参加するアクターが限られている政策過程がプラス方向に出てくることになるだろう。
縦軸は首相や大臣という高位の政治家との接触頻度、自社両党の政策の隔たり、政策決定への影響力を有するものとしての官僚と政党の評価がこの軸上に展開しているところから見て、政策出力の分散可能性もしくは政策のシステム指向性ではないかと思われる。
図上で下方は政策出力を分散できる、すなわち個別的な利益配分が可能となるので自・社の違いは小さく、そういう場ではいわゆる族議員が官僚よりも強い、ということを表しているようである。自・社の違いが相対的に小さいという回答が一〇五件も寄せられている、という事実自体が注目に値するし、野党との接触の高低が政調会との接触の高低と非常に近いところにプロットされており、このことは、野党勢力が「政策過程」に背を向けているという村松の記述よりも、真渕の「政治過程III」に示された行動を取っていることを示唆しているものと思われる。また、そうした個別的な利益配分は、ローウィの分類法でいえば、非常に小さな利益を相互に関連させず個別ばらばらにばらまいていく「分配政策」が表されているということになろう。こういう政策は短期的には重大な価値剥奪を伴わないので、比較的下位の政策決定者達の間で処理されてしまう傾向がある。個々の利益配分に首相がいつもいちいち口をさしはさむことはない、ということである。
逆に上方は自社の違いが大きく、さらに、高位の政策決定者との接触が高いということから、個別ばらばらの利益配分ではない一定の総合的な判断を必要とする政策が含まれている、と考えられる。個々の政策を相互に関連させて長期間を見通した総合的な判断を必要とするがゆえに、一定の原理・原則上の争いが含まれてくることになる。その意味で自・社の違いは大きい。また、総合的な判断が求められるがゆえに、高位の政策決定者の判断を求めねばならなくなる。族議員が主として力を振るうがゆえに官僚よりも政党が力を持っているという答えの多くなるばらまき型の利益配分とは反対に、こうした領域には優先順位のある総合的な、官僚こそが主として担っていると自負する政策が含まれているのである。まさに図の上方は、真渕モデルの「政治過程I」や山口モデルにおいて「戦略過程」として表現されている政策過程があると考えられる。
ただ、山口の「戦略過程」は官僚の独壇場のイメージがあるが、この図は、官僚は自らが主として担っているという自負を持ちつつも、高位の政治家との接触もしきりに行うということであるから、官僚優位の長期戦略策定というよりは、政・官上層部の統治連合が担う体制維持のための政策過程と考えるほうが事実に近いように思われる。
さて、近似的に「記述的で主題別のカテゴリー」を表現していると考えられる所属省庁が、この二軸で表現される平面にどのようにプロットされているかみてみよう。
まず、開放度が低くて政策出力の分散可能性も低い経済企画庁と大蔵省の政策がある。そして、その対極に開放度が高く、分散可能性も高い自治、厚生、建設、農水、各省の政策があるということが見て取れるだろう。通産省や労働省の政策は各種アクターへの開放度は高いが、分散可能性については低い、というところに位置付けられている。
経済企画庁は各種政治アクターからあたかも隔離されているがごとくに孤高を保って長期的総合的な政策形成に携わっているのであろう。大蔵省も開放度ではほぼ同じスコアであることからこれに似た政策を担っているようであるが、体制指向、システム指向に専心しているかどうかを問えば経企庁よりは「不純」である。
通産省、労働省の担う政策は前二者と比較して政策過程の開放度は高くなるが、政策出力の分散可能性は低く、つまり政策の体制−システム指向性は高くなる。多くのアクターと接触はするが、自らがイニシアティヴを持ち高位の政策決定者との接触をより重視し、総合的な政策を担っている、ということを表しているようである。これらの省庁においては表面的な開放度とは裏腹に、政策形成にとって実質的に有用な外部アクターとの接触はかなり限られたものにすぎないのかもしれない。あるいは、これらの省庁には体制維持のための戦略的過程に主として身を置く官僚もおれば、個別的利益配分の世界に主に参加している官僚もいる、ということを表しているのかもしれない。
これら以外の自治、厚生、建設、農水の四省の担う政策が典型的な利益政治の過程に属すると言ってよいと思われる。
ともあれ、われわれの分析目的からすれば、図の右上に現われる省庁が担う政策と左下に現われる省庁の政策が別個の政策過程を構成していることが示唆できれば十分である。すなわち、図上に描いた一点鎖線の左下が多元的なアクターが参入する個別的利益配分の過程、右上が政策過程参加者を限定した体制指向の強い政策の過程が存在することを示していると考えてよいであろう。そして、このことから、村松モデルの批判者達のモデルの有用性が検証されれば本節の目的は達したこととなる。
すでに述べたように、左下に現われる個別利益配分の過程には野党勢力も排除されている訳ではない。政調会との接触も野党との接触も高く、自・社の違いが大きくないような政策過程なのである。
その対極の開放度が低く体制指向の強い政策を仮に体制維持政策と呼べば、この領域は真渕モデルの「政治過程I」で示された金融・産業振興政策や、山口モデルの「戦略過程」を導出する「総合機能・基本設計政策」の領域を示していると考えられる。ここでは政策出力をばらばらに分散させず、過程への参加者も限定した政策過程が見られる。
以上の考察により言えることは、村松モデルの「政策過程」は、個別利益の分配に野党勢力も加わっているという修正を付して「利益過程」などと言い換えたものと、長期的なシステムの発展安定に寄与するための官僚と高位の政治家を中心として参加者を限定した過程に分けて考えたほうが現代日本政治過程を語るモデルとしてはより正確かつ豊かになるということである。後者の過程は二人の批判者が村松モデルの包括性に疑問を持つことで付け加えていった「政治過程I」と「戦略過程」の指し示すものである。
通産省や、労働省については野党も含む外部アクターとの接触が高いという回答と自・社の政策上の隔たりは大きいという回答を総合しての解釈として、野党との接触は、接触はするものの自らが所管する政策の形成にレレヴァントなものではないとしているというものが可能であると思われる。しかし、厚生省については自・社の政策上の隔たりは小さいというカテゴリーの非常に近くにプロットされており、これとは違う解釈が必要となりそうである。
一つの解釈は、村松が示すように、野党の掲げた政策が時間的なギャップはあるものの結局は自民党の政策となるので政策上の隔たりが小さいということと政策形成上レレヴァントな接触は体制側アクターとの接触に限られるということは矛盾しない(村松1981)、というものである。事例研究の結果こうした見方を支持しているものもある(根本1984)が、政策形成における厚生官僚と野党との接触を単なる「挨拶」以上に解釈する事例研究もある(中野1992)。接触の内容を直接検証できるものがわれわれのデータに含まれている訳ではないので、これ以上の検討はできないが、村松の「政策過程」概念を真渕が示した「第三の政治過程」に修正するとするならば、内環・外環モデルに縛られた解釈を取る必要は薄れるので、厚生省の所管する領域での野党勢力の政治過程への実質的参加を示唆していると考えてもよいと思われる。
次章へ