佐藤満HomePage] [「福祉国家の構造と政治体制」目次

はじめに


 「福祉国家(Welfare State)」なる語は、第二次世界大戦を反ナチズムの側で戦った国々が、ナチズムの「戦争国家(Warfare State)」に対抗する自らの呼称として作り出した、いわば語呂合せに端を発しているという(伊部、四頁)。そうだとするなら、「連合国(United Nations)」が敵対する枢軸諸国を打ち倒し、対抗する諸勢力の中の一勢力ではなく、唯一の「国際連合(United Nations)」となったのと同様に、「福祉国家」も「戦争国家」を打ち倒した第二次大戦後、現代の国家一般を指す普遍的な呼称に昇格したのだ、という類推を行いたくなる誘惑を押さえがたい。
 事実、「福祉国家」は「イデオロギーの終焉」とともにすべての国々がそこへ収斂して行く、現代国家のモデルとして捉えられたこともあった(注1)。そして、そのような捉えられ方をしたがゆえに、左翼勢力からは現代資本主義社会の諸矛盾をおおいかくし、資本主義国家の延命を計るものとして忌避されたこともあったのである。現在では逆に、保守派が「福祉の見直し」をとなえ、左翼は福祉国家を、また、福祉国家の成果としての福祉政策を擁護しようとする。この間そうした立場の入れ替わりなどがあり、かならずしもすべての国が当然目指すべきモデルや、当然そこに向かってしまう収斂の終着点というわけではなくなったようにも思われるが、いまだに一定の普遍性を持った概念であることは間違いない。
 本稿で問われなければならない問いはまず、この点から立てられることになる。すなわち、「福祉国家」は産業化が一定進展すればその必然的な結果として起こり、その姿は諸国の政治的状況にかかわりなくある程度一様なものと捉えてもよいのか、あるいは、福祉国家の体制にも様々なものがあり、その相違は理論的な整理を行わなければならないほどのものなのか、という点である。
 この点について、本稿が示唆する回答は、分析者の視点の置き方によってその見方は異なるものとなるというものである。つまり、産業化を一定程度達成した国々とそれがいまだ途上にある国々を比較すれば、産業化を成し遂げた国々ではいわゆる福祉政策がいずれにせよかなりの程度実施できているという点では大きな差はないということになるが、そうした一定の産業化を達成した国々の間の比較をすれば、産業化の程度が同じ国々の間で、政治のありかたにより福祉政策のありかたにかなりの差異が生じている、ということが言えそうだということである。
 すなわち、産業化の達成度においてかなりのものを成し遂げたいわゆる高度産業国家と、産業化がこれからの課題である途上国を同列に比較するならば、高度産業国家間の差異などほとんど無意味に見えてしまうぐらい途上国と産業国家の差異は大きいわけだが、高度産業国家だけを比較の対象として見つめたときは、それらの国々の間の差異がはっきりと見えてくるだろうということである。
 こうして上述の分析者の視点のうち後者の視点をとり、すなわち、産業化を一定達成した国々を比較する目的で見つめたとき、世界が一様の「福祉国家」に収斂するというのでないということになるのならば、問いを次の段階に進めることができる。すなわち、高度産業国家の中に見られる多様な「福祉国家」をどのように分類すればよいのか、あるいはそれらはいかなる指標により分類されるのか。そして、そうした多様性を産み出した原因は何か。すなわち「福祉国家」を多様な姿に発展させて来た原動力は何であったのか。こうした問いかけをすることにより、途上国と比べれば、とにもかくにも「福祉国家」となってしまう高度産業国家の政治体制、政治構造の差異がもたらすところの福祉の政策出力の差異について議論を進めることができるであろう。
 本稿では、福祉国家をもたらしたものが何であったかについて論じて来た何人かの論者の所説を簡単に追いながら、上述の問いを上述の順序で考えて行きたい(注2)。また、特にこれらの論者の変数の扱い方について注目して論述を進めたいと思う。まずは、福祉国家の形成因を主として社会経済的な変化、産業化にもとめ、それゆえに、様々の福祉国家間の相違よりもむしろ共通点に注目して、政治的文化的な相違を乗り越えて国家は産業化の進展とともに一様の福祉国家に収斂して行く、というタイプの議論を検討しよう。

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