佐藤満HomePage] [「福祉国家の構造と政治体制」目次

政治勢力重視論─2

(労働勢力重視論):エスピン−アンデルセン


 ウィレンスキーもキャッスルズも、従属変数としての福祉国家のありようを公表された数字を操作することによって作り出し、その差異をもたらした独立変数を探究する、というスタイルの研究を行った。ただ、従属変数を作り出すについて、データの収集可能性やインディケータとしての正確さについての言及はあるが、理論的な言及はやや希薄であった。つまり、それぞれの論者が操作した数字はどのような意味での福祉国家を表わしているのか、各論者はそれぞれの「福祉国家」にいかなる定義を与えようとしているのか、について、あまり体系的な議論はなされていないように思われる。ウィレンスキーのイデオロギーの定義のしかたを批判し、福祉国家の指標としても公共支出は福祉国家の内包する平等主義を正しく表現しないとしたキャッスルズは福祉国家についての理論的検討を行っていないわけではないが、正面きっての体系的議論をしているとは言い難い。彼の指標が表わしているものは彼の考える福祉国家の達成度であることは間違いないが、それは端的に言って何なのか、もしくは、理論的には何を見ているのか、についての言及はないように思われる、ということである。
 これに対して、先の二者同様、公表された数字の操作により従属変数を構成するという方法を踏襲しながら、福祉国家の達成度を測定するとき、その中心的概念としての「脱商品化(decommodification)」を構想し理論的説明をしようとしたのがヨスタ・エスピン−アンデルセン(Gosta Esping-Andersen)である。本節では彼の所説を検討しよう。
 エスピン−アンデルセンは、ウィレンスキーなどの公共支出に着目する単線的得点付与(linear scoring)アプローチを批判する。公共支出は福祉国家の理論的実態に対して現象的なものを表現するにすぎず、権力、民主主義、福祉が関係的、構造的現象であるという社会学的観念と矛盾するというわけである。たとえば、サッチャー時代のイギリスでは福祉への公的支出は多かったが、これは高い失業率の反映に過ぎないし、オーストリアのように特権的な公務員たちに多大の給付がなされる国家もあるわけだから、福祉国家をマーシャルの「社会的市民権(social citizenship)」の概念を中核として考えたとき、正しい指標を提供しているとは言い難い、というわけである(Esping-Andersen 1990, p.19)
 そこで彼は、福祉国家の時代の権利として提起されたマーシャルの「社会的市民権」を拡充し、国家の活動がどのように市場や家庭と関連づけられているか、換言すれば、国家がどの程度市場や家庭に依拠することなく自らの手で、権利としての福祉サーヴィスを提供しているかを見るための概念的な指標としての「脱商品化」を提起する。脱商品化の定義は、「生計を立てるためのサーヴィスが、権利として市場に依拠することなく与えられること」もしくは「市民が、自らそれが必要であると考えたときに、職、収入、一般的福利を失うおそれなく自由に仕事を離れることができること」である(Esping-Andersen 1990, pp.19-23)
 こうして福祉国家の定義の中核にマーシャルの社会的市民権を置き、これを比較研究に使える操作可能な概念としての「脱商品化」に作り換えて、エスピン−アンデルセンは従属変数としての福祉国家を整理する。
 彼が脱商品化の程度を比較するために検証したのは年金、傷病保障、失業保障の三項である。彼の方法を示すために、年金について何を見たのかを簡単に記してみよう。まず、比較対象とした代表的な先進国一八ヵ国(注7)の、製造業に従事する標準的な労働者の平均賃金に対する最低限の年金額の比、標準的な労働者の平均賃金に対する標準的な年金額の比、年金受給資格を得るに必要な醵出年限、年金財政が個人の醵出に依拠する割合のそれぞれについて各国別データを集める。このデータそれぞれについて脱商品化の観点から見たときの得点を三段階で付与していく。すなわち、脱商品化の程度の高いものに三点、低いものに一点、中位のものに二点を与える。三分するについては群の平均、標準偏差から計算して分類する。こうして得た得点を加算し、これに年金受給開始年齢以上の人口に対する実際の受給者の割合で重みづけを行う。さらに、個人が働くのか福祉に頼るのかを決めるときの重要さに鑑み、標準的な年金額の得点についてはさらに重みをつけるために二倍にして計算する。
 同様のデータの吟味と計算を傷病保障の制度と失業保障の制度についても行い、それらを加算することで脱商品化の得点を得るのである。(Esping-Andersen 1990,p.54)
 こうしてエスピン−アンデルセンは脱商品化の程度を指標として、下表のようにサンプルとして選んだ一八ヵ国を三つのグループに分かつ。

脱商品化得点
オーストラリア13.0
アメリカ13.8
ニュージーランド17.1
カナダ22.0
アイルランド23.3
イギリス23.4
イタリア24.1
日本27.1
フランス27.5
ドイツ27.7
フィンランド29.2
スイス29.8
オーストリア31.1
ベルギー32.4
オランダ32.4
デンマーク38.1
ノルウェイ38.3
スウェーデン39.1
平均27.2
標準偏差7.7
Esping-Andersen 1990, p.52)

 こうして高得点のスカンディナヴィア国家、中位の日本およびヨーロッパ大陸国家、低得点のアングロサクソン国家に三分されるわけであるが、三つの国家群はそれぞれ社会民主主義体制、保守主義体制、自由主義体制と名付けられる。この三つの体制がエスピン−アンデルセンが福祉国家の原動力を探究するときの従属変数となるわけである。
 独立変数としては「唯一の強力な原動力を見つけ出そうなどという望みは捨て去らねばならない」と断わりながら、三つの要素が重要であるとして挙げている。すなわち、階級動員(とりわけ労働者階級)のありかた、階級政治の連合構造、それぞれの体制が制度化された際の歴史的遺産がそれである。
 労働者階級の階級動員のありかたはまず、労働組合運動の組織のされ方に見られるとされる。そのありようは翻って、政治的要求の表明や階級の結束力、労働者政党の活動範囲などに決定的な影響を与える。したがって、階級動員を見るためにはまず、組合の構造に関心を払わねばならない、というわけである。しかし、エスピン−アンデルセンは、どのような階級動員のありかたがどの福祉国家体制に結び付くのかについては論じていない。むしろ、階級動員が社会民主主義体制をもたらしたとする見解はスウェーデンのケースを一般化しすぎである、と批判もしている(p.19)。ここでも単線的得点付与アプローチに対する批判が見られ、左翼の議席数、得票率の増大や組合の組織率の上昇などが福祉国家の強化に直接結び付くわけではない、とするのである。
 代わりに強調されるのが階級間の連合のありかたである(注8)。どのような階級動員がなされても労働党、もしくは左翼政党がそれのみで福祉国家を形成するのは不可能に近く、歴史的事実としても、福祉国家の成立は政治的連合の形成に依拠していたのである、というわけである。農民勢力との連合に成功したスカンディナヴィア、農民が保守派と連合し左翼を孤立させた大陸諸国、農民勢力が衰亡していたり、連合できなかったりと理由はいろいろだがともあれ赤緑連合の形成ができなかったアングロサクソン国家、というぐあいに、連合のありかたは福祉国家の体制に対応している。
 連合のありかたで体制の相違が説明されるのは福祉国家形成期だけの話ではない。スカンディナヴィアでは農民勢力が衰退し代わって新中間層が台頭してきたとき、労働者階級は連合のパートナーを切り替え、すなわち、赤白連合に切り替えて福祉国家を支える体制を維持した。それゆえにこれらの国では福祉国家のコストは高いのである。イギリスではすでに福祉国家形成の時点で、農民勢力は小さく代わりに新中間層の勢力が大きかったので、公的福祉に依拠せざるを得ない層と、私的にすなわち市場において生活保障を得る層のデュアリズムの構造ができた。アメリカでも新中間層は市場に向かう。大陸諸国では新中間層は保守派と結び、職業構造に固く結び付いた社会保険のシステムを発達させる(pp.29-33)
 歴史的遺産についても触れておこう。過去の改革は階級の選好や政治行動の制度化に結び付く。大陸国家では職業的地位に結び付いた社会保険の制度が中間層の忠誠心を一方的にそのような形の福祉国家に集中させる。自由主義体制では中間層は市場と抜き難く結び付く、というわけである(p.32-3)
 こうしてエスピン−アンデルセンが重要であるとした三つの独立変数を見ていくと、中でも労働者階級の対中間層連合選略の成否が決定的である、としているようである。本稿で社会勢力重視論とするゆえんである。

 エスピン−アンデルセンの議論もまた、ウィレンスキーやキャッスルズのように公表されたデータを使いつつ、福祉国家の国際比較をするための従属変数を作り出すというものであった。ただ、その際に彼は、その従属変数が理論的に示すものを明確にし、自らの方法で測定されるのはいかなる福祉国家の達成度なのであるかを明示した。従属変数の精緻化については彼が最も高い到達を示しているであろう。

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