佐藤満HomePage] [「福祉国家の構造と政治体制」目次

国家構造、国家アクター重視論─1

(ステイティストの登場):ワイァ、スコッチポル


 これまでに取り上げてきた三人の論者の議論は、福祉国家をもたらしたものは何か、という問いを共有し、それぞれ福祉国家の達成度と考えるものを従属変数にし、その差異を導出する独立変数を探究するというスタイルを持つものであった。とりわけ本稿ではその従属変数を公表されたデータからいかにして操作的に作り出しているかに着目して追ってきたが、最後に取り上げる国家構造、国家アクター重視論の論者たちはやや趣きを異にしている。
 まず最初にマーガレット・ワイァとティーダ・スコッチポル(Margaret Weier and Theda Skocpol)の議論を検討することで、彼等の議論はこれまでの論者と何がどのように違うのかを明らかにしていこう。
 彼等が従属変数とするのは分析者の視点でいったん抽象化されたものではなく、具体的実態としての国家の政策的対応である。かれらは多数の国家のデータを集めてこれを操作していくつかの従属変数としての国家群に整理していく、という方法をとらない。問題にされる国家はスウェーデン、イギリス、アメリカに限られている。なぜなら、彼等の議論においては国家は従属変数ではないからである。
 彼女たちによれば、ここまでの議論が国家を従属変数としたため、国家は経済的状況や政治勢力の動きに対して一方的に受動的にしか対応しないかのように論じられてきたとされる(Weier and Skocpol, pp.117-8)。言われてみれば、産業化の帰結としての福祉国家然り、右翼政党の弱さの反映としての福祉国家然り、赤緑同盟が、のちには赤白同盟がもたらした福祉国家然りであるようにも思える。これに対して、彼女たちを含むいわゆるステイティストと呼ばれる一群の研究者たちは、福祉国家をもたらすものを探るためには、社会経済的環境から独立に行動する国家アクターや国家の制度的構造そのものをも独立変数ととらえることで分析はより豊かになるという主張を行ったのである(注9)
 ワイァとスコッチポルが分析に再導入すべきであるとした国家とは何か。彼等は二点が重要であるとする。まず、いかなる社会集団の圧力や選好にも解消され得ない国家アクターの自律的活動。ついで、社会の全ての集団の政治に間接的に影響を与える国家の組織構造である。国家の行政的、財政的、強制的、法的な組織編成や、国家がすでに行っている政策が、集団やその代表者たちが政府活動の領域において何が望ましく、また、そもそも何が可能であるかについての考えを展開させるに当たって影響を与えているということをその内容としている(p.118)。こうした内容を図式化したものが下図である。

概念図
 彼等の論稿は、一九三○年代にいわゆる社会ケインズ主義的政策が導入され、福祉国家を発展させたスウェーデンと、その導入ができなかったケインズの母国イギリス、その導入がいわゆる商業ケインズ主義にとどまったアメリカの相違を論ずるものであった。上図の学問的発展とはケインズ主義を指しているのである。
 こうして分析に再投入すべき国家関連の独立変数を整理し、従属変数を恐慌時における政策的対応という形で明確化して、ワイァとスコッチポルは三○年代の各国の動きを記述する。まず、労働者階級の支持に基づく綱領政党が運営する政権が、ことケインズ主義の導入に関してはまったく逆の対応をとることになったスウェーデンとイギリスの場合を比較検討し、さらにアメリカの対応の分析を行っている。
 イギリスではなぜケインズ主義的政策が導入できなかったのか。それは、イギリスはすでに一九一一年に導入された失業保険の制度を持っており、これがかえって足枷となって積極的な救済策がとれなかった。すなわち、不況下、増大する失業者は失業保険の存在ゆえに政府財政を圧迫し、政府当局者が積極的財政運営を躊躇せざるをえない状況となっていた。すなわち、福祉国家としてのイギリスの先進性を示す失業保険の存在こそが、負の政策遺産として機能したのである。まさに、「最初にスタートし、もしくは最もすばやくスタートした国が最も早く到達するわけではない(p.123)」ということである。また、国家構造の点から言っても、イギリスにおける大蔵省の隔絶した地位は、財政の均衡を崩す政策の導入を困難にした。この二点の説明は、まさに、政策遺産と政府構造を分析に取り入れなければできないところである。
 これに対してスウェーデンでは、失業保険を持たなかったためイギリスのような負の政策遺産はなかった。また、スウェーデンの政策形成システムの特徴とされる審議会重視の伝統は、後にストックホルム学派と呼ばれることになるハマーショルド(Dag Hammarskjold)、ミュルダール(Gunnar Myrdal)、オーリン(Bertil Ohlin)ら気鋭の経済学者や、政策企業家としてこの時代を旋回させた社会民主労働党のエルンスト・ウィグフォシュ(Ernst Wigforss)らに革新的な政策を立案していく活躍の場を与えたのである。
 アメリカはどうだったか。失業保険という負の政策遺産を持たなかったため、公共事業による失業救済に乗り出しえた、という点ではスウェーデンと同様であった。しかし、国家構造が分権的であるがゆえに、徹底性を欠いた。連邦政府と公共事業の実施を担う州政府の間の連携が十分にはとれないからである。また、集権的な綱領政党を持たないことも徹底性を欠くことの理由として挙げられている。

 ともあれ、彼女たちの提示する事例は彼女たちの提起する新しい独立変数、すなわち、社会経済的利害関係からある程度独立した国家アクターたちの行動や、それぞれの国家の政治構造や政策遺産が、それぞれの国家に異なる政策的対応をとらせたことを説明することに成功している。ウィレンスキーやキャッスルズの場合でもたとえば国家の集権制の程度が福祉国家のありかたに与える影響について論じ得ているので、必ずしも福祉国家の達成度を従属変数とすると彼女たちの提起している新しい独立変数が語れなくなるとは思われないが、従来の研究が暗黙裏に国家を受動的存在としてきたという指摘は貴重なものであった。

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