立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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2026.06.23

<懐かしの立命館>昭和初期の立命館中学校・商業学校(Ⅹ) 「立命館禁衛隊」表紙に紹介された写真から

(1)第59号 表紙写真「記念の分列式」 学園創立三十五周年記念号
                       1935(昭和10)年12月

禁衛隊Ⅹ1
【写真1】建礼御門に向かって分列行進する禁衛隊の学生生徒

創立三十五周年記念式典と分列式
 1935(昭和10)年、立命館大学は創立三十五周年を迎えました。その記念式典が、11月23日の新嘗祭(天皇がその年の新穀を神に捧げ感謝し、自らも新穀を食べる宮中行事)の祝日午前9時から大学国清殿で挙行されました。多数の来賓が参列し、御真影奉拝、教育勅語奉読後、中川総長の演説(学園の歴史と精神を約35分にわたり述べた)、織田萬名誉総長、佐々木惣一大学長らの祝辞が続き、西園寺公望公をはじめ170通の祝電が披露されて11時閉式されました。
 その後すぐに禁衛隊行事へと移りました。来賓一同は、大学傍の清和御門から入って、建礼御門前に位置し、学生生徒約四千名の分列式が約1時間にわたって行われました。

禁衛隊Ⅹ2
【写真2】分列式を見守る前から中川総長、織田萬名誉総長、佐々木惣一学長ら

 昼からは学内で祝賀会が開かれましたが、その席上、中川総長は自らのポケットマネーを1万円投じて百年後に莫大な基金として未来の学園に活用するという計画を発表しました。 
 当時は利子が低下傾向にあり、百年後の経済形態の見通しがつかないとして、三井や住友は引き受けを躊躇しましたが、関西信託は立命館と多年にわたる取引があったことから引き受けたのでした。

中川総長古稀祝賀会
 そして、午後5時から京都ホテルでは学園の教職員と校友ら五百名が列席して、中川総長の古稀祝賀晩餐会が開かれました。この喜びを永く記念するためとして、大学の校友会員、職員、中学・商業の卒業生と父母や職員らによって五万円を拠金して中川会館を建設することになりました。新聞紙上には学内東南の空地に近日着工予定と発表されていました。

立命館創立三十五周年記念大演習(11月24日・深草練兵場にて)
 前日の大祝賀会に引き続いて、午前8時から立命館禁衛隊約四千名の学生生徒たちが、大学校門から繰り出して禁衛隊楽隊を先頭に深草練兵場へ集合。激烈な白兵戦を演じました。西軍は騎兵隊、高射砲隊、野砲隊、歩兵隊、タンク隊、杖衛隊、自転車隊、瓦斯隊、槍隊、飛行機二機に義勇側車隊の応援も加わり京都を死守して演習が終了。その後、各教練が行われて午後4時に皇居を遥拝し、万歳を三唱して解散しました。
 当日は好晴の日曜日とあって、多くの来観者が大演習を見守ったのでした。

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【写真3】騎兵隊

禁衛隊Ⅹ4
【写真4】防空高射砲隊

禁衛隊Ⅹ5
【写真5】野砲隊

(2)第60号 表紙写真「三学期の勉強始まる」非常時の春と我等の覚悟号
                      1936(昭和11)年1月

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【写真6】禁衛隊道場前の掲示板

 掲示板には「禊修行第二学期皆勤ノ者ハ各組ニ於テ前列ノ席ヲ與フ 昭和11年1月6日」と書かれていました。総長として二度目の校長兼務となった中川校長は、就任二年目を過ぎて、自ら描く教育の理想に向かって、中学生・商業学校生へ次々と新しい改革を打ち出し、禊や遥拝も定着、禁衛隊としての軍事演習も高い評価をえるようになっていました。後は、生徒の学業をいかにして向上させるかが課題でした。長期欠席や成績不良の生徒には退学処分も含めて厳しく臨みながら、優秀な生徒には更に意欲を向上させるために飛び級などを実施して、学校としての評価を高めようとしていました。この掲示板の公示もその一つでした。

2026年6月23日 立命館 史資料センター 調査研究員 西田俊博

2026.06.09

<懐かしの立命館>昭和初期の立命館中学校・商業学校(Ⅸ) 「立命館禁衛隊」表紙に紹介された写真から

(1)第57号 表紙写真「空の護り」 1935(昭和10)年10月
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【写真1】照空燈、高射砲、聴音器、警報用サイレンなどを囲んだ生徒と配属将校

 禁衛隊第56号には、前年夏に近畿地方で防空演習が実施され、立命館においても校内における防空施設を完備し、大規模な防空演習を実施したと記されています。この訓練を更に重ね、国家有事の際に不覚をとらないための心構えと防空思想の普及徹底をはかる必要があると考え、1935(昭和10)年7月17、18日の二日間にわたり、立命館中学校・商業学校では大規模な防空演習を行いました。この演習には東京警備参謀伊佐中佐が参観し、「東京方面には数々の学校があるが、こんなに立派に訓練され、遺憾なく実施できる学校は極めて稀である」と高く評価していました。
 これによって立命館中学、商業の評判は高まり、京都師団管内配属将校の学校教練研究会第二日目(10月11日)、立命館の防空演習が視察されることになりました。
 生徒たちが禊から朝拝、体操を行って教室へ戻った午前8時、対空監視哨生徒がマイクで「敵機見ゆ」との飛行機警報を発令して演習が開始。敵機が学校の上空に現れ、雨天体操場へ爆弾を投下し火災発生という想定で生徒全員が校庭に集合。三年生以下は鴨川河畔に避難し、そこで銃による応戦演習が行われました。
 学校に残った上級生たちによって、まず兵器の埋蔵並びに重要書類を格納。屋上の高射砲隊や高射機関銃隊が敵機を射撃。これによって敵機を退却させたとして警報が解除されました。
 その間、校庭には焼夷弾やガス弾が投下されたとして、防毒マスクを着用した消防班消毒班などによる迅速な活動が行われ、敵飛行機による来襲に備えての灯火管制の訓練も行われたのでした。
 その他の防空施設としては、非常時望楼(木造校舎の屋根上)、兵器埋蔵設備、重要書類格納所、防火用砂、消火用ポンプ、非常用バケツ、集団防護設備、灯火管制用電気覆、非常用井戸、防毒衣防毒面若干、劇薬品格納庫等が紹介されていました。
 兵器、劇薬や重要書類格納など学校レベルを超越する態勢がとられていたことがうかがえられます。当時は木造校舎でしたが、2年後には鉄筋3階建てで地下道(防空壕兼)も備えた頑強な学舎が建設されていくことになります。


(2)第58号 表紙写真「禊の朝」 1935(昭和10)年11月

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【写真2】

 中川校長による指示で、生徒たちは毎朝、禁衛隊道場のうちの「西の道場」で冷水摩擦を行うことになりました【写真3】。当初は、風邪予防のための健康対策として始まったものが、心も身体も清めるための修行とされるようになり、禊の後には皇城遥拝を行い、それから一日の授業が開始されたのでした。

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【写真3】禊の場面 (史資料センター保存) 

 禊のために校庭から汲み上げる井戸は、中川校長の命名により「御楯の井」【写真4】と呼ばれ、払拭の水は清泉とされました。その傍には萬葉集の防人の歌「今日よりはかへりみなくて大君のしこの御楯と出で立つ我は」の歌碑【写真5】が建てられました。

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【写真4】「御楯の井」石碑(史資料センター保存)

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【写真5】「御楯の井」碑裏面の防人の詩(史資料センター保存)

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【写真6】『立命館要覧』1934年版に掲載された「御楯の井」

 さらに詳しくは、立命館史資料センターHP
「懐かしの立命館」 立命館中学校・商業学校の「御楯の井」をご覧ください。

2026年6月9日 立命館 史資料センター 調査研究員 西田 俊博

2026.05.28

<懐かしの立命館>華麗なる銭湯の「変身」!

 京都にある銭湯について、立命館史資料センターのホームページ、「立命館あの日あの時 <懐かしの立命館>懐かしの銭湯」とフェイスブック「学生時代に通った銭湯は今?」でご紹介しました。
 そこで残念ながら閉められた銭湯の中で、「カフェ」としてリノベーションされた所が有りますので、ご紹介します。かつてのレトロな銭湯時代を想像しながら、おしゃれにカフェを楽しんでみませんか。

1.SAGANOYU(カフェスタイルリゾート嵯峨野湯)
 1923(大正12)年に建てられ、2004年に廃業された銭湯「嵯峨野湯」(右京区嵯峨天龍寺今堀町4-3)ですが、2006年にリノベーションされ、カフェとして生まれ変わりました。銭湯時代の設備の一部や壁のタイル等を生かしたおしゃれなカフェになっており、パスタやカレー、各種ドリンク等が提供されています。
 店内は基本的に撮影禁止だったため、写真を紹介できないのが残念ですが、許可をとって撮影した写真を掲載します。

銭湯の変身1

銭湯の変身2

2.Hashigo Cafe Kyoto
  元「じぞう湯」(右京区太秦青木ヶ原町3-4)という銭湯が2017年にリノベーションされ、カフェになりました。
 大勢で囲める大テーブルは、浴槽の上に天板を乗せて作られています。下を覗き込むと、タイル製の浴槽が見えます。洗い場と湯船の境目の段差もそのままで、さまざまなモザイクタイルを生かしています。男湯と女湯を隔てる壁は、半分だけ残してあります。奥のドーム状のタイルで囲われている場所は、元はネオン風呂でした。数多くのかき氷メニューやパンケーキ、ケーキ等が提供されています。

銭湯の変身3

銭湯の変身4

銭湯の変身5

銭湯の変身6

3.さらさ西陣
 80年営業を続け、1999年に廃業した銭湯「藤森湯」(北区紫野東藤ノ森町11-1)がリノベーションされてカフェになりました。
 外観の唐破風が見事で、内装は、特徴のある和製マジョルカタイルは極力残し、格天井もそのまま使っています。男湯・女湯の仕切り壁も一部を残しています。奥の浴室は美しいタイルに囲まれたカフェとなっています。ドリンクや定食等が提供されています。
 会計は、ロッカーの番号札のような席札をレジに持っていきます。

銭湯の変身7

銭湯の変身8

銭湯の変身9

銭湯の変身10
立命館 史資料センター 調査研究員 佐々木浩二

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