國弘 遥(くにひろ はるか)さん

卒業年月2016年3月(学部)/2018年3月(大学院)

卒業論文「国立故宮博物院」が見せるもの――文物移送に関わった人々の思い

修士論文中国仏教美術における図像の受容――唐代千手観音の持物と千臂表現

所属ゼミ宮内肇ゼミナール

大学院立命館大学大学院文学研究科文化動態学専修

卒業後進路グループウェアメーカー



大学1回生の時、レポートの課題図書だった野嶋剛著『ふたつの故宮博物院』(2011年、新潮社)を読み、とても面白いと思ったことをよく覚えています。北京と台北に同じ名前で存在する故宮博物院の存在は、自分が漠然と持っていた博物館の認識とは全く異なっており、その成立過程を卒業論文で取り上げたい、と思うようになりました。並行して、文学部科目や一般教養科目では、元々興味のあった文化史や美術史の授業も受講し、授業で取り上げられた作品を博物館へ見に行くことも度々ありました。

そして、科目の履修や卒業論文の執筆を進めるうち、博物館の所蔵品である美術品そのものに関心を持ち、文学研究科へ進学しました。修士論文では、唐代の千手観音菩薩をテーマに取り上げ、図像や様式の変遷を論じました。文献に加えて、美術品そのものが重要な史料であり、その扱いや解釈、抽象的な事柄の言語化に、苦心した記憶があります。


 

【國弘さんが卒業論文・修士論文で利用した文献・荘厳『遺老が語る故宮博物院』と『大正新脩大蔵経』】


文学研究科を卒業した後は、グループウェアの開発や販売、運用を行う企業に就職し、システムエンジニアとして働いています。主な業務として、営業部やパートナー企業への技術支援、自社製品の性能検証、ログの解析などを行っています。IT の知識に乏しく、プログラミング経験も皆無だったため、入社後に一から学んでいます。できることが少しずつ増えていった結果、技術支援した相手に感謝されたり、自社製品の安定運用に貢献できたりしたときは、やり甲斐を感じます。

卒業論文では、北京から台北へ文物を移送した故宮博物院の職員が遺した中国語の手記を、参考文献として取り上げました。修士論文では、テーマに関連する仏像や仏教絵画を確認するため、日本や中国の寺院、博物館に足を運びました。振り返ると、文学部や文学研究科での学びの中で、「原典にあたる」ことは、大きな柱の一つでした。先行研究を読むことはもちろん必要ですが、その研究の源となる、文献史料や一次資料を探して、読み解くことが重要だと、繰り返し教わったように思います。

このことは、仕事をする上でも大いに活きています。日々多くの情報が入ってくる中で、「情報源はどこか」「何に基づいた見解なのか」という点に、注意を払う必要があります。 また、第三者が再検証しやすいよう、自分の出す見解の情報源を分かりやすく記載することも重要です。情報を吟味する際も、出処や関連する公式ドキュメント等を確認し、なるべく事実に基づいた見解を出せるよう心がけています。

こういった仕事を、今年の2月末からは在宅勤務で行っています。
新型コロナウイルス流行拡大に際して、日本では、国民に特定行動の「自粛」を要請するという選択が取られました。

中国の近現代においても、歴史的背景は様々ですが、国民の行動の自由が政府によって制限される、ということ自体は幾度も起こっています。しかし、この度の自粛要請によって、行動の自由が制限され得る仕組みの中へ、自らが身を置いていることに、初めて思い至りました。行動の自由や選択、他人との関わりといったことに自覚的になれたことは、私にとって、大きな価値観の変化でした。新型コロナウイルスの流行が収束したとき、自分はどんな考えの元に、どんな行動を取るのか、興味深くもあります。

(2020年7月寄稿)