梅村 愛(うめむら あい)さん

卒業年月2018年3月

卒業論文広東僑郷社会と女性――1920 年代の『新寧雑誌』から

所属ゼミ宮内肇ゼミナール

卒業後進路化学メーカー




私が学部生のころは、1、2回生まで学びたいことが決まっていなかったので、現地実習や短期留学といったプログラムにできるだけ参加していました。現地に行った体験は、中国の独特な空気感を感じられましたし、習った言葉や身振りを駆使してコミュニケーションをとるので、とてもいい経験になったとおもっています。3回生になってからは、選択したゼミごとに卒業論文の作成が中心となっていき、私は1920年頃の広東省の地方誌をターゲットにした、女性に関するトピックスを研究することに決めました。

1920年頃の中国というと、日本をはじめとする海外からの侵略、儒教の基盤であった科挙の廃止などをうけて、これまでの価値観が否定され、反儒教主義と西洋思想が台頭した時代でした。私の研究していた五邑とよばれる地域でもそうした思想は波及しており、女性に関係するトピックスの中では、特に結婚や離婚の自由が認められていく傾向にありました。一方で、離婚した女性や結婚を拒んだ女性を批判し、従来の女性像(貞節を守ったとか夫の死後も再婚しなかったとか)を称賛する記事がまだまだ中心的で、まさに従来の価値観と新しい考え方が交錯していた時代であったとおもいます。

 

【梅村さんが卒業論文で利用した史料・『新寧雑誌』】

現在、私は化学メーカーに勤めており、自動車の内装材関係の営業をしています。主な仕事は自社製品の売り込みですが、基本ルート営業なので、製品の立ち上げから量産に至るまでの開発と、出荷後のクレーム対応まで、一連の業務に携わります。そのため客先はもちろん、自工場や材料調達先、加工屋などをはじめとする多くの人と関わりながら仕事をしています。自分の携わった商品が世に出るのをみるととても感慨深いですし、車を買う消費者として意識するときには、自分の仕事が社会に関わっていることを実感することができて、うれしくおもいます。

仕事をするようになってから、社会が、一人一人の意思の集合体によって成り立っていることに気が付きました。仕事は、判断が委ねられる個人の範疇が大きい分、各々の選択によって物事が変わってくるのですが、それも今までの経験や環境によって変わるので、人を動かすことの難しさを感じました。一人一人の仕事を深堀りすると不確定な要素が多いのですが、それが積み重なって規模が大きくなると、自然と同じ方向を向いて物事が進んでいくので、この流れの正体こそが、社会の形成なのではないかとおもっています。

私の研究した100年前の中国は、その時代背景から、多くの人々が自らの選択がどうあるべきかを考えていましたし、その一人一人の意思を理解しようと模索したのが私の卒業論文だったわけですが、現代を生きる私たちは、人とはどのような状況で何を選択するのか、何を考えるものなのかを、歴史を教訓として掘り下げ続けて、一人一人が現代社会に対する意思を持つべきだとおもっています。それは、社会の再生産を担う者としての義務であるとおもいますし、その土台に大学時代の学びが活かされていることは間違いありません。

(2020年2月寄稿)