白川静先生について学ぶ

白川静 略年譜

西暦 年齢 出来事
1910年 0歳 福井市にて誕生(4月9日)
1917年 7歳 福井市立順化尋常小学校入学
1923年 13歳 福井市立順化尋常小学校卒業。大阪へ出て広瀬徳蔵法律事務所に就職
1930年 20歳 京阪商業第二本科卒業
1933年 23歳 立命館大学専門部(夜間)入学
1935年 25歳 (専門部在学のまま)立命館中学教諭(~1941年)
1943年 33歳 立命館大学法文学部漢文学科卒業。予科教授
1945年 35歳 文学部助教授
1954年 44歳 文学部教授
1955年 45歳 『甲骨金文学論叢』を立命館大学中国文学研究室から油印で刊行。以後十集に及ぶ
1962年 52歳 興の研究で博士学位取得(京都大学)
1970年 60歳 『漢字』(岩波新書)。以降、『孔子伝』(中公叢書)、『中国古代の文化』『中国古代の民俗』(講談社学術文庫)など、一般読者のために書き下ろす
1976年 66歳 定年退職・特別任用教授
1981年 71歳 名誉教授
1984年 74歳 『字統』(平凡社)。毎日新聞出版文化特別賞
1987年 77歳 『字訓』『文字逍遥』(平凡社)
1991年 81歳 菊池寛賞
1996年 86歳 『字通』(平凡社)。京都府文化特別功労賞
1997年 87歳 朝日賞
1998年 88歳 文化功労者
1999年 89歳 『著作集』(平凡社)(~2001年)。「文字講話」を始める(~2005年)。「勲二等瑞宝章」受章
2002年 92歳 『著作集 別巻』(平凡社)(~2003年)。福井県名誉県民賞
2004年 94歳 文化勲章受章
2005年 95歳 福井市名誉市民、京都市名誉市民
2006年 96歳 京都市にて逝去(10月30日)

白川静先生はどのような人?

白川 静白川先生は、1910年4月9日、福井県生まれ。小学校卒業後、大阪の法律事務所で住み込みで働きながら、勉強を続けます。漢字の源である甲骨文字・金文の綿密な解読に基づき、古代中国の社会と文化を理解し、それまでの学問を一新する「白川学」を構築します。そこから、「白川文字学」が生まれました。一方で、70歳を越えてから、自らの文字説による字源字書『字統』、日本語と漢字の出会いを探った古語辞典『字訓』、漢和時点の最高峰『字通』の字書三部作を刊行し、多くの読者に衝撃を与えました。これらの業績により、1998年文化功労者として顕彰され、2004年に文化勲章を受章しました。

「東洋」への興味

白川先生の研究は、法律事務所で働いた経験からはじまっています。そこには、漢詩集をはじめとする多くの蔵書がありました。白川先生は、それらの蔵書を自由に読むことを許されていました。読み進めていくうちに、「東洋」という言葉に心を惹かれていきます。日本最古の詩集『万葉集』と中国最古の詩集『詩経』との比較をしたい。そのためには、中国の古代文字を勉強しなくてはならない。そのような問題意識から白川先生の研究がはじまりました。

学問に対する姿勢

白川先生の学問スタイルは、まず原資料の甲骨文・金文をトレーシングペーパーによって書き写しを行うものでした。文字の成り立ちやつながりを、体で感じ取るためです。膨大な量を書き写す地道な作業から、白川学の体系の基礎となる「サイ(サイ)」を発見したのです。(詳細はコラムを参照)。
研究成果を発表する場を自らつくったエピソードもあります。当時は白川先生の甲骨文・金文字研究を出版してくれる出版社はありませんでした。そこで、研究成果を自ら油印で印刷し、発行していたのです。「サイ」を発見した論文も油印の印刷でした。

コラム 「サイ」の字の発見

サイ「口」のつく漢字の中には、「くち」という意味だけでは字の成り立ちが説明できないものが数多くあります。白川先生が45歳の時に古代の人々の暮らしを研究し、「口」が「サイ(サイ)」(載)を表していると発見したことで、説明がつかなかったことの多くが明らかになりました。「サイ(サイ)」とは「祝詞(人が神に願い事をするために書いた文)を入れる器の形」です。神事は政治や民間の暮らしに深く関わりがあり、漢字がそれを表現しているのです。漢字を通じて、古代人の思想も浮き彫りにすることができたのです。

壮大な体系を持つ「白川学」

白川先生といえば、一般的には漢字の専門家というイメージが強いかもしれません。しかし、白川先生の研究目的は、文字の研究を通じて中国古代社会の構造を明らかにすることでした。漢字一つひとつを徹底的に見直して、中国古代社会の宗教性に満ちた実態を明らかにしてくれました。漢字の持つ音ではなく、意味に着目し、壮大な微動だにしない体系を構築したのです。近代まで東洋の共通文化であった漢字には、現代になり徐々にその地位が低められつつあります。白川先生は、「東洋」という理念、東北アジア文化の共有性の崩壊を懸念され、東洋文字文化の普及に尽力されてきました。

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白川 静