武田鉄矢さん「名誉漢字教育士」授与記念特別対談 #1

「道」という字は首を下げて歩くから…とか。なぜこの説が?というところから、僕の白川文字学の入り口が開いていったんです。(武田)

加地
はじめまして。本日はありがとうございます。
武田
こちらこそありがとうございます。
加地
武田さんというと、『幸福の黄色いハンカチ』の印象が強いのでしょうか、私は“共同体”のイメージを強く感じます。それも我々世代の、今は忘れ去られた共同体ですね。そして、それはその後の金八先生などに続くイメージでもあると思うのですが。
武田
そうですね。集約すれば、(金八先生は)バブルと一緒に忘れ去られた共同体への憧れの具現だと僕は思います。実は福岡県で教師を目指して勉強していたことがあるんですけど、現場の先生から君は教師としては0点だと言われたんです。ただ、君には不思議な才能がある。それは先生の才能であると。君は(教師という)ものを教える技術者ではない。しかし、子ども達は(教育実習生である)君をなめてはいるが、君が教壇に立つとひとまずみんな君を見る。それは先生という才能がないとできないのだと。そう言われたことをよく覚えています。
加地
子どもは意外と直感力がありますから、この人は先生なのか、そうじゃないのかを見分けてしまいますよね。そして先生じゃないと見分けられてしまった瞬間から学級崩壊なんですよ。逆に本当に先生だと思ったら、子ども達はついてくるものです。
武田
ですよね。だから、その先生の言葉はずっと胸に響いていて、タレントになった後、僕は先生モノをやるわけですけれども、教師然とふるまいたくないというのがありましてね。子どもと一緒に悪戯ばかりしていました。それから子どもというのは、いろんなことを察するといいますか。ロケをやっていますと、我々をからかう不良が出現するんですが…。
加地
本物の不良が、ですか?
武田
そうです。やるか、やらないかという状況で、「やる」という殺気を出すタレントに対しては、子ども達は役が終わっても「先生」と呼ぶんですね。
加地
この人は本物(の先生)だと。
武田
面白いことに先生というのは資格とか、知的分量とか、技術とかじゃないんですね。その人の“柄”みたいなものが教師のポジションに立たせてしまうという…。そういう話から進めると、僕自身、いつも先生を探しているタイプの教え子なんですよね。
加地
なるほど。
武田
最初に本を読んでいて、この人のことを生涯かけて「先生」と呼ぼうと思ったのは、司馬遼太郎という人でしてね。この人は直感的に永遠の先生だと。本当に好きでしたね。それからフォークシンガーになった後、実はもう一人“先生らしい”人物のレジェンドを聞いたんですよ。はしだのりひこっていうフォークシンガーがいましてね。
加地
確か京都の方ですよね。
武田
そうです、そうです。その彼がコンサートの合間に楽屋で学生運動の話を始めましてね。大学教授などというのは度胸のない奴ばかりだけど、ときには肝の据わった奴もいると。学生運動の最中、学生がとある研究室に押しかけたら、中にいた教官に「出て行け!」と一喝されて、その凄みに思わず後ずさりして逃げたと。世の中には大学教授といえどもすごい奴がいるぜという…そんな彼の話をなぜかずっと覚えていたんです。
加地
ほう。
武田
それでその教授というのは、芥川賞を獲ったあの人かなぁ、大和の歴史を探っているあの教授かなぁなどと推測したりしていたんですけど、その話が誰かのエッセイにふっと出てきたんですよね。それが内田樹という人の文章の中で、それは白川静という文字学をやっている先生であると。僕自身、奇妙な縁を一つ感じているんですけど、金八先生のパート3か4の頃、ちょっとウケた授業がありましてね。それは金八先生が黒板に漢字を書いて、字源を授ける…名場面と呼ばれる、アドリブのシーンなんですけどね。
加地
アドリブとはすごいですね。
武田
いやいや。「人」という字は支え合って生きているんだよというと、(生徒役の)子ども達もアドリブでぶつけてポカーンとして聞いている。スタッフも、今のはいい話ですねという。いろんなお褒めの言葉をいただいて。最後のほうはスタッフも横着になって、漢字の話をもっと増やしてくれと言うようになって(笑)、これは漢字の勉強をしなければまずいなと。それである方の字源の本を探すわけですけど、それがどこにもないんですよ。
加地
ほう?
武田
すると、ある本屋さんで「最近新説が現われて、あなたが探している人の本はどうもパワーを無くしたらしい。新説の人のほうが売れている」というわけですよ。で、その新説の人の本を開くと、テレビではとても使えないんですよね。
加地
ああ、わかります。
武田
「道」という字は首を下げて歩くから、とかね。なぜこの説が強いんだろうというところから、僕の白川文字学の入り口が開いていったんです。
加地
偶然だったんですか。
武田
偶然でした。昔、はしだのりひこが言った、押しかけた学生に対して一歩も退かなかった人と、何十年もコツコツ、文字の源を求めて遡り続けたその人が同一人物だと知ったときは本当にうれしかったですね。
加地
その立命館での話はいくつかあるんです。当時、学生運動では団体交渉といって教授達と学生達がやりあうことがありましてね。何時間も費やして、終わる頃には皆ヘトヘトになって散会するんですけども、散会した後の夜10時、11時、真っ暗な校舎にぽつんと白川教授の部屋だけ、灯りが点いていた。それを見ていた学生達の話を高橋和巳という小説家が書いています。
武田
いやあ、いい話です。目に浮かびますよね。ちょっと俗っぽい言い方ですが、先生が勉強しているというのがね。
加地
それが学生達への無言の教育だったと思います。何も騒いでいることがすべてじゃないと。ただ、白川先生ご自身は実はものすごく優しかったです。どの人に対しても、とてもあたたかくて優しい方でした。
武田
一度でいいから姿を見たかったなと思いますね。