ニュース

最新のニュース

2018.06.16

2018年度 立命館西園寺塾 6月16日講義「その日暮らしの生き方と働き方」を実施しました。

2018年6月16日(土)
 ・13:00~14:30 講義

          
講師:立命館大学大学院先端総合学術研究科 副研究科長
                     小川 さやか

 ・14:40~17:30 ディスカッション 

【指定文献】
 『実践日々のアナキズム ―世界に抗う土着の秩序の作り方』
     ジェームズ・C.スコット【著】清水展・日下渉・中溝和弥【訳】岩波書店
 『「その日暮らし」の人類学 ―もう一つの資本主義経済』小川さやか【著】光文社

 

 

2018.06.02

2018年度 立命館西園寺塾 6月2日講義「緊迫する国際情勢と日本」を実施しました。

2018年6月2日(土)
 ・13:30~15:30 1~5期生合同講義
(前半)
          
講師:立命館大学国際関係学部 客員教授
                     薮中 三十二

 ・15:45~17:00 
1~5期生合同講義(後半)
 ・17:30~19:30 1~5期生合同懇親会

【指定文献】
 『日本の針路―ヒントは交隣外交の歴史にあり』 薮中三十二【著】岩波書店


 

 


2018.05.26

2018年度 立命館西園寺塾 5月26日講義「資本主義の行方とアートとしての経済学」を実施しました。

2018年5月26日(土)
 ・13:00~15:00 講義
1-資本主義の行方
          
講師:大阪大学大学院経済学研究科 准教授
                     安田 洋祐

 ・15:15~16:50 講義2-資本主義の行方
 ・17:00~18:00 講義3-アートとしての経済学

【指定文献】
 『資本の世界史 資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか』
                ウルリケ・ヘルマン【著】太田出版
 『ゲーム理論はアート 社会のしくみを思いつくための繊細な哲学』
                     松島斉【著】日本評論社


 

 


2018.05.19

2018年度 立命館西園寺塾 5月19日講義「資本主義の行方を考える」を実施しました。

2018年5月19日(土)
 ・13:00~15:00 講義

          
講師:立命館大学国際関係学部 教授
                     山下 範久

 ・15:15~17:00 グループワーク・ディスカッション

【指定文献】
 『デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか 労働力余剰と人類の富』
            ライアン・エイヴェント【著】東洋経済新報社

 


 

2018.05.12

2018年度 立命館西園寺塾 5月12日講義「『私の履歴書』からみたリーダー像」を実施しました。

2018年5月12日(土)
 ・13:00~14:15 講義-交遊抄について

          
講師:日本経済新聞社 京都支社長
                     金丸 泰輔

 ・14:30~17:30 講義「私の履歴書からみたリーダー像」
          質疑応答

【指定文献】
 『安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書』安藤忠雄【著】日本経済新聞出版社
【事前課題】
 
交遊抄の作成

 

 

2018.04.22

2018年度立命館西園寺塾(第5期生)開講式および特別講義・フィールドワークを開催しました。





4月21日(土)、立命館朱雀キャンパス(京都市中京区)において社会人対象のグローバルリーダー育成講座「立命館西園寺塾」の開講式を行いました。第5期塾生として、産業界等の第一線でご活躍の19名が入塾しました。


開講式では、森島朋三・立命館理事長が挨拶を行い、塾生に立命館西園寺塾の意義と塾生に対する期待の言葉を贈りました。




その後、塾生を代表し、株式会社博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所 所長の吉川 昌孝(よしかわ まさたか)様が決意の言葉を述べました。




開講式終了後は、特別講義と1泊2日のフィールドワーク(下記日程)を開催しました。

4月21日(土)
 特別講義「西園寺公望の志~立命館西園寺塾塾生に期待すること」
   講師:立命館西園寺塾名誉顧問
      西園寺 裕夫
 指定文献:『元老西園寺公望―古希からの挑戦』   伊藤之雄【著】文春新書




特別講義「奈良フィールドワークに向けて」
  講師:立命館大学文学部教授・立命館西園寺塾コーディネーター
     
本郷 真紹
指定文献:『天皇の歴史2 聖武天皇と仏都平城京』 吉川真司【著】講談社学術文庫



 



4月22日(日)
 午前:大神神社・石上神宮
 午後:東大寺・大極殿

 

 

 


19名の塾生は約1年間に亘り、稲盛生き方コースと梅原文明コースを受講します。プログラムは講義とフィールドワークで構成、講師と塾生の徹底したディスカッションにより、強靭(タフ)で、かつ“しなやかさ”を持った「未来を生み出す人」を育成していきます。


2018.02.03

2017年度立命館西園寺塾(4期生) 修了式・修了記念パーティーを実施しました。

2月3日(土)、2017年度 立命館西園寺塾(4期生)修了式
および修了記念パーティーを行いました。




修了式は、学校法人立命館理事長の森島朋三の挨拶から始まり、
3人の修了生による挨拶に続き、西園寺裕夫様によるご祝辞をいただきました。
その後開催されたパーティーも、終始和やかな雰囲気で閉会いたしました。





■ 修了式
 ・修了証書授与
 ・修了生代表挨拶
    日本航空株式会社 内藤 建一郎 様
    株式会社ワークスアプリケーションズ 菊地 孝行 様
    富士通株式会社 野津 靖子 様
 ・祝辞 立命館西園寺塾 名誉顧問 西園寺 裕夫 様

■ 修了記念パーティー
 ・乾杯 薮中 三十二 先生
  

 ・閉会の挨拶 山下 範久 先生
  


 

2018.01.27

2017年度 立命館西園寺塾 1月27日講義「現在の中国と国際社会」を実施しました。

2018年1月27日(土)
 ・13:00~15:00 講義
          講師:
東京大学 教授
                     川島 真
 ・15:20~17:00 ディスカッション

【指定文献】
 『中国のフロンティア』川島真【著】岩波書店
 『21世紀の「中華」』川島真【著】中央公論新社

 

 


2018.01.20

2017年度 立命館西園寺塾 1月20日講義「イスラームのとらえ方―穏健イスラームに注目して―」を実施しました。

2018年1月20日(土)
 ・13:00~14:30 講義
          講師:
京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究所 教授
                     東長 靖

 ・14:45~16:45 ディスカッション


【指定文献】
 『イスラームのとらえ方』東長靖【著】 山川出版社
 『イスラーム神秘思想の輝き―愛と知の探求』東長靖・今松泰【著】山川出版社

 

 

2018.01.13

2017年度 立命館西園寺塾 1月13日講義「ロシア=転換の年2018」を実施しました。

2018年1月13日(土)
 ・13:00~14:30 講義
          講師:
法政大学 教授
                     下斗米 伸夫

 ・14:45~17:00 ディスカッション


【指定文献】
 『プーチンはアジアをめざす 激変する国際政治』下斗米伸夫【著】NHK出版
 『宗教・地政学から読むロシア「第三のローマ」をめざすプーチン』
                  下斗米伸夫【著】日本経済新聞出版社

 

 

2017.12.24

2017年度 立命館西園寺塾 福島フィールドワークを実施しました。

12月23日(土)~24日(日)、福島県においてフィールドワークを
実施しました。概要は、以下のとおりです。

【概要】
 12月23日(土)
  小高ワーカーズベース 見学
  浪江町・富岡町周辺 見学
  回転寿しアトム・殉職警察官慰霊碑などの見学

  「福島第一原子力発電所の現状について」
  「福島復興本社の取り組みについて~福島復興への責任を果たすために~」

 
 12月24日(日)
  
Jヴィレッジ・天神岬(洋上風力・火力発電)・竜田駅などの見学










2017.12.16

2017年度 立命館西園寺塾 12月16日講義「近代日本とアジア」を実施しました。

2017年12月16日(土)
 ・13:00~15:25 講義1
          講師:東京工業大学
リベラルアーツ研究教育院 教授
                     中島 岳志
 ・15:35~16:30 講義2
 ・16:30~17:00 質疑応答


【指定文献】
 『アジア主義 ―西郷隆盛から石原莞爾へ』 中島岳志【著】 潮出版社

 

▼受講した塾生のレポート(S.K.さん)
 本講義を経て、思想や哲学との向き合い方とは、「心の在り方」として観念的に受け入れるものだけではなく、実務・実践においても有効だと気付いた。
 世にある「理念」と呼ばれるものを、「統制的」「構成的」に分けて考えると、これらへの向き合い方が明確になる。統制的理念とは、儀礼で「かのようにふるまう」という際の「か」であり、実在・実現しえないが、目指すべき高みである。構成的理念とは、「ふるまい」であり、一定の形やルールに当てはめたものである。
 西田幾多郎(多と一の絶対矛盾的自己同一)、ヴィヴェーカーナンダ(アドヴァイタ・不二一元)、岡倉天心(アジアは一つ)、ガンジー(山の頂は一つ、到達方法は複数)は皆同じことを述べている。このようにアジアで広く通底する普遍的な理念である点で「アジア」主義と銘打たれてはいるが、本質的には東洋も西洋も超越している。
 一方、講義前に感じた「アジアという表現に潜む偏り」は、ある面で的を射ていた。今でも西洋思想の中核は合理主義である。現実と夢を考えるにあたり、井筒俊彦は「自分と蝶、いずれが他方の夢を見ているかの区別に意味がない」と統制的に受け入れたのに対し、デカルトは(自身は気付いていたかも知れないが)「我思う」という主観を拠り所にした。
 主観を拠り所にすると相対主義に陥る。その延長上で「相手を認め」ても、「相手とは違う」との前提は揺るがない(=「矛盾」の認識にとどまる)。この場合、世の中の多様性が拡がるほど、孤立的・分離的になり、終末的で利己的な考えに至る。この考えが真実かどうかの論理的な解法はないが、こういった心の在り方では幸せになれないように思う。
 自らの考えや理念を整理する際、哲学や観念など(内面)と、学問・事業・社会像などの表現(外面)との境界線の引き方、その表現を通じた意思疎通相手との認識の合わせ方に難しさがあったように感じていたが、統制的な側面と構成的な側面を明確にすることで、整理が進めやすくなるように感じた。

 

▼受講した塾生のレポート(K.H.さん)
 近代における日本とアジアの関係性を問う内容についての講義だったが、導入部分のEUのあり方、そこから導き出せる連邦国家、もしくは隣国との連携における必要性など、大変わかりやすく、興味深いものだった。確かにヨーロッパとアジアは、大陸続きであるか、海を隔てた島国であるかの違いや宗教における価値観の違いもある。それでもEUが「中途半端な安定」を生み出せたことは、アジアにおける連携に大いに参考になるだろう。ヨーロッパのように「キリスト教」といった大陸で共有されている宗教があることが、「同胞」としての連携を生み出していることに繋がっていることは紛れもない事実であろう。しかし、この宗教といった核となる存在を持たないアジアは、だから連携できないのかというと、それだけでなく、歴史といったものも大きく影響している。それは明治維新後の「強国日本」による侵略行為などが過去の遺産として、根深い溝を生み出してしまったことも影響している。この150年間に起きた史実の中で、国学から受け継がれた「一君万民」という発想が明治維新へとつながり、アジア主義に発展し、それが帝国主義的な捉え方となったことで生まれた悲劇の歴史だったとも言える。
 今回のテーマである「アジアとしての思想の共有によるアジア主義」といった中島岳志先生の講義の主旨は理解も納得もできるものであったが、一方で西洋への対抗心から生まれたアジア主義という発想は、どこか西洋へのコンプレックスにも感じられ、東洋で生まれた思想や哲学の優位性を誇張するがために、西洋的発想と対比することがむしろ腑に落ちなかった。我々日本人はアメリカの受け入れと共に欧米化してきた生活環境で育ち、アジアが希薄化した時代を過ごしてきた。そういった環境において、どのようにアジアを意識し、どのようにアジアにおける連携を図ればよいのか。特に中国・韓国・北朝鮮といった東アジア地域における連携は、一筋縄ではいかない根深い問題が山積していて、これを乗り越えるだけの思想的一体感を生み出すことは至難の業ではないだろうか。
 それでも未来に向けて地域としての「アジア」が手を結べるようになるためには、各国の歩み寄りでしか実現はできない。それは「アジア」としての全体最適とはなにかを定義づけること、それによる意義を明確にするリーダーシップを誰が発揮するのか、それだけでもおそらく簡単には決まらないであろう。その先にあるアジアとしての未来には大いに期待できるのだろうと思いつつも、思想の一体感を醸成するのは厳しい…というのが、今回の講義における正直な感想である。

2017.12.02

2017年度 立命館西園寺塾 12月2日講義「人間の再定義」を実施しました。

2017年12月2日(土)
 ・13:00~14:30 講義
          講師:
東京大学 教授
                     中島 隆博

 ・14:45~17:00 ディスカッション


【指定文献】
 『思想としての言語』中島隆博【著】岩波書店
 『道徳を基礎づける』フランソワ・ジュリアン、中島隆博、志野好伸【共著】講談社

 

▼受講した塾生のレポート(S.K.さん)▼
 人間社会の根源・本質を問うテーマでありながら、思いを致す機会が少ない「人間の(再)定義」。宗教にも関わることもあってか、この話題で議論する機会は稀有だった。自分なりに、普遍的な道徳原理は「利他」であり、利己的に設計された「動物たる人間」を、利他を通じて「動物たらざる人間に高めようとするのが人間」との結論に至った。こういった考えを、今後も意見を交わすことで深めたい。

・宗教と世俗は、相互に影響して中庸に向かい、また分離する。同じことは異なる宗教間、異なる世俗間でも言え、ある文化(パラダイム)は他の影響を受け、ときに融合し、分離することと同義だと思う。
・モノリンガルは深さ(縦)、マルチリンガルは水平(横)に広がる。モノリンガルにおける規範は緻密、厳密であるのに対し、マルチリンガルにおける規範は総花的となる。
・単一(モノ)文化は、交流により複合(マルチ)化する。一方、複合文化も総花的で、根無し草(アイデンティティの欠如)につながる。不安に駆られた人は拠り所を求め、文化の分離が起こる。
・他文化との交流を遮断すると、生物種がやがて交配不可能な段階に分化するように、いずれ他と相容れない「超ガラパゴス」に至る。この段階で他文化と出会うと、意思疎通も困難となり骨肉の争いに発展しかねない。このような中、他を利する(相手の身になる)考えがあれば、争いは起こりづらい。ただし、一方だけが利己(排他)であれば、他方を駆逐しかねない。双方が利他であることが重要となる。
・現実問題、全ての文化が利他ではなく、むしろ、利己と利己とのバランスの上にある。だからこそ教育が必要となる。利他、寛容、自尊など、複数の文化(宗教)の事例(儀礼)と、その背景を客観的に知り、他人と意見を交わすことに意味がある。指導者のスキルや経験はその次だと思う。
・ただし、「人間と動物」の問題は、利己的に解決せざるを得ない。動物は人間の食糧であり、愛玩であり、信仰の対象である。感謝し、殺戮・廃棄・暴食をやめ、可愛がり、痛み・苦しみをなくすのが精一杯の所業だが、どこまでも行きつく先は「利己的な寛容」であり、業・罪・カルマをなくすことはできない。

 議論の前に背景の整理も重要に思う。人間を問い直すきっかけである「資本主義」の問題は何か。社会主義にも蔓延る「お金」という新宗教により、何が正しいかを見失う人間が増えてきたことではないか。その本質は、お金を得るために身も心もすり減らしているにも関わらず、実際はお金を得ることが幸せにつながらないこと、また、多くの人がそのことに気づいていないことのように思う。

・資本主義は本来、自由市場で利他によりお金を得るものだが、市場独占という利己が最もお金になる点で矛盾が内包している。労働者は食べるために、経営陣は株主を前に歩調を合わせざるを得ず(現代奴隷)、過剰労働や不当競争、偽装を行う企業が増え、多くの人が幸せを感じづらくなってきている。
・社会主義は本来、平等・公平を目指す思想だが、成果と報酬の分離は、利他の意欲を奪った。加えて、国民の政治的自由が奪われる中、利己の塊である資本主義に蹴散らされた側面もあるだろう。
・共通して、どの神よりもリアルで万能な「お金」が新たな宗教(パラダイム)を生んでいるように思う。そこには、功徳よりも利得が自己実現への近道だという幻想があるが、むしろ果てがない欲望の追求は自己実現を遠ざけてしまうという皮肉があるところに、問題の本質があるように思う。


 

▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)▼
 事前に課題図書を読んでいる段階では全く⻭が⽴たなかったというのが正直なところでであったが、講義の中で、登場⼈物が置かれていた時代背景などから導かれるそれぞれの思い・意図などの「⽬的」と、その「⽬的」の変遷などを教えていただくことで、流れと主張を把握できたように思う。空海が「衆⽣の救済」を追い求め、紀貫之や本居宣⻑は「中国からの独⽴」の為に”やまとうた”の優越を語り、夏⽬漱⽯は各国の「趣味」⾃体の変遷によっての普遍性の変容を説いたということだと認識したが、それぞれがそれぞれの時代体験において、成し遂げた価値は素晴らしいものだと思う。

 個⼈的に、空海が到達したであろう「悟り」には興味が湧いた。「三密」などについては、近代に⻄洋で発達した認識論とかソシュール辺りの⾔語論の匂いがするし、「声字実相義」などは、そのまま“シニフィエ・シニフィアン”だと思う。また「配置の思考・異なる次元の重ね合わせ」という概念・感覚については、量⼦⼒学で⾔う“コペンハーゲン解釈”とか“多世界解釈”と通じるものがあるように思う。もちろん空海がそれを分かっていたとは思っていないが、現代⼈でも解釈したり頭に思い浮かべるだけでも困難な概念を⽣み出している思考⼒には驚かされた。

 ディスカッションでお話をいただいたように、私は⾃覚的に「価値相対主義」であって、世の中には否定することが不可能な多くの考え⽅・価値観があり、優劣をつけることは良いことではない、という主義の中で⽣きている。ご指摘の通り、依るべき確固たる価値観が無いために「根無し草」のようにアイデンティティをフラフラさせながら漂うことになっています。もちろん「根無し草」の強さはあるので、この選択に後悔はないが・・とは⾔え、⽇々何かを判断しないと⽣きていけないが、先⽣もおっしゃったように、ではどこに許容/⾮許容の線を引くかという議題はあるが、私の場合、それは「経済・お⾦」である。単純に⾔えば、⾃分が”⾷うに困らない状態”を維持できるレベルがその基準であり、もしそれを侵害されるのであれば、その「主義」は排除するということである。よって、私は⾃分が経済的に裕福であればあるほど、様々な主義を受け⼊れることが出来るようになり、様々な⼈々を助けることが出来るようになるわけで、そのような意味で「やっぱりお⾦は⼤切」という考えになった。その意味において資本主義による経済発展がもたらした現代については、少なくとも多様性を認める余裕がなかったであろう近代以前に⽐べると素晴らしい世界だと思っている。

 最後の議論のテーマで「⼈間と動物の共⽣の倫理とは?」という⾔葉があった。私がこのテーマ⾃体に感じたのは、おそらく200 年前であれば「キリスト教徒と⾮キリスト教徒の〜」、70 年前であれば「アーリア⼈とそれ以外の〜」、50 年前であれば「⽩⼈と有⾊⼈種の〜」というように、同じ⼈間種が並べられていたのではないかと思う。それが現代社会になって、とうとう⼈間と他の⽣物種を並べることが出来るようになったのは、もちろん経済発展だけではないと思うが、⼈間が勝ち得た「余裕・余剰」のお陰なのではないかと思う。
 おそらく20 年後にはAI やアンドロイドによる働き⼿の問題が⽣じると思うが、その10 年後にはそれが収束して「⼈間とアンドロイドの共⽣の倫理」を論じているかもしれない。価値相対主義者らしく、⼈⽂学系の研究では何故か叩かれがちである「資本主義」の擁護をしてみた。

2017.11.25

2017年度 立命館西園寺塾 11月25日講義「文明は<見えない世界>がつくる」を実施しました。

2017年11月25日(土)
 ・13:00~14:30 講義
          講師:
千葉工業大学惑星探査研究センター 所長
                     松井 孝典
 ・14:45~17:00 ディスカッション


【指定文献】
 『文明は<見えない世界>がつくる』松井孝典【著】岩波新書

受講した塾生のレポート(Y.N.さん)
 高次元に見た「文明」の定義から私たちのとるべき行動まで、知の最先端を切り開かれてきたご経験や科学に基づく考え方から、解説していただいた。

 最初に、「文明」とは「地球システムの中に人間圏をつくって生きる生き方」とのご説明があった。人間圏をつくるとは、近年の爆発的な科学技術の拡大だけではなく、生物圏における狩猟・採取の生活様式から農耕・牧畜への移行に始まり、産業革命・都市化など、いまの私たちが日常の営みとしていることそのものを意味する。地球の駆動力に頼るだけでなく、自らの駆動力を持つようになった人間が、どう人間圏を運用、維持していくか、どのように生きていくのかが問われるということだ。

 そこで重要なのは「知識を知性に変える」ことであり、20世紀までの「卵」の時代に学んだことを、21世紀以降「ひな」としての生き方(文明)にフィードバックしなければならない。ひなへの転機は、人と宇宙の関係を明らかにするヒントとなり得る、様々な自然定数・宇宙定数の存在の発見ではないかと感じたが、一方でそれら最先端の知を一般の知に還元する部分が、いま欠落しているというお話には、考えさせられた。最先端の科学技術に関わらない自分には気を揉むことしかできないが、理系学生と話す機会に、指定文献を通じて松井先生が示唆されていることを、(内容の説明まではできないと思うが)せめて紹介してみようと思った。

 また、講義において、一般の生活においても参考になる考え方をご教示いただいた。
  ・単に経験するのではなく知識を持ったうえでなければ、知性には結びつかない。
  ・考えるということは、問題を解くことではなく「作ること」である。
  ・与えられた条件で決まるという考え方自体が間違っている。
  ・「より良い」を追及することは、誰にでも、どんな立場でもできるはず。
 難しいことですが、新しいことを切り開くためには本当に必要なことだと納得した。自身の業務においても、新しいサービスなど既存の枠組みにあてはまらないことを始めるような場合には、環境を含めて課題の仮説をたてることから始まり、解決の手段を考え、一つ一つ実践しながら仮説を検証するアプローチが肝要である。
 「より良い説明をしてみたい」という思いを核に実践し続けていらっしゃる松井先生のお言葉だからこそ、とても説得力があった。



▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)
 事前レポートにも書いたように、学問領域的には親しんでいる内容でもあったので、講義⾃体楽しく、新たな理論や最先端の研究結果の⼀端を、松井先⽣直々にお聞かせいただけたことは⾮常に幸運であった。超弦理論ではない「ループ量⼦重⼒理論」については初⽿であったので、調べてみたいと思う。また科学⾃体や世界に対するスタンスとして、「科学は世界について、より良い説明をすることを追求する」「その説明をするツールとして最良の道具が数学」「宗教は世界を停滞させた」という⾔葉は、最近の私の問題意識や感覚と似た⽅向性で嬉しく思ったし、特に「『より良いものを求める』ことを⽌めるのはナンセンス」という⾔葉については、“我が意を得たり”という感覚であり、すこしもやもやしていた気持ちが晴れたように思う。ディスカッションの際にも発⾔しましたが、私は“楽観主義者”なのか、何か重要な社会問題が起きようとも、それに関する技術や⽣活レベルを抑えるというような⾵潮には基本的にはネガティブである。これは実際にはワークしない(例えば、全⼈類の⽣活を等しく抑制することは出来ませんし、それは先に快楽を享受してしまった先進国の⼈のエゴだと思っている)と考えているし、問題があるのであれば、ではどのように解決していくか、に⼒を⼊れ、科学を推進する⽅向が健全であるというように考えている。加えて、多くの世代が紡いだ歴史の積み重ねで起こしてきた世界の進歩を、たかだか100年⾜らずの寿命である1世代の⼈間の考えで⽌めようとするのは、(ちょっと極端な表現だが)⾃⼰満⾜による後世の⼈類に対する嫌がらせだとも考えている。

 先⽣のおっしゃる「産業⾰命以降の科学によりだんだん分かってきた世界の知恵を⼀般⼈にフィードバックできていない」「物質世界のエントロピーは増⼤していくのに、超物質世界である《⾒えない世界》についてはエントロピーが不⾃然に減少していっている」という問題意識について、私なりにも考えてみたが、やはりなかなか難しそうだという印象を持ってしまった。これもディスカッションの際に発⾔したが、やはりある程度以上の知恵を享受するためには、世界を正しく記述している「数学」について理解をしておく必要がある。「英語」が分からないのに、英⽂学の素晴らしさは理解できないということだと思う。残念ながら、私を含めて数学が苦⼿な人が多いので、やはり数学教育から考え直す必要があるのではないかと思った。

 それでも私の興味はまだまだ続いている。本来は数学でしか記述できないはずの⾼次元の現象についても、その⼤部分の情報を圧縮し、解釈して落とし込んだ「⽂献」や「映像」等によってでも、この学問の楽しさには引き続き触れていきたいと思っている。

2017.11.11

2017年度 立命館西園寺塾 11月11日講義「古気候学が映し出す未来~人類は気候の激動期をどう生きたか~」を実施しました。

2017年11月11日(土)
 ・13:00~14:45 講義
          講師:立命館大学総合科学技術研究機構 教授
                     古気候学研究センター長
             中川 毅
 ・15:00~16:30 ディスカッション
 ・16:30~17:00 質疑応答


【指定文献】
 『禁断の市場フラクタルで見るリスクとリターン』
   ベノワ・B・マンデルブロ、リチャード・L・ハドソン【共著】東洋経済新報社
 『チェンジング・ブルー―気候変動の謎に迫る』 大河内 直彦【著】岩波書店


 

▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)▼
 これまでの講義では、⼈⽣であまり関わってこなかった領域からの知識や視点や考え⽅が⽰され、驚きながらも新しい世界を受け⼊れて、⾃分の世界を「拡張」してきたように思う。今回の講義でもこれまでと同様の「拡張」体験はあるが、それと同時に⼈⽣で関わってきたはずの領域、⼦供の頃から様々な本で⾒聞きしてきたはずの領域、今まさに地球に住んでいる当事者として学ばされてきた領域であるはずの『温暖化』について、これまで蓄積してきた知識や考え⽅を覆されたり、意味の補正をされたり、異なった前提を置かれたりするような、世界の「更新」が続くことによって、これまでの講義とはまた別のインパクトを感じた。

 また、気象サイクルの根拠に銀河系の星雲の濃度と重ね合わせたり、ヒマラヤ・チベットの隆起を⼆酸化炭素現象の根拠としたり、また観測期間をその相によって、線形/同期/カオスと分けるようなスケールの⼤きな話は、『サピエンス全史』の”BIG HISTORY”と同様に、⾃分の常識・感覚を越えやすく楽しめた。

 先⽣のお話で興味深かったのは『原因がない変化を認める』という⾔葉である。私は、学問、特に⾃然科学の根本的な基礎には、世の中の現象はなんらかの要因によって発⽣し、その結果との間には必ず因果関係が存在する、というルールが前提としてあるものだと思っている。そしてその因果関係を解き明かすことが「発⾒」であって、その発⾒を利⽤して将来予測をしたり、物理的な技術に応⽤することで「発明」があって、産業⾰命以来の近代社会が出来上がっている。今回の課題図書は「フラクタル」もテーマであったが、複雑系の学問であるカオス理論は、実質的には予測が出来ない(⾮常に困難)ことは認めつつ、しかし同時に予測が出来ない事象には何の法則もないのではなく、解明は不可能(⾮常に困難)だが、そこにはやはり数学的な物理的な基盤が、頑然として存在することを⽰し、⾃然科学の領域を拡⼤したと個⼈的には解釈している。よって、この『原因がない』という発⾔には興味を惹かれたと同時に、その後の⾔葉で『不確実性を認めるが、⼤枠の予測は可能』という解釈には、私が勝⼿に解釈したカオス理論への感覚と同様で腑に落ちるところがあった。
 『想定して対策をするという世界の先に』というメッセージは、これまで明⽂化はされてきてはいなかった、3.11 やリーマンショック後の、現代的な⽣き⽅の基礎になるべき重要なものだと思う。その予測できない時代に、⼈類として耐障害性を上げるには、多様性を上げるしかないという流れは納得感があった。


 

▼受講した塾生のレポート(S.K.さん)▼
 「バタフライ効果」という用語が物語るように、気候の裏側には無数の変数があり、最新のスパコンでも正しい予測はできない。講義を経て、研究を重ねてもCO2排出による影響予測は難しいと認識したが、理論の上ですら、多数の変数が伴うことで規則性が存在しないカオスが生じるという点を学んだ。一般には線形や規則性をもった予測が受け入れられがちだが、そういった傾向があることを認識し、疑ってかかる姿勢も大切である。また、多数の変数があるとき、外的な力が加わることで、これに対して一定の因果関係を持つ動きをする場合もあるが、それがいつ、どのレベルで発生するかは、やはり予測しえない。天気予報がどれくらい先まで信用できるかのように、距離の取り方は身につけていくしかない。ましてや、現在のCO2増加はかつてない速度で進んでおり、その結果、明日なのか千年後なのか、何かが起こる危険があるが、その実態は「ロシアンルーレット」だというコメントは印象的だった。
 西園寺塾の前半講義でビッグヒストリーの考え方を学んだとき、認知革命・農業革命・産業革命など、変化の速度が等比的に高まっていることを認識した。進化や進歩の速度には規則性があり、現時点で今の進歩を遂げているのは必然であるとも思えた。しかし、人類史上最大の革命といわれる農耕革命が起こったのは、地球と太陽の位置関係、銀河系における太陽系の位置関係を含む多数の変数を伴い、気まぐれとも言える一瞬(1万数千年)の気候の「凪」があったおかげである。また、今回は起こらなかったとしても、次やその次の凪で農業革命が起こる可能性はある。つまり、起こりうることではあるが、進歩が現代に起こっているのは、偶然の産物だと考えるのが自然である。
 人類は、農業革命を通じ、多様性が持つボラティリティへの耐性を捨て、合理化にシフトした。これは、半か丁かの賭けにも見える。ギャンブルでは負けるとゼロになるが、10回、20回と連続で勝てば「元本」に対して1,000倍、100万倍に膨れ上がる。現代の人類活動の膨張は、このような営みの結果である。そして、凪が続く間は勝つ可能性があるが、凪が終われば確実に負ける。そして、70億の人間が生きていくことはできない。恐らく、ずっと手前の段階で限界は超えている。多くの宗教にみられる終末思想は、農耕を始めた瞬間から、狩猟採集の時代(自然が何とか人類を生かしてくれる時代)には戻れないということを示唆しているのかも知れない。
 以前の自分は、このようなアジェンダを前にすると、「地球は人間のものか(いや、そうではない)」という考えに及んでいた。そして、人間は活動を控える必要があるという「べき論」に達していたと思われる。しかし、今回講義中に思い至ったことは、「地球は人間のものではないが、人間の存在は、今後の増加も含めて否定できない」というものだった。人間は他の生物や地球環境に負荷を与えて生きるという「業」を背負っている。人間が生態系を破壊することは問題だが、他の生物が何かを意図したわけではなく、結果論として生態系は成立する。その点で、原始的な生活を送ってもこの問題は解決できない。人間は「業」を認知できるため、智慧を結集し、この地球的危機を乗り越えることができる、乗り越えていくしかない、そう思い至った。また、フラクタル理論が、格差や飢餓の解決に寄与する方法は思いつかないが、格差是正や飢餓撲滅は、人類が直面する危機を乗り越えるうえでの必要条件になるものと感じた。





2017.11.05

2017年度 立命館西園寺塾 京都フィールドワークを実施しました。

11月3日(金・祝)~5日(日)、京都府京都市においてフィールドワークを
実施しました。概要は、以下のとおりです。

【概要】
 11月3日(金・祝)
  午後:・六角堂およびいけばな資料館 見学
     ・講義および華道体験
       講師:華道家元池坊次期家元 池坊専好

 11月4日(土)
  午前:・講義およびお庭「白沙村荘」見学
       講師:植治 次期十二代 小川勝章
  午後:・講義および組香体験「お香の楽しみ方」
          講師:株式会社松栄堂 経営計画室長 畑元章
     ・臨済宗建仁寺塔頭 霊源院 座禅体験および法話
       講師:雲林院宗碩

 11月5日(日)
  午前:・西本願寺 おつとめおよび特別拝観
       解説:立命館大学文学部教授 本郷真紹
     ・講義およびお茶席
         講師:裏千家 今日庵業躰 倉斗宗覚
  午後:・聖護院 見学および法話
       講師:聖護院門跡門主 宮城泰年


 

池坊 専好 先生

 

小川 勝章 先生

 

畑 元章 先生

 

雲林院宗碩 先生を囲んで                西本願寺    

 

倉斗 宗覚 先生

 

宮城 泰年 先生

2017.10.28

2017年度 立命館西園寺塾 10月28日講義「美術による地域づくり」を実施しました。

2017年10月28日(土)
 ・13:00~15:00 講義
          講師:アートディレクター
                     北川 フラム
 ・15:15~17:00 グループディスカッション


【指定文献】
 『直島から瀬戸内国際芸術祭へ』 福武總一郎・北川フラム【著】現代企画室
 『美術は地域をひらく: 大地の芸術祭10の思想』 北川フラム【著】現代企画室

 

▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)▼
 著書を読んでいて感じたことは、理想と現実と⽭盾と妥協という様々な感情の中で、あえて障害になりうるであろう「公⾦」を利⽤し、精緻なプロセスで清濁を併せ呑みながら、⾮常に⼤きな意義のある「芸術祭」を⽣み出している、その意志⼒とパワーだった。都市と地⽅の格差・南北問題や、無視されがちな芸術振興など、とてつもなく複雑で困難な問題を⽬の前にして⽴ち向かう姿には、その基盤となる考え⽅や価値観には違いはあるが、何も⾏動していない⾃分には何かを発⾔する権利もないと感じた。今回の講義のメッセージとしては『⼩童共、いいから動け。ごちゃごちゃ⾔わずにまずは参加しろ』だったと、肯定的に思っている。

 講義を通じて「芸術」が持つ⼒についても再考することができた。昔から度々⾔われていることですが、「芸術」とは「体制へのカウンターであり、それは反逆であるべきだ」という考え⽅は、正しくないと思っている。「芸術」がその構造の中に持っているのは、永遠に「分化」していくことが「良し」とされていることであって、体制へのカウンターも「良し」とされながらも、体制派の芸術作品も同時に「良く」、とにかく”多様性・個性・他と異なること”が「正しい」とされる価値基準だと考えている。
 ⼀⽅で、世界の⼒の⼤半を占め、実際に富を作り出している資本主義やベースとしている合理主義は、その構造上、画⼀的/効率的であることを追求するのが「正しい」ことであり、そこに向かうパワーは強⼤なものがある。確かに貧富の差が広がっているが、実際に多くの⼈類の⽣活を⽀えているのは、この画⼀的/効率的な仕組みの⼒であろう。まずはこの資本主義が成し得た成果を冷静に認めるところがないと、その現実世界の中で⽣きている⼈間が、理想の世界を考えて変⾰を興すことは難しいのではないかと思う。そのうえで、資本主義の「画⼀性/効率性」が持つ⼀⽅通⾏のパワーと、その構造の中に「分化」の⼒で「画⼀性/効率性」に抗う「芸術」のパワーのどちらの⼒も必要であることも認め、それをどのように組み⼊れてバランスを取れる仕組みに出来るか、を考えていくことが、本質的な活動なのではないかと考えた。

 上記の内容にも絡むが、やはり個⼈的な理想としては「公⾦」を利⽤しない「芸術振興」を追求できないかという思いがある。「公⾦」は、その性質上、やはり⺠主主義的に構成員全員が認めるものである必要があり、それはスタンダードで突⾶なものではなく(画⼀的)、費⽤対効果があること(効率的)を求める。これはそもそも「芸術」が持つ「分化」の⼒とは間逆であって、構造的に無理が⽣じる。講義中に、学校が「芸術」をツマラナイものにしているという議論があったが、これも同様で、学校は⼦どもたちを「画⼀的/効率的」に揃えることを求められているので、やはり「芸術」が求めるものとの差分が⼤きすぎるのだと思う。この構造から考えれば、古来から⾏われていたように、貴族・富裕層・パトロンという少数の成功した⽅々や企業により、(⺠主主義とは真逆の)完全個⼈的な独裁的な感覚によって、勝⼿に芸術家をサポートしていく、そして世間や株主はそれを好ましいものとして受け⼊れるのが当然であるという意識・制度変⾰が必要なのではないかと考えた。⾮常に感覚的ではあるが、若い経営者の中には、このような考え⽅を⾃然に持っている⽅が増えている気がする。

 

▼受講した塾生のレポート(Y.N.さん)▼
 芸術祭の様子や作品をご紹介いただくとともに、芸術祭を通して北川先生が目指していること、その背景について教えていただいた。
 目的は「依るべき世界を作る」ことであり、アートや芸術祭はあくまでも「手段」である。地域に人を呼ぶこと(観光)も途中段階であり、そこから第一次産業を再興させたいとのお話だった。第一次産業は、即ちその地域で昔からやってきたことであり、その尊さの再認識が、地域と人に誇りを取り戻すことに結び付くのだと感じた。それは、「海の復権」というテーマにもつながる。その目指すところに、とても共感を覚えた。
 指定文献を読み、その地域の自然や歴史をテーマにして、アーティストがその場所で作るという方法や、お祭り以外の時間の地域の人たちとの関わり方を大切にするアプローチが、肝だと感じていた。講義でも、写真ではわからない「空間体験」「空間感覚」といったお話があり、印象に残った。西園寺塾の奈良フィールドワークにおいて、事前に本(写真)で見た時には正直あまり感じるところのなかった釈迦如来坐像を実際に見ると、その厳かさに感動したことを思い出した。また、作品の物理的な色や形そのものが重要なのではないというお話から、アートの役割はその「場」を歴史背景含めて”感じとる”ための手助けなのだろうと理解した。是非現地を訪れ、土地の人たちとの関わりを含めて、体験しようと思う。
 「アート」「お祭り」は、地域が輝きを取り戻す普遍的な手段になり得ることを学んだが、特に過疎の町だからこそ、地域の人びととの「協働」による効果が一層大きいのかもしれないと感じた。講義の中で、都会の景観が画一的というご指摘もあった。都会であっても、「似通っていない景観」が必要なはずではないだろうか。「都会」という呼び名ではなく、例えば「東京都という地域」ととらえた時、その歴史を含めた地域性が、どれだけ今そこ(例えば東京都)に住む人々に共有されているのか。「都会」に原風景を感じさせるような景観の構築は可能なのだろうか。都会に生まれ育った身として、気になった。都会であればこそ、実はアイデンティティの再構築から必要なのかもしれないと感じた。
 「美術による地域作り」というテーマ内容だけでなく、北川先生の冷徹な視点も、とても勉強になった。指定文献『美術は地域をひらく:大地の芸術祭10の思想』の中の、「あらゆる反対意見が出ることで、根底的な課題が見えてくる」という考え方が印象に残った。講義の中でも、美術館は内輪だが地域を舞台にパブリックにすることで「様々な意見(文句)が引き出せる」、「フラム」という名前は相手にとっては「壁になりやすいので”良い”」というお話があった。また、持続性のために「公金」にこだわり、付随して出てくる様々な「リアルな」課題に対応なさってきたことも感じられた。
 「地に足をつけて」、「実行する」ことの大事さを改めて学んだ。


2017.10.14

2017年度 立命館西園寺塾 10月14日講義「文化力―日本の底力」を実施しました。

2017年10月14日(土)
 ・13:00~15:00 講義
          講師:静岡県知事
                     川勝 平太
 ・15:15~17:00 ディスカッション


【指定文献】
 『文化力―日本の底力』川勝平太【著】ウェッジ
 『「鎖国」と資本主義』川勝平太【著】藤原書店
 『鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮』
      ノエル ペリン【著】 川勝 平太【訳】中央公論社


 

▼受講した塾生のレポート(M.U.さん)▼
 現職の静岡県知事でもあり、高名な学者でもいらっしゃる川勝先生の講義は、地方都市の首長としての視点から、交通・教育・地方分権・後継者の考え方、そこから癌免疫療法であるオプジーボまで話が広がったかと思うと、そこに留まらず首都移転・4州制、そして学者としての視点で歴史をふりかえったうえで、これからの日本の目指すべき姿をご示唆いただくなど非常に多岐にわたった分野についてご教示いただいた。 
 そのなかで「振り返ること」が「未来をみること」と、一見矛盾するテーマをご提示いただいたうえで、「モノ」を例示されながらこれまでの日本の歴史を対比させて未来の目指すべき姿を示していただいた。具体的には奈良時代は朝鮮半島を経由した大陸文化を取り込み、いれきった時代であり、平安時代はその大陸文化から離れ、国風文化を醸成した時代。鎌倉時代・室町時代は南宋をはじめとして中国文化から南蛮文化まで取り込み、いれきった時代であり、江戸時代は鎖国により国内文化を醸成した時代。それではこれからの時代はどこに向かうべきなのかという課題に対して、明治・大正・昭和は、西洋文化を取り込み、いれきった時代として「東京時代」と位置付け、これからの時代は国内文化を醸成していく時代であるという捉え方である。しかし、それは江戸時代のように内に向かう文化の醸成の仕方ではない。日本式に醸成された文化を世界に発信していく、よりグローバル化を意識された視点であった。その文化は、日本は「和」であり、いろんなものを許す、足していくという寛容の文化であり、「Dreams come true in Japan」(日本に来れば夢がかなう)と言われる国を目指すという一連の流れは非常に腑に落ちた。
 私は長野で3年半、現在は中央に近いがやはり地方の顔をもつ神奈川で現在営業を担当している。投資が少ない地方において、その住民のみを消費者とした投資には限界があるし、特に「箱もの」と言われる地方住民で完結する地方自治体の投資は必ず税金の無駄遣いという批判を受ける。海外の観光客をいかに呼び込むか、いかに地方を活性化させるかは世界にその土地の文化を示していく、開いていくということに答えがあり、そのための投資をいかにつくり込むかといった地方における営業のヒントをいただいたと思う。
今回の指定文献での木綿や香辛料を媒介とした中世から近世の捉え方もそうであったが、講義では紙を媒介としての宗教革命の話をしていただき、先生の「モノ」を媒介として歴史の出来事をとらえていかれる説明は、学生時代に暗記の題材でしかなかった歴史の出来事を肌感覚でイメージすることができた。講義後帰宅して、受験生でもある息子に、講義の受け売りで「モノ」を媒介とした宗教革命や海洋史観に基づいた中世から近世について話してやった。「とてもわかりやすい」と言ってくれた。父親としての株が少しあがったようだ。

 

▼受講した塾生のレポート(A.M.さん)▼
 第二次世界大戦以前までは軍事政策を中心に国家が形成され、最終的には米国との経済力の格差で敗戦に至った。戦後は経済政策に基軸がおかれ、高度経済成長を実現、20世紀終盤には世界経済を席巻するまでに飛躍した。そして現在では、人口減少、内需停滞により、民族としての成長の限界に直面している。
講義では川勝知事から、国の基礎は「力の体系(軍事政策)」「利益の体系(経済政策)」「価値の体系(文化政策)」の3つの体系で構成される、という理論が紹介された。
 経済力と軍事力は国力の両輪であり、両者のバランスが崩れると国としての安定性を失うことは数多の歴史が証明している通りだが、これに文化力も含めて国の基礎と整理する考え方には新鮮な気づきを得た気がした。
 文化のなかには、衣・食・住といった見えるものと、言葉や宗教といった見えないものが存在するという議論があった。確かに日本民族にとって、「見えない文化」のなかには「士道」や「和」、「絆」といった言葉で表される、「信義」「道徳」「受容・寛容」の風潮や、「匠」の技として脈々と承継されてきた技術や芸能、民族として永年育み重んじてきた伝統・慣行が存在する。
 文化には、国民の心の豊かさを醸成し、国力の両輪である経済力・軍事力とともに、国政の安定化をもたらす。それと同時に、民族文化への魅力・憧れが、諸外国からのインバウンド経済を活性化させるとともに、文化の広がりは経済圏の広がりに繋がり、アウトバウンドの経済政策としても有効となる。
 求心力がある文化は遠心力を以って広がり、文明は時空に偏在する、という話もあったが、日本民族が有する文化、特に民族に内在する上述の「見えない文化」には、十分、文明として昇華するだけの魅力と価値があると思う。
 元来日本民族は、応用・受容力には長けつつも、多くを語ることを美としない奥ゆかしさを重んじるが故か、交渉・発信力は得意とはしていないように思えるが、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催という日本文化の魅力を発信する絶好のチャンスを控えた今こそ、改めて国民一人一人が、我が国が育んできた文化の魅力を認識し、自らの言葉と行動により、また積極的に海外に発信していくことを心掛けていくことにより、我が国が誇る「見えない文化」を「見える化」していくことができれば、さらに遠心力を増して、魅力・憧れの広がりに繋げていくことができるのではないかと感じた。

2017.08.05

2017年度 立命館西園寺塾 8月5日講義「アメリカ海兵隊の知的機動力」「知的機動力経営」を実施しました。

2017年8月5日(土)
 ・13:00~14:45 講義「アメリカ海兵隊の知的機動力」

            「知的機動力経営」
          講師:一橋大学名誉教授
                     野中 郁次郎
 ・14:45~15:35 ディスカッション
 ・15:35~17:00 発表・まとめ


【指定文献】
 『失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇』野中郁次郎【著】
 『知的機動力の本質 アメリカ海兵隊の組織論的研究』野中郁次郎 他【著】

 

▼受講した塾生のレポート(K.H.さん)▼
 指定文献を読み始める前には、アメリカ海兵隊の存在意義や、第二次世界大戦における日本軍の敗戦原因など、戦争に関する内容かと思いながら読み進めていたが、講義を拝聴してみると、経営論という内容であり、かつ現在我々が企業内において置かれている立場の「ミドル」に関するところは非常に印象深かった。
 仕事においては、とかく形式知化することを求められるが、アメリカ海兵隊では暗黙知を重視する現場マネジメントであり、この暗黙知によるマネジメントはアートであるといった視点は非常に斬新だと思った。形式知化は客観的であり継承しやすく、その反面暗黙知は主観的かつ直感的であることから、細かなニュアンス含めて非常に継承が難しい。それでも本田宗一郎氏はこの両方の相互作用をうまく引き出していたという話しを聞き、両立させることから引き出せる情報をうまく活用できることがマネジメントにおいては重要だということを知った。
 ディスカッションにおいて、我々のグループでは、トップとフロントを結びつけるにはミドルの役割が最も重要であり、その果たす役割によって組織の融合が生まれるといったことを議論した。いつの世も現場では、「そうは言っても上は現場のことをわかっていない」といった批判は表面化せず、社員の腹でくすぶっていることがよくある。そんな中社員に「理解・納得・行動」させるために、単なる伝書鳩ではなく、トップの思いをいかに現場に納得するまで話しをし、また現場の現状を受け止め、それをトップに理解させるといったトップへの教育もミドルとして果たすことで、このどちらからも共感を呼び、思いを共有できる環境になると強い企業文化を形成できる。ただし、これにはトップが実行に向けた仕組みづくり(what、whyの構築)と、やり方を現場に任せること(howの一任)のバランスが非常に重要であり、これさえできれば組織は回るということを学んだ。これをしっかり回していけるようにする為に、ワイガヤやコンパが役立ち、「小さく、速く、行動しながら微調整を」といったことで、より成果を発揮できるようになる。よく組織を回す際に耳にする「PDCA」サイクルよりも「OODA」を回すことが出来た先に、PDCAがあるということも大変参考になった。
 経営においては「二者択一(あれか、これか)」ではなく、「二者両立(あれも、これも)」にシフトできるようになるにはいかにミドルが活躍できる環境を作るか、さらにはそういった人材をいかに育成するかがこれからの時代では大きく問われる。これから自身がミドルとして役割を果たしつつ、普段の忙しさにかまけず、後継者となるミドルの育成をしていくことに時間を割いていくことの大切さを実感した。そういった意味においても、今回の講義は今後の企業人としてどう生きるかを考えるにあたって大いに役立つ内容だった。


 

▼受講した塾生のレポート(T.S.さん)▼
 「主観、五感を大切にする」。私の仕事経験での思いから、昨年から担当している社内意識改革のテーマと、偶然にも一致しており、とても嬉しく、興味深く拝聴した。「人の想い」を置き去りにした仕事が多すぎる、仕事において最も大事にすべき「人」を軽視すれば、絶対良い仕事にならず、よい経営に行きつかないという自分の日々の思いが、今回の講義にとても通じていたと解釈している。自分のアンテナがそこに立っているからかもしれないが、前半の西園寺塾の講義は、必ずと言っていいほど「対話」「共感力」が重要との視点が出てきており、自身の思いを強くしている(ただし、その具体的仕掛け、仕組みには苦慮しているところであるが)。
 近年の日本企業において不足しがちな共感力、人間の感性を大事にする経営。経済成熟による拡大発展の厳しさ、人手不足などから、効率のみを追求する方向へ走り続け、成果主義などもうまくいかなかった。忘れてはいけない家族型経営のよいところを今一度学び直すことが必要ではないかと感じる。あるべき論だけではなく、事実として起こっている現象から掘り起こし、修正を加えていく作業。今回紹介のあったいくつかの企業事例も極めて参考になった。野中先生の書籍でさらに勉強してみたい。若い世代に早くこの重要性を伝え、実践の中で体感させていかないと、仕事の仕方がどんどん閉鎖的になってしまう。コミュニケーション不足、縦割り、プレイングマネージャー化によるミドルの疲弊、若手の冷めた態度など自社特有の課題かと思っていたが、今回のグループワークで他企業でも同様な問題を抱えていることを知った。早急に、いやじっくりと、「チームで」よい仕事をする経営文化をつくっていかないといけない。一方で、効率化は徹底的に追求しなければいけない。時間を使うべきこと、緊急ではなくても重要な事項を定め、ミドル同士が話し合って自らの役割を定義づけ、文化を変えるよう行動、実践し、次世代へつなぐことしかないのではないか。動く人間が複数出れば、少しずつ変化することを期待し、動きたい。
 今回の講義でいただいたキーワードを反芻し、自分なりに理解した形で社内展開により、できる限り具体的な形に落とすよう実践を試みたい。

・数値だけに意味があるのではない。その背後にあるものを理解し、
 次につなげることが必要。
・マネジメントはサイエンスでありアートである。
「あれか?これか?」ではなく、「あれも、これも」、
 矛盾の両極にある背後からあぶりだす。
存在論を問い続けることで、共通善、文脈が共有でき、進化を生みだす。
ミドルが声を上げろ!現状を否定し知的論争を起こせ!強い企業文化は、
 必ず強いミドルがいる。
アジャイルスクラム開発型、ホンダのワイガヤ
 (→チームプロジェクト手法として極めて興味深い、勉強してみたい。)
・PDCAの前にやることがある。See-Thinkを徹底的にやる。
組織におけるコアスキルを育て、共感できる土台をつくる。

2017.07.29

2017年度 立命館西園寺塾 7月29日講義「タケダのグローバル化への挑戦」を実施しました。

2017年7月29日(土)
 ・13:00~14:30 講義
          講師:武田薬品工業株式会社
                     相談役 長谷川 閑史
 ・14:45~17:00 ディスカッション


【指定文献】
 『マッキンゼーが予測する未来―近未来のビジネスは、4つの力に支配されている』
                 リチャード・ドッブス 他【著】ダイヤモンド社

 

▼受講した塾生のレポート(Y.N.さん)
 まず、長谷川先生の経営者としてのご覚悟に感銘を受けた。日常生活を律することにおかれても、会社の成長の持続に向けても、非常に強いご意思のもとに、「不退転の決意で実行」されてきたのだと感じた。
指定文献を直接参照されることはなかったが、講義でご紹介いただいたタケダの取り組みは、同書で提起している問題に対する、一つのアプローチを示していただいたと理解した。医薬品産業の状況についても丁寧に教えていただいたので、業界動向とタケダと長谷川先生にとっての問題意識をつなげて感じることができた。

 医薬品産業の状況についてのご説明のなかで、ここ10年の間にプラットフォーム技術が大きくシフトし、創薬元についても、10年足らずの間に製薬企業以外のプレイヤーが半分以上を占めるようになってきたというお話は、衝撃的だった。『マッキンゼーが予測する未来』にある”テクノロジーの変化のスピードと普及”の実例である。その際に「論理的/批判的な分析/検証/考察に基づき戦略立案」を行い、グローバル化と共にM&A戦略を進められたのは、まさに”直観力のリセット”を行ったということだと思う。Cross BorderのM&Aにおいても、テクノロジーの補完だけではなく新興国という成長市場を意識した買収を実施したことも、”破壊的な力を持つ4つのトレンド”の一つへの対応をとられていたということである。

 ディスカッションにおける”直観力のリセット”についての質問に対して、「もがき苦しんで結論を出す」「結論が出てもまた考える」「過去の成功体験ではなく虚心坦懐に見ているかを考える」というお答えをいただいた。それを実践してこられた方のお言葉は、とても説得力があった。

 また、製薬業界はグローバルにフラットな業種であり、「千の技術」と言われるほどの様々な技術が開発されている状況を踏まえ、一社で全てに対応するという発想ではなく、自社でできない(やらない)部分は他社で補完するというお話があった。これは、私の携わる業界にも通じる方向性である。
そのなかでご紹介いただいた、バイオテクやアカデミアと認証試験前のコラボレーションを行い、製薬化ビジネスにつなげるというやり方は、技術開発とビジネスの形として、参考になった。

 「変化の時代に何も変革しないことが最大のリスクテーキング」を自らの命題ととらえ、「変化に懸命」になろうと思った。


 

▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)
 前段の講義では、ダーウィンの『⽣物の進化の歴史を⾒ても、最も強いものや最も賢いものが⽣き残った訳ではない。最も変化に懸命だった者、最も環境変化に適応した者が⽣き残った』という⾔葉から始まり、グローバル化/技術⾰新の進展によって加速度的に変化する環境下においては、常に変⾰を起こし続けるのがリーダーの最⼤の役割というお話をいただいた。

 その後、医薬品産業の概況を学んだ。主に莫⼤な研究開発費の負担に耐えるために統合が進んだ経緯や、各種イノベーションにより低分⼦化合物から⽣物学的製剤への基盤技術がシフトしている現状、そして統合を繰り返し、⼤きな研究開発費を捻出している製薬企業が⽣み出す医薬品よりも、ボストン・ケンブリッジに集積しているバイオテク/アカデミア/NPO が⽣み出した医薬品の売上の⽅が⼤きくなっている事実をお聞きしました。この現状認識は、私が所属しているIT 業界と似ている。この10 年間の技術⾰新によって、当初の黎明期を⽀えてきたIT ⼤企業は消滅するか、⼤きく役割を変えてきている。IT 技術も製薬技術と同様に、基本的にはアカデミアの研究の成果、または数名の天才的な技術者によって⽣み出されるものが多く、特⾊のあるベンチャーが⼀点突破で⼤企業に伍することは珍しいことではない。もちろん製薬であれば、物流や製造、各国ごとの規制対応、賠償リスクなどについてはベンチャーでは荷が重いと思われるが、⼤企業としてはこのベンチャーの⼒をどのように⾃陣内に⼊れていくか、が今後もポイントとなるように思う。それがリサーチセンターのような場作りなのか、M&A なのか、様々な⼿法はあるが、⽇本企業の悪い癖である「⾃前主義」を抑えるのは並⼤抵のことではないように思う。⻑⾕川先⽣は事も無げに仰っられたが、相当の勇気を持ったうえで、緻密に活動した結果なのではないかと想像した。

 他の企業とはレベルが異なる武⽥製薬⼯業のグローバル化について、様々な視点でお話をいただいたが、特に後任者の選定プロセスを具体的に聞けたのは⼤きな学びとなった。ヘッドハンダーを使わなかった理由や、①Relocatability ②10 years commitment ③Live up with Takeda-ism という"Gentleman's Agreement"についても、とても実際的で⾃分の腹に落ちたように思う。

 今回のお話をうかがい、製薬業界がグローバル化の是⾮を語っているレベルではなく、グローバル化するのが当然であり、さもないと⽣き残れない、という切迫感が強いことを感じた。そのトップが切迫感を持っていることと、その切迫感をしっかりと伝えていることによって、業界・社員の共通感覚となり、このような⼤きな変⾰を起こせる原動⼒・遂⾏⼒に繋がったのではないかと想像している。私は事前レポートのなかで「この指定文献は⾮常に興味深いものだと感じているが、ここに⽰されている事例や⾒出される⽅向性について、しっかりと⾃分・⾃社の事に置き換えて検討し、次の⽇から⾏動を変え、アクションを起こす社⻑はいるのだろうか」と書きました。未だにその気持ちには変わりはなく「⼤⽅のエグゼクティブは変わらないだろうな」と思う⼀⽅で、⻑⾕川先⽣のように危機感と好奇⼼を持った⽅であれば、このような本を使いこなせるのだろうと思った。他⼈の事を、上から⾔っているばかりでなく、私も学び続けなければならない。プロにはなれませんが、昨年はプログラミングに⼊⾨し、⾃社のプログラマーの⾔うことが少しは分かるようになった。最近はAI や統計が流⾏っていますので、夏休みには”STEM”の1 つ"Mathmatics"を学び直そうと思っている。


文字サイズ