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2017年度 立命館西園寺塾 10月28日講義「美術による地域づくり」を実施

2017年10月28日(土)
 ・13:00~15:00 講義
          講師:アートディレクター
                     北川 フラム
 ・15:15~17:00 グループディスカッション


【指定文献】
 『直島から瀬戸内国際芸術祭へ』 福武總一郎・北川フラム【著】現代企画室
 『美術は地域をひらく: 大地の芸術祭10の思想』 北川フラム【著】現代企画室

 

▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)▼
 著書を読んでいて感じたことは、理想と現実と⽭盾と妥協という様々な感情の中で、あえて障害になりうるであろう「公⾦」を利⽤し、精緻なプロセスで清濁を併せ呑みながら、⾮常に⼤きな意義のある「芸術祭」を⽣み出している、その意志⼒とパワーだった。都市と地⽅の格差・南北問題や、無視されがちな芸術振興など、とてつもなく複雑で困難な問題を⽬の前にして⽴ち向かう姿には、その基盤となる考え⽅や価値観には違いはあるが、何も⾏動していない⾃分には何かを発⾔する権利もないと感じた。今回の講義のメッセージとしては『⼩童共、いいから動け。ごちゃごちゃ⾔わずにまずは参加しろ』だったと、肯定的に思っている。

 講義を通じて「芸術」が持つ⼒についても再考することができた。昔から度々⾔われていることですが、「芸術」とは「体制へのカウンターであり、それは反逆であるべきだ」という考え⽅は、正しくないと思っている。「芸術」がその構造の中に持っているのは、永遠に「分化」していくことが「良し」とされていることであって、体制へのカウンターも「良し」とされながらも、体制派の芸術作品も同時に「良く」、とにかく”多様性・個性・他と異なること”が「正しい」とされる価値基準だと考えている。
 ⼀⽅で、世界の⼒の⼤半を占め、実際に富を作り出している資本主義やベースとしている合理主義は、その構造上、画⼀的/効率的であることを追求するのが「正しい」ことであり、そこに向かうパワーは強⼤なものがある。確かに貧富の差が広がっているが、実際に多くの⼈類の⽣活を⽀えているのは、この画⼀的/効率的な仕組みの⼒であろう。まずはこの資本主義が成し得た成果を冷静に認めるところがないと、その現実世界の中で⽣きている⼈間が、理想の世界を考えて変⾰を興すことは難しいのではないかと思う。そのうえで、資本主義の「画⼀性/効率性」が持つ⼀⽅通⾏のパワーと、その構造の中に「分化」の⼒で「画⼀性/効率性」に抗う「芸術」のパワーのどちらの⼒も必要であることも認め、それをどのように組み⼊れてバランスを取れる仕組みに出来るか、を考えていくことが、本質的な活動なのではないかと考えた。

 上記の内容にも絡むが、やはり個⼈的な理想としては「公⾦」を利⽤しない「芸術振興」を追求できないかという思いがある。「公⾦」は、その性質上、やはり⺠主主義的に構成員全員が認めるものである必要があり、それはスタンダードで突⾶なものではなく(画⼀的)、費⽤対効果があること(効率的)を求める。これはそもそも「芸術」が持つ「分化」の⼒とは間逆であって、構造的に無理が⽣じる。講義中に、学校が「芸術」をツマラナイものにしているという議論があったが、これも同様で、学校は⼦どもたちを「画⼀的/効率的」に揃えることを求められているので、やはり「芸術」が求めるものとの差分が⼤きすぎるのだと思う。この構造から考えれば、古来から⾏われていたように、貴族・富裕層・パトロンという少数の成功した⽅々や企業により、(⺠主主義とは真逆の)完全個⼈的な独裁的な感覚によって、勝⼿に芸術家をサポートしていく、そして世間や株主はそれを好ましいものとして受け⼊れるのが当然であるという意識・制度変⾰が必要なのではないかと考えた。⾮常に感覚的ではあるが、若い経営者の中には、このような考え⽅を⾃然に持っている⽅が増えている気がする。

 

▼受講した塾生のレポート(Y.N.さん)▼
 芸術祭の様子や作品をご紹介いただくとともに、芸術祭を通して北川先生が目指していること、その背景について教えていただいた。
 目的は「依るべき世界を作る」ことであり、アートや芸術祭はあくまでも「手段」である。地域に人を呼ぶこと(観光)も途中段階であり、そこから第一次産業を再興させたいとのお話だった。第一次産業は、即ちその地域で昔からやってきたことであり、その尊さの再認識が、地域と人に誇りを取り戻すことに結び付くのだと感じた。それは、「海の復権」というテーマにもつながる。その目指すところに、とても共感を覚えた。
 指定文献を読み、その地域の自然や歴史をテーマにして、アーティストがその場所で作るという方法や、お祭り以外の時間の地域の人たちとの関わり方を大切にするアプローチが、肝だと感じていた。講義でも、写真ではわからない「空間体験」「空間感覚」といったお話があり、印象に残った。西園寺塾の奈良フィールドワークにおいて、事前に本(写真)で見た時には正直あまり感じるところのなかった釈迦如来坐像を実際に見ると、その厳かさに感動したことを思い出した。また、作品の物理的な色や形そのものが重要なのではないというお話から、アートの役割はその「場」を歴史背景含めて”感じとる”ための手助けなのだろうと理解した。是非現地を訪れ、土地の人たちとの関わりを含めて、体験しようと思う。
 「アート」「お祭り」は、地域が輝きを取り戻す普遍的な手段になり得ることを学んだが、特に過疎の町だからこそ、地域の人びととの「協働」による効果が一層大きいのかもしれないと感じた。講義の中で、都会の景観が画一的というご指摘もあった。都会であっても、「似通っていない景観」が必要なはずではないだろうか。「都会」という呼び名ではなく、例えば「東京都という地域」ととらえた時、その歴史を含めた地域性が、どれだけ今そこ(例えば東京都)に住む人々に共有されているのか。「都会」に原風景を感じさせるような景観の構築は可能なのだろうか。都会に生まれ育った身として、気になった。都会であればこそ、実はアイデンティティの再構築から必要なのかもしれないと感じた。
 「美術による地域作り」というテーマ内容だけでなく、北川先生の冷徹な視点も、とても勉強になった。指定文献『美術は地域をひらく:大地の芸術祭10の思想』の中の、「あらゆる反対意見が出ることで、根底的な課題が見えてくる」という考え方が印象に残った。講義の中でも、美術館は内輪だが地域を舞台にパブリックにすることで「様々な意見(文句)が引き出せる」、「フラム」という名前は相手にとっては「壁になりやすいので”良い”」というお話があった。また、持続性のために「公金」にこだわり、付随して出てくる様々な「リアルな」課題に対応なさってきたことも感じられた。
 「地に足をつけて」、「実行する」ことの大事さを改めて学んだ。

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