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2017年度 立命館西園寺塾 11月11日講義「古気候学が映し出す未来~人類は気候の激動期をどう生きたか~」を実施

2017年11月11日(土)
 ・13:00~14:45 講義
          講師:立命館大学総合科学技術研究機構 教授
                     古気候学研究センター長
             中川 毅
 ・15:00~16:30 ディスカッション
 ・16:30~17:00 質疑応答


【指定文献】
 『禁断の市場フラクタルで見るリスクとリターン』
   ベノワ・B・マンデルブロ、リチャード・L・ハドソン【共著】東洋経済新報社
 『チェンジング・ブルー―気候変動の謎に迫る』 大河内 直彦【著】岩波書店

 

▼受講した塾生のレポート(T.K.さん)▼
 これまでの講義では、⼈⽣であまり関わってこなかった領域からの知識や視点や考え⽅が⽰され、驚きながらも新しい世界を受け⼊れて、⾃分の世界を「拡張」してきたように思う。今回の講義でもこれまでと同様の「拡張」体験はあるが、それと同時に⼈⽣で関わってきたはずの領域、⼦供の頃から様々な本で⾒聞きしてきたはずの領域、今まさに地球に住んでいる当事者として学ばされてきた領域であるはずの『温暖化』について、これまで蓄積してきた知識や考え⽅を覆されたり、意味の補正をされたり、異なった前提を置かれたりするような、世界の「更新」が続くことによって、これまでの講義とはまた別のインパクトを感じた。

 また、気象サイクルの根拠に銀河系の星雲の濃度と重ね合わせたり、ヒマラヤ・チベットの隆起を⼆酸化炭素現象の根拠としたり、また観測期間をその相によって、線形/同期/カオスと分けるようなスケールの⼤きな話は、『サピエンス全史』の”BIG HISTORY”と同様に、⾃分の常識・感覚を越えやすく楽しめた。

 先⽣のお話で興味深かったのは『原因がない変化を認める』という⾔葉である。私は、学問、特に⾃然科学の根本的な基礎には、世の中の現象はなんらかの要因によって発⽣し、その結果との間には必ず因果関係が存在する、というルールが前提としてあるものだと思っている。そしてその因果関係を解き明かすことが「発⾒」であって、その発⾒を利⽤して将来予測をしたり、物理的な技術に応⽤することで「発明」があって、産業⾰命以来の近代社会が出来上がっている。今回の課題図書は「フラクタル」もテーマであったが、複雑系の学問であるカオス理論は、実質的には予測が出来ない(⾮常に困難)ことは認めつつ、しかし同時に予測が出来ない事象には何の法則もないのではなく、解明は不可能(⾮常に困難)だが、そこにはやはり数学的な物理的な基盤が、頑然として存在することを⽰し、⾃然科学の領域を拡⼤したと個⼈的には解釈している。よって、この『原因がない』という発⾔には興味を惹かれたと同時に、その後の⾔葉で『不確実性を認めるが、⼤枠の予測は可能』という解釈には、私が勝⼿に解釈したカオス理論への感覚と同様で腑に落ちるところがあった。
 『想定して対策をするという世界の先に』というメッセージは、これまで明⽂化はされてきてはいなかった、3.11 やリーマンショック後の、現代的な⽣き⽅の基礎になるべき重要なものだと思う。その予測できない時代に、⼈類として耐障害性を上げるには、多様性を上げるしかないという流れは納得感があった。


 

▼受講した塾生のレポート(S.K.さん)▼
 「バタフライ効果」という用語が物語るように、気候の裏側には無数の変数があり、最新のスパコンでも正しい予測はできない。講義を経て、研究を重ねてもCO2排出による影響予測は難しいと認識したが、理論の上ですら、多数の変数が伴うことで規則性が存在しないカオスが生じるという点を学んだ。一般には線形や規則性をもった予測が受け入れられがちだが、そういった傾向があることを認識し、疑ってかかる姿勢も大切である。また、多数の変数があるとき、外的な力が加わることで、これに対して一定の因果関係を持つ動きをする場合もあるが、それがいつ、どのレベルで発生するかは、やはり予測しえない。天気予報がどれくらい先まで信用できるかのように、距離の取り方は身につけていくしかない。ましてや、現在のCO2増加はかつてない速度で進んでおり、その結果、明日なのか千年後なのか、何かが起こる危険があるが、その実態は「ロシアンルーレット」だというコメントは印象的だった。
 西園寺塾の前半講義でビッグヒストリーの考え方を学んだとき、認知革命・農業革命・産業革命など、変化の速度が等比的に高まっていることを認識した。進化や進歩の速度には規則性があり、現時点で今の進歩を遂げているのは必然であるとも思えた。しかし、人類史上最大の革命といわれる農耕革命が起こったのは、地球と太陽の位置関係、銀河系における太陽系の位置関係を含む多数の変数を伴い、気まぐれとも言える一瞬(1万数千年)の気候の「凪」があったおかげである。また、今回は起こらなかったとしても、次やその次の凪で農業革命が起こる可能性はある。つまり、起こりうることではあるが、進歩が現代に起こっているのは、偶然の産物だと考えるのが自然である。
 人類は、農業革命を通じ、多様性が持つボラティリティへの耐性を捨て、合理化にシフトした。これは、半か丁かの賭けにも見える。ギャンブルでは負けるとゼロになるが、10回、20回と連続で勝てば「元本」に対して1,000倍、100万倍に膨れ上がる。現代の人類活動の膨張は、このような営みの結果である。そして、凪が続く間は勝つ可能性があるが、凪が終われば確実に負ける。そして、70億の人間が生きていくことはできない。恐らく、ずっと手前の段階で限界は超えている。多くの宗教にみられる終末思想は、農耕を始めた瞬間から、狩猟採集の時代(自然が何とか人類を生かしてくれる時代)には戻れないということを示唆しているのかも知れない。
 以前の自分は、このようなアジェンダを前にすると、「地球は人間のものか(いや、そうではない)」という考えに及んでいた。そして、人間は活動を控える必要があるという「べき論」に達していたと思われる。しかし、今回講義中に思い至ったことは、「地球は人間のものではないが、人間の存在は、今後の増加も含めて否定できない」というものだった。人間は他の生物や地球環境に負荷を与えて生きるという「業」を背負っている。人間が生態系を破壊することは問題だが、他の生物が何かを意図したわけではなく、結果論として生態系は成立する。その点で、原始的な生活を送ってもこの問題は解決できない。人間は「業」を認知できるため、智慧を結集し、この地球的危機を乗り越えることができる、乗り越えていくしかない、そう思い至った。また、フラクタル理論が、格差や飢餓の解決に寄与する方法は思いつかないが、格差是正や飢餓撲滅は、人類が直面する危機を乗り越えるうえでの必要条件になるものと感じた。


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