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2017年度 立命館西園寺塾 5月27日講義「日本の近代とは何だったのか?」を実施

2017年5月27日(土)
 ・13:00~14:30 講義
          講師:学習院大学 教授
                     井上 寿一

 ・14:45~17:00 ディスカッション

【指定文献】
  『日本近代史』坂野潤治【著】ちくま新書

 

▼受講した塾生のレポート(K.N.さん)▼
 今回の講義では、明治維新から太平洋戦争に至るまでの期間に日本で起こった歴史上の出来事から、リーダーシップを発揮するために必要なことは何かについて学んだ。
 講義では課題図書同様、当該期間を6つの段階(改革・革命・建設・運用・再編・危機)に区分けして、各段階での史実とその背景について講義いただいた。それぞれの段階で国家として抱えていた課題は異なるが、日本人としてのメンタリティーである「一体感」は、危機の時代を除き発揮し進歩していった。改革期においては外圧に対抗するため体制改革の必要性、革命期においては富国・強兵・議会・憲法を目標とした指導者間の合従連衡、建設期以降日露戦争までのあいだは外交・内政においても様々な意見があったものの、結果としてリーダーとフォロワーがうまく役割を分担しつつ日本の発展という大きな目標に向かって力を合わせていた。しかしながら、日露戦争以降、リーダー層がそれぞれの思惑を実現することに力点を置いた結果、利害関係が異なる団体間での対立が表面化し、日本として目指すべき方向性が定まらなくなってきた。加えて日露戦争後の賠償金問題、第一次世界大戦後の軍縮の流れ、世界恐慌と日本を取り巻く環境変化に伴う危機の時代を経て、崩壊の時代を迎えるに至った。
 今回の講義ではリーダーシップとは何か、という点を中心にディスカッションが行われた。リーダーに求められる資質として、①リーダーシップとフォロワーシップを併せ持つ柔軟性、②目標を共有すること必要性、が重要であることを学んだ。民間企業で働く身として、その重要性を再認識するとともに実行の難しさについて考えさせられた。
 企業内には部署によって様々な考え方がある。大きな組織で目標を共有するためには、実行力と人間的な魅力を併せ持つことが重要であることを議論を通じて感じた。


 


▼受講した塾生のレポート(A.M.さん)▼
 明治維新革命期における富国・強兵・議会・憲法といった複数の国家目標に対し、政治指導者(リーダーシップ)の「柔軟性」、「可変性」がうまく機能し、「ナショナルな一体感」の醸成と低コスト革命を実現した、との話があった。
 これらの複数の政策の間にはコンフリクトも生じ得たはずであるが、その時折のリーダーにより、少しずつウェイトが変えられ、バランスが採られることで、総じて政府によるリーダーシップが支持・維持されていたと推察される。
 他方、ミクロな時系列で見た場合、各時点における政策目標は必ずしも連続・一貫しておらず、ある種、政策目標のローテーションのような状態にあったのではないかとも考えられる。
近代でも、政権が交代する度に政策目標のフォーカスやウェイトの変更は生じているが、結果として見れば、国民は都度その変化を受容しつつ推移してきているとも言える。
 例えば、橋本内閣による消費税導入時には、一時的に「ヒステリックな状態」も見られたが、一度導入された今となっては、それが何に使われているかなど、ほとんどの国民は関心を示さないまま受容されている状況にある。
 直近の民主党への政権交代時には、少子高齢化問題や、多額の政府債務に表される企業・世帯・政府間のアンバランスな富の再配分といった構造的問題にフォーカスが当てられ期待が寄せられたが、抜本的な政策が打ち出せないまま、東日本大震災の対応に疑問が呈される形で政権が倒れた。
すると、その後の自民党政権では、経済政策という形にフォーカスが変えられ、国民の支持を集めたが、最近では改憲議論や外交政策にウェイトが置かれ、少子高齢化問題対策や多額の政府債務問題への優先順位はすっかり劣後してしまっているにもかかわらず、特に大きな疑問を呈することなく、漠然と現政権の政策が受容されているようにも思える。これらにみられるように、我が国民は、良く言えば政策変化に対する「受容性」が高く、言い換えれば政治的なパフォーマンスやプロパガンダに流され易い風潮があるように感じられる。
 また別の議論では、「日本人は事を始める前にとことん議論を尽くすが、やると決めたら確り対応する」という話も出た。この事前調整型の合意形成プロセスと、その後の実行確実性については、私の属する企業でも同様に当てはまる。
 第二次世界大戦についても、今でこそ、事後的な検証により、目的が不明確であったことから軍紀の乱れや前線の弛緩が生じ敗戦という結果に至った、との検証も成されているが、少なくともこの時の国民世論は、政府政策に同調し、その後ファシズム化した戦時中の軍部政策についても「盲目的」に受け入れられていたようにも見える。
 バーゼル合意やCOP、TPPといったグローバルベースでの政策合意についても、我が国ほど総花的かつ緻密・律儀に受け入れている国は少ない。
こうした設定目標の変化に対する柔軟な「受容性」と、決定した政策に関する実行過程における「盲目性」は、ある種、我が国国民固有の民族性とも言えるように思える。
 他方、政治的なパフォーマンス次第では、時にはそれが中長期的政策の立案・実行過程におけるリスクファクターともなり得るため、例えば二院制下での同一政党運営の制限、執行と監視の分離など、なんらかの監視・牽制システムの強化の必要性を感じた。



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