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2008年度研究会報告

第1回(2007.6.7)

テーマ 「雁行形態論の再検討-日本による東アジア経済統合の理論的試みは成功したか-」
報告者 西口 清勝(経済学部教授)
報告の要旨

1.問題の所在
1)赤松要(1896-1974)が1935年に発表した雁行形態論は、オリジナルな理論であり、国際的にも高く評価され、「日本人の発明した理論のなかでは群を抜いて引用頻度ナンバーワンである」(池尾愛子『赤松要-わが体系を乗りこえてゆけ』日本経済評論社、2008年、43ページ)という。赤松の雁行形態論は、今日では、その高弟である小島清(1920-)に継承され、赤松=小島理論として広く知られている。
2)本報告の目的は、今日一般的に流布している赤松=小島理論が、実は赤松オリジナルの雁行形態論とは異なる小島修正バージョンの雁行形態論であることを示すと共に、他方では日本(ないし日本企業)の国際化に奉仕し貢献するという意味では同根=継承の関係であることを明らかにすることにある。

2.赤松オリジナル
1)雁行形態論の今日的解釈は、日本を先頭とした東アジアにおける継起的な産業発展(日本-アジアNIES-ASEAN諸国-中国)のそれであろう。
2)しかし、赤松要が1935年に初めて発表したオリジナルな雁行形態論はそれとは異なるものであった。赤松オリジナルの力点は、後発工業国がいかにして先進国に追いつくかのcatching-up processを、製品の輸入-生産-輸出という生産の能力化(雁行基本型)と産業構造を多様化し高度化すること(雁行変型)によって明らかにすることにおかれていた。
3)赤松オリジナルの主要な内容は、①1新産業は輸入-生産-輸出という雁行基本型を経て成長する、②消費財から生産財へ或いは粗製品から精巧品へといった雁行変型(或いは副次型)が生じる、③3後発工業国のcatching-up processを明らかにするのが雁行形態論の目的である、④輸出が輸入を上回るようになる時期に、その産業のキャッチ・アップが一応完了したとみなしうる、⑤キャッチ・アップしてから対外進出をどのようにしてよいかを究明せねばならないが、それは今後の課題である、というものであった。

3.小島修正バージョン
1)赤松オリジナルの目的は後発工業国(日本)が先進国(欧米)に追いつくcatch-up processを明らかにすることに置かれていたのに対して、小島バージョンの目的は雁行型発展が先発国から後発国へ伝播するメカニズムを解明することにあった。
2)小島清は、雁行型産業発展が東アジア経済に次々と国際的な伝播を遂げ、地域統合を促進し、後発国の急成長をもたらすこと、を示そうとしたのである。
3)その際小島は、先発国から後発国へ、外国直接投資(FDI)を媒介として比較劣位産業が移転することを重視した。これを小島は、「順貿易志向的直接投資(pro-trade oriented or PROT-FDI)と名づけている。
4)小島清が雁行型発展の東アジア地域への国際伝播といっているものは、彼の直接投資の日米比較-アメリカ型は比較優位産業から海外進出する逆貿易志向的直接投資(ANT-FDI)であり、他方日本型は順貿易志向的直接投資(PROT-FDI)-から引き出した「日本型直接投資」の理論と雁行型発展論を組み合わせたものであることが分かる。

4.赤松=小島理論の継承関係
1)これまで述べて来たことから、赤松オリジナルと小島修正バージョンの関係が明らかになったものと思う。
2)赤松オリジナルは1935年に発表されたものの戦前には国際的に広く知られるということはなかった。戦後それが広く知られるようになったのは、彼が次の2つの英文論文で雁行形態論を発表してからである。 ①Akamatsu K.(1961), “A Theory of Unbalanced Growth in the World Economy”, Weltwirtshaftliches Archiv, Band86(1961 Ⅰ) ②Akamatsu K.(1962), “A Historical Pattern of Economic Growth in Developing Countries”, IDE (Institute of Developing Economies), The Developing Economies, Preliminary Issues, No.1, March-August 1962.
3)上記の2つの英文論文では、もっぱら後発工業国たる日本が先進国たる欧米諸国にcatching upする過程が問題とされていた。ここから、雁行形態論は途上国の工業化論であるとの一般的な評価が下されることになった。しかし、ここに陥穽があると思われる。
4)このような解釈では、戦前(1935年)と戦後(1961年、62年)が直結され、戦中期に赤松および小島が行った学問的営為がすっぽりと抜け落ちてしまう。赤松の主著は、何と言っても彼の学位請求論文である『経済新秩序の形成原理』(理論社、1944年)であり、それに先立って刊行された赤松と小島の共著『世界経済と技術』(商工行政社、1943年)、の2著に雁行形態論が「大東亜共栄圏」を形成するための経済原理として展開されているのである。
5)戦中期の赤松の雁行形態論は、日本を盟主とする「大東亜経済圏」を形成するためのものであり、今日流布しているような後発工業国としての日本のcatching upの過程を解明するためのものではなく、日本の戦争経済に奉仕するものであった。この赤松を支えたのが高弟小島清であった。
6)戦後小島清が回想しているように、彼のアジア太平洋地域統合のアイデアは、実は戦中期の共著『世界経済と技術』にあったのである(小島清「一橋の国際経済学」、一橋の学問を考える会『橋問叢書』第39号)。
7)このように検討してくると、赤松・小島の雁行形態論の別の側面、というよりその本質が見えてくる。本報告のタイトルを「雁行形態論の再検討」とした次第である。

西口 清勝

テーマ ユーロリージョンと経済統合
報告者 田中 宏(経済学部教授)
報告の要旨

現代資本主義は、マーケット資本主義、ヒエラルキー資本主義からネットワーク資本主義への移行期にある。この資本主義では、ネットワークス間の連接が経済発展にとって決定的に重要となる。欧州経済統合の発展は、ネットワーク資本主義への転換のあり方を模索している。欧州における越境協力(CBC)はその連接を保障しようとする流れのなかにある。ヨーロッパにおける越境協力は、ユーロリージョンという形をとり、すでに1950年代末から始まった。これが第1段階の開始である。そして第2段階として、隆盛してきたのは1990年代以降である。それを推進した主要な手段はInterreg I,II,IIIであった。ユーロリージョンは多様な動機・目的と異なる経歴、多様な形態をもち、EU統合のマルチ・ガバナンスのなかに組み込まれていった。だが、越境ガバナンスという点から克服すべき重要な課題を抱えていた。2006-2013年のEU予算では、Interregは欧州領域協力European Territorial Cooperationのなかに包括された。第3段階の開始である。その重要な契機となるのは、EUTC(European Grouping of Territorial Cooperation 欧州領域協力団体)という新たな手法である。これはCBCを担う、法的な越境ガバナンスを形成しようとするものである。東欧5カ国の国境地域を包括するカルパチア・ユーロリージョンは、西欧のユーロリージョンと異なり、また越境ガバナンスという点から、きわめて未成熟な状態にある。類似した特徴はバルト諸国、スロバキア、バルカン地域のユーロリージョンにも観察できる。だが、それを克服しようとする第3段階のユーロリージョンが東欧地域にも出現しつつある。スロバキアとハンガリーとの国境でETTCタイプのIster-Granun Euroregioが2008年5月6日に発足した。Ister-Granun Euroregioは東欧に大規模日系企業として最初に進出したスズキの生産拠点のあるEsztergom市(ハンガリーカトリック総本山の都市)、東欧自動車産業クラスターの最南端に位置する。

田中 宏

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