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2008年度研究会報告

第4回(2008.11.7)

テーマ 「明治民法の成立と西園寺公望ー法典調査会の議論を中心にー」
報告者 張智慧(上海大学文学院歴史系・講師)
報告の要旨

第二次伊藤内閣期(1892年8月~1896年9月)に、法典調査会が組織され、後に「明治民法」とよばれる民法典がまとめ上げられた。西園寺公望はこの法典調査会において副総裁また代理議長として会の運営及び法案審議に大きな役割を果した。本報告は、法典調査会の歴史的前提――民法典論争、法典調査会の政治史的位置及びその枠組みを考察し、その上で、西園寺の家族制度や所有権などの発言をめぐる法典調査会の議論を分析し、西園寺の果した役割及び発言の意義について再評価を試みたいものである。

条約改正の前提条件である民・商法典の制定は、第二次伊藤内閣にとって重要な政治課題であり、期限付きの仕事として大きな圧力を掛けられた。首相伊藤は延期派優位のもとで延期・断行両派を統合しうる方針=政治的枠組みを有する法典調査会を組織した。法典調査会の場で、民法典論争時の延期派と断行派の代表とされる穂積八束と梅謙次郎の対立は一層薄められたといえる。

西園寺は、法典調査会の副総裁として法典編纂の任務遂行に力を注いだが、同時に法典調査会の政治的枠組みのなかで、隠居・戸主・養子制度の削除、法律以外に権利が存在するなどを主張し、あえてその枠組みを越える発言も行った。それはヨーロッパの「自由・権利」思想への深い理解を前提に、編纂中の民法典に含まれる深刻な矛盾を指摘し、ある意味で日本民法の行方に重要な先駆的問題提起を行なったといえる。また、西園寺が法典調査会の枠組み・基本方針をあえて越える発言をしたことは、それ自体は伊藤に対する一定の批判であったが、それが可能でもあったことがうかがえる。さらに、西園寺の提案が法典調査会で否決され、自然法学者の梅謙次郎が妥協的な態度をとらざるを得なかったことが意味することは、明治国家の分厚い国家主義の壁であり、西園寺の発言がそれを浮き彫りにしたともいえる。

張智慧

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