三好 風(みよし かぜ)

専攻 現代東アジア言語・文化専攻

留学先 国立台湾師範大学(交換留学)

留学期間 2013年9月~2014年7月

留学の動機

私が高校2年生、2011年の春、日本は東日本大震災という未曾有の大災害に見舞われました。日本には様々な国と地域から莫大な支援、寄付が寄せられ、連日それに応える感謝のメッセージが被災地の人々から支援者に届けられました。その際、私は台湾という国(地域)から世界最高額にものぼる寄付が寄せられたという記事をネットで目にし、「なぜこんな小さな国からこんなにも沢山の寄付が寄せられるの」「かつて日本統治を受けた国がどうして」という純粋な疑問を抱きました。大学で台湾のいわゆる「親日」に関して学習を進めてゆく中で、「実際に現地に赴き、彼らの考え方や価値観を肌で感じたい。」という思いが強まり、高校時代よりなんとなく思い描いていた台湾への留学を決心しました。

台湾(台北)での生活

留学が決定したものの、台湾の生活様式、大学の様子を全く把握できていなかった上に、なにしろ中国語の語学力に全く自信がなかった私は、特に留学当初大小含めいろいろな壁にぶち当たりました。しかしその反面、そこから得られる達成感や挫折感、また現地の人々・外国人留学生との交流を通して得られる経験は、私の人生観をことごとく覆してくれました。

私が住んだ台北という町は日本文化の影響を受けているためか、生活様式も含め、生活環境など日本に近い部分も多く、私自身非常に生活しやすい印象を受けました。現地での食事は「夜市」と呼ばれる、ナイトマーケットで購入したものが中心で、現地独特の食べ物はもちろん、日本食のお店も何軒かありました。

学校生活に関しては、前期は主に大学付属の語学学校での授業をとる一方、少しではありましたが本科の授業も履修することで、現地の学生と交流し、できるだけ生の台湾を肌で感じられるよう努めました。語学学校は毎日三時間みっちりと中国語の勉強です。もちろん先生は日本語をしゃべれません。聴く、話す、すべてが中国語。最初はハテナだらけだった授業も次第になじみ、不思議と考えることまで中国語によって行うようになりました。前期にはほとんど聞き取れなかった本科の授業が、後期に入るころには、大部分理解できるようになり、中国語でプレゼンテーションするまでにいたりました。そんな調子で後期は、できるだけ本科の授業を中心に履修し、「中国語から得られる情報を中国語で理解する」ということに努めました。それは自身の掲げた疑問を理解すること、ひいては現在卒業論文を執筆するにあたって非常に大きな助けとなっています。

 

休日になると、現地の友達や語学学校の友達とともに、台湾各地をめぐりました。台湾というと、台北という都会のイメージが強いですが、非常に自然が多い国で、台北以外にも沢山の観光名所があります。また地方には、日本統治時代の面影がいまなおそのままの姿で残っている場所が多くあります。特にミクロな交流が盛んな現代、私たち日本人が、これら統治時代の歴史の軌跡を「知る」ということは、東アジアの一員として周辺の国々と手をつなぎともに発展を図る上でも、非常に意味のあることです。

留学を通して

机に向かうばかりが学びではありません。百聞は一見に如かず、いろんなところに行き、いろんな人と交流することも大切な学びの一つです。私自身約一年に及ぶ留学生活を通して本当にいろいろな経験をしました。実際、自己と異なるヒト・モノ・コトと接触するのは非常怖く、勇気の要ることです。しかし、知らないことをあたかも知っていることかの如く思いこんでいることほど怖いことはありません。私が約1年間の留学生活を通して得られた何よりも大きい収穫はまさしくそれでした。確かに語学力の向上は目覚しく、目に見える形で現れます。しかし一方で、私自身それとは別に、いかに「知っているつもりな人生」を送ってきていたかということに気づかされ、人生を180度方向転換させるような非常に刺激的な良い影響を与えてくれました。