このようにして、分析材料をそろえた後、やっと分析にとりかかることができる。作成した図表をもとに班やゼミ全体でディスカッションするのである。このときが、一番楽しい作業だ。新しい発見や、自分とは違う考え方に出会うことができる。私たちの研究の全てを書くことはできないが、この和歌山カレー事件初公判報道を分析してみて、メディアはいかに構成、内容ともに多様性を欠いているか、また、いかに現実にある「すべて」を映し出していないかということがよく理解できた。「ニュース」は事実であるというような錯覚を私たちに与えるが、決してそうではない。ニュースといえども、制作者がいるのである。制作者達のフィルターを通して、伝えられる現実は、時として歪んだものになってしまう。
今回の事件報道では、被告は完全に犯人として扱われていた。本当にその被告が犯人であるのかどうかは、分からない。現時点では、誰にもわからないはずだ。それなのに、「犯人」として描かれる。この事実がいかに問題をはらんでいるかは、松本サリン事件で被疑者が受けた報道被害からも明らかだ。当時も報道で、被疑者は「犯人」として描かれていた。そして、視聴者はその報道を信じていた。私自身も、犯人なのかと思っていた。しかし、メディアは構成されたものであり、価値観を提示するということを学んだ今なら、自分で情報を判断することができる。 |