学     歴
1979年3月 岩手県立盛岡第一高等学校、東北大学工学部を経て、立命館大学文学部史学科日本史学専攻 卒業
1984年3月 立命館大学大学院文学研究科史学専攻(日本史学専修)博士後期課程 単位取得退学
1994年3月 『幕末民衆思想の研究』(1992年4月刊行、文理閣)で文学博士学位取得

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職     歴
1983年4月  姫路日ノ本短期大学教員(専任講師・助教授〜1995年3月) 
1995年4月 立命館大学文学部教員(人文学科日本史研究学域日本史学専攻)(助教授・教授〜現在)
2000年2月 北京日本学研究センター派遣教員(〜2000年7月)(中国通信は、こちらを参照してください)
2006年9月 韓国東西大学校客員教授(〜2007年8月)(韓国滞在記は、こちらを参照してください)
2009年9月 韓国国立全北大学校交換教授(一ヶ月)
2010年4月 立命館大学文学部長(〜2014年3月)
 2014年9月 韓国高麗大学校客員教授(〜2015年8月)(韓国滞在記は、こちらを参照してください)
2018年4月  韓国全州大学校BK+共同研究員(〜現在)
2019年3月  立命館大学文学部定年退職
2019年4月  立命館大学特別任用教授(〜2024年3月)・名誉教授

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非常勤講師歴
1981年4月 大阪市立汎愛高等学校社会科(〜1983年3月)
1985年10月 立命館大学文学部(〜1995年3月)
1992年4月 大阪大学文学部・同大学院文学研究科(〜1993年3月)
1992年4月 光華女子大学文学部(〜1994年3月)
1995年4月 神戸市外国語大学外国語学部(〜1998年3月)
1996年4月 筑波女子大学国際文化学部(リレー講義、〜1996年9月)
1998年4月 千葉大学一般教育(リレー講義、〜2001年3月)
2000年2月  北京日本学研究センター(〜2000年7月)
2001年4月 大学コンソーシアム京都(リレー講義、〜2001年9月)
2002年10月 大阪大学文学部・同大学院文学研究科(〜2003年3月)
2003年4月 東北大学文学部・同大学院文学研究科(夏期集中、〜2004年3月)
2004年3月 北京日本学研究センター(春期集中)
2006年9月  韓国東西大学校外国語大学日語日文科・大学院日本地域学専攻(〜2007年6月)
2014年9月  韓国高麗大学校文科大学日語日文科・大学院中日語言文化専攻(〜2015年6月)

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所属学会(★はメイン)
日本史研究会 ★日本思想史学会 歴史学研究会
神道史学会 神道宗教学会 
京都民科歴史部会  民衆思想研究会   「宗教と社会」学会  日本宗教学会
日本経済思想史学会
東アジア文化交渉学会 ★東アジア宗教研究フォーラム

所属研究会(★はメイン)
日本思想史研究会
★東アジア思想文化研究会(代表)
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最近思うこと (2023,10.21更新)
何ということだ。ウクライナにロシアが武力侵攻したのだ。この事態をどう見るか、そして世界はどこに向かうのか。事態は現代世界の政治構造と19世紀以来のあるいはソ連崩壊以後の歴史的構造に分けて考えられるようだ。前者についていえば、冷戦崩壊後にグローバル資本主義がロシアも含めて全世界を覆い尽くした中で、かつては一方の極であったロシアが、実はグローバル資本主義に参与しているにも拘わらず政治的にはアメリカ・西欧中心の世界構造に不満を募らせ、NATO拡大に歯止めをかけようとして引き起こしたもの、といえる。そうしたロシアの思惑・不安を軽視し拡大を遂げてきたNATO・アメリカ側がロシアの行動を誘発した側面もあるし、ロシアから「遠心分解」しつつある東欧の趨勢も、今次の事態を引き起こしたといえそうだ。複雑なのは後者で、ロシアとウクライナは、王朝国家時代に遡っての緊密な関係を有し、かつそれも宗教的関係も含めての複雑な関係を形成してきた。この意味では、国民国家を中心に世界を捉える見方では到底理解できない関係・構造を有している。ロシアあるいはウクライナの人びとの感情は、エスニックな面のみならず、国民国家という視点から捉えるだけでは到底理解できないものだ、ということだ。ところで、この事態に対して、またぞろやれ愛国心だの、国家防衛の義勇軍だの、ウクライナの人びとの行動を煽り賞賛する声が日本では巻き起こっている。あげくは、核武装の必要性まで説くとんでもない阿呆(いうまでもなくあいつとあいつだ!)まで出てくる始末だ。今は、即時停戦のための知恵を出しあうこと、ウクライナの人びとの切なる願いに寄り添い必要な人道支援を行うこと、プーチンに翻意を促す行動を行うことなどが重要だ。それにしても、コロナ感染症に加え、ロシアの軍事侵攻で、世界はもはや戻れない地点に来てしまったということなのだろうか。どこに迷い込んでしまったのか、これからの道はどこにあるのか、何をなすべきなのか、真剣な問いかけを今後も続けていくしかないだろう。2022年3月6日facebookにUP 
 新型コロナウィルスの世界的蔓延の中で⇒こちら 
  嘘と改ざんまみれの安倍首相・政府・官僚。国民の半数以上が反対している悪法が次々と強行採決されていく国会。ポスト冷戦へ大きく動き出した東アジア情勢が全く理解できない、もはや外交とはよべない日本政府の国際感覚。戦後最悪ともいえる疑獄まみれの状況にもかかわらず、誰一人辞任して責任を取ろうとしない異常さ。そしてそれを許してしまっているわれわれ。私は何のために歴史学をやっているのだろうとため息の続く毎日です。いつの間にかとんでもない危険水域に来ていることを直視し、辛うじて残っている「言論の自由」を駆使して行動していかなければならないと痛感しています。2018年
 国際資本主義の世界史的終焉を告げる新自由主義の嵐の中で、日本・アジア・世界は戦後最大の曲がり角を迎えているように思います。アメリカ資本=国家に全面的に従属するほかない安倍政権と対決し、間違いなく戦争に突き進む安保法制を直ちに廃止するための行動が今こそ求められていると痛感しています。2015年夏には、1960年代以来ともいわれる新しい運動の胎動が始まりました。「安保法制廃止・普天間基地の辺野古移設反対・脱原発・東アジアの友好」のために、微力ながら私も頑張っていきたいと思います。 2015年     
 私事ではありますが、2015年04月29日、母を見送りました。〈昭和の激動〉全体が、そのまますっぽり入る人生でした。私が歴史学徒として座右の銘としている「暴力と差別の根絶」という視点は、この母の語っていたことから学んだものだったと、つくづく思っています。今また日本がアジアから孤立し、危険な道に踏み出そうとしている現在、母の願いを継ぎ、断固たる意思表示をしなければならないと、あらためて思う次第です。2015年
 2011年3月11日に勃発した東日本大震災及びその後の原発災害は、日本のみならず人間自体のこれからのあり方を根底から問いかけるものとなりました。人間が自然の脅威とともに生命を育む存在であることがあらためて明らかとなり、これまで営々と積み上げてきた文明・文化のあり方も問い直されています。この大震災は、もう一度原点に立ち返って考えることを求めています。一方、この大震災は、人間の絆の大切さ、協力して立ち上がることの尊さ、自然と共生していくことの重要さなども教えています。人間は、自然の中で、そして繋がりの中で、互いを気づかいながら生きていく存在であることを、被災者の方々の懸命に立ち上がろうとする姿から、そして国際的に広がった支援の輪から学ぶことができたと思います。岩手県・宮城県出身者の一人として、微力ながら今度の大震災が問いかけたことがらに応えうる思索を続けていこうと考えています。2011年
 21世紀に入ってから、国民史としての歴史学の問題性はかなり明らかになったと思います。
 しかしながら、21世紀を真に差別と抑圧から解放された一世紀とするためには歴史的思考自体は未だ重要ではないでしょうか。
 無政府化する世界/資本主義の暴力、搾取、地球環境問題を見るにつけても、19世紀から20世紀の思想の歴史的再検討が求められていると痛感しています。
 「近代」の意味を問うためにも、19世紀以来の議論をしっかりと見直し、「江戸から」 そして「東アジアから」「近現代」を照射していきたいと思っています。2001年
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