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応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

11月24日~12月4日 福島市「東日本・家族応援プロジェクト 2016 in 福島」




「家族応援プロジェクト2016 in 福島」を開催しました

(応用人間科学研究科教授・村本邦子)

   2016年11月24日(木)~12日4日(日)、福島市子どもの夢を育む施設こむこむにて、6年目を迎える「東日本・家族応援プロジェクトin 福島2016」を開催しました。今年も特定非営利法人ビーンズふくしま、まちとしごと総合研究所の共催、福島市子どもの夢を育む施設こむこむの協力、福島県、福島市、福島市教育委員会、福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの後援を頂きました。漫画展会場として、1階のにぎわい通り(図書館横)を使わせて頂き、たくさんの方々の眼に触れることができました。

   12月3日(土)には、2階の交流コーナーにて、おもちゃコンサルタント小磯厚子さんによる「遊びの講習会」と小林秀子さんによる「絵本とみんなの編んでるシアター」、東京おもちゃ美術館寄贈のおもちゃセットを使った遊びコーナー、4階の企画展示室にて「団士郎の家族漫画トーク」を、12月4日(日)には、4階の企画展示室にて「クリスマスカレンダーをつくろう」を実施しました。小磯さんは白河で子育て支援をし、東京おもちゃ美術館でおもちゃコンサルタントの資格を取られたとのことで、ご縁に感謝するとともに、おもちゃと遊びについてのお話と実践を楽しませて頂きました。編んでるおばさんこと小林秀子さんは、埼玉から福島に移住して、絵本の登場人物を編みぐるみにした人形劇をやっておられます。どことなくひょうきんな編みぐるみにほっこりしながら、子どもたちと一緒にしばし絵本の世界に入りました。福島が大好きで、福島の子どもたちのために活動をされておられるという方々との出会いに励まされました。

   今年のクリスマスカレンダーは、2週間前に申込者が80名を超え、50名定員を70名に増やして、それ以上はお断りしなければならない事態になってしまいました。参加して頂けなかったみなさんには本当に申し訳なく心苦しいのですが、当日は親子合わせて130名という大勢の参加者に14名のスタッフで対応することになり、行届かない部分もあるのではないかと心配しつつも、無事に楽しくプログラムを終了することができました。リピーターの子どもたちもいて、年月を数えながら、子どもたちの成長ぶりに驚きます。初年度は、あちこちにホットスポットがあって、子どもだけで外に出ることは禁じられていた時でしたから、子どもの数より多い大人たちの輪に見守られる中で、子どもたちがお行儀よくカレンダーを作ったことが思い起こされ、はちきれんばかりの活気を嬉しく思いました。

   とは言え、各家庭で除染された行き場のない土は、フレコンバッグに入れられ、緑のビニールシートでくるまれて、家の軒先に置かれたままです。政府は次々に放射線の基準値を緩和し、「1ミリシーベルト以下」だった避難指示解除の基準値は「20ミリシーベルト」に変更されました。子どもたちの健康、私たちの未来を大切にして欲しいと切に願います。今年もビーンズさんの案内で、仮設住宅での学習支援や「みんなの家ふくしま」の訪問をさせて頂きましたが、みなさんの地道な活動に頭が下がります。毎年のことながら、こむこむさんのきめ細かなサポートにも大変お世話になりました。さまざまな使命のある日常のなかで私たちを迎え入れてくださる福島のみなさんに心から感謝しています。

 福島プロジェクト (応用人間科学研究科教授・団士郎)

   福島「こむこむ」は駅前の利便性の高い、利用者も多い施設である。その一階、駐車場出入り口から中央への通路壁面にパネル20枚が展示されている。今年はここにすべてが展示されることになった。

   この場所の人の動きを見ていると、通る人は多いのだが、立ち止まる人が少ない。目的地に向かってさっさと移動してしまう感じである。空間的にはゆとりもあって,窮屈な展示ではないので、立ち止まってもらえる工夫が必要なのかと思う。

   2016年、今年度も最終は福島。むつ市、多賀城市、宮古市と漫画トークを実施してきたが、今年準備したものに関して,今ひとつ納得がいっていないところがあった。助言を求めて明らかになったのは、やはり中身が多すぎたということだ。内容そのものはとても興味深いものだと思うが、講演内容、材料が多すぎるのではと言われた。

   それは問題である。話がコンテンツに偏ると弾まなくなるのは常識である。それに講演は、どのようなものであっても、聞く側への配慮が不可欠だ。時間が長すぎるのも、中身が多すぎるのも,サービスにはならない。

   そのことは重々承知しているのだが、それでもやっぱり・・・と盛りだくさんな中身にしてしまうところがある。その理由の一つはパワーポイントを使って、準備するようになったことがあげられる。文明の利器は便利で、誰にも使いこなしやすくできている。そしてその分、なにもかもを平準化する。漫画や写真、切り取った文言など数十枚のP.P.資料は、話が弾むのではなく、段取りを強要してくる。

   今、この場で話しているのに、準備は昨夜、あるいは、もっと前に済んでいる。そんなものがライヴになるはずがない。

   そこで、ずいぶん悩んだ結果、昨年まではしたことはなかったが、漫画トーク2016の展開を他とは変えた。前段の漫画[勉強しなさい]を膨らませながらライヴで語り、前の三カ所では含んでいたエリザベスサンダースホームについての部分はカットしたのだ。

   この話自体は非常に興味深い事実ではあるが、今回の講演全体の中で、前半と後半が、内容ではブリッジを架けながら、現実としては、話を長くさせてしまう要因だった。それに気づいたので、思い切った決断をしたというわけだ。果して、今日初めて、今年の話として聞いてくれた人達に、どのような感想が生まれただろう。

 プロジェクト6年目に院生として参加すること (対人援助領域M1 河内 梨紗)

   「福島に行く」「行ってきた」と言うと、「また、教えて」「どうだった」という声をよく聴いた。地元大阪からの距離は遠いが、「福島」というと「今の現状はどうなのだろう」と尋ねずにはいられず、また、まだ尋ねるべき「土地」なのだろう。そういえば私も、福島に1年間医療者として支援に出向いていた医師に、「どうでしたか」と尋ねていたなと思い出した。6年という月日は経ったが、「福島」で起きたことは月日で忘れ去れるものではないという認識は、遠く離れた大阪でも同様だと思いたい。東北に行くのは、私用で訪ねた仙台と合わせて2回目である。仙台空港に降り立ったときの「ここであったことなのだ」と身体で感じた感覚は、福島でも同様だった。特に仮設住宅でのぽつりぽつりと灯るあかりが、それを強く感じさせた。

   NPO法人ビーンズふくしまの中鉢さんの協力のもと、様々なプログラムが組まれた福島でのプロジェクトは、「子ども」をきっかけに広がる支援や、土地の持つ力、今の現状を教え、また考えさせてくれるものであった。1日目、とてもお忙しいであろう中鉢さんが、いくつもの場所を案内して下さり、それをきっかけにこの3日間で「子ども」からみえる現状、そこに院生として参加することの意味について考えた。3日間で出会った「子ども」との出会いから、率直に感じたことを記録したいと思う。

   1日目、2つの仮設住宅での学習支援の見学をさせていただいた。このプロジェクトで毎年福島を訪れている村本先生は、昨年出会った子どもと再会していた。その出会いの持つ意味は何だろうか。1年の時間は長いのか、短いのか。6年という時間は、何を感じさせたのだろうか。小学校に入学した子どもが卒業間近まで成長するのが6年。また会えたことを、この場で喜ぶのは、良いことなのか、どうなのか。わからなかった。外部から来た人への好奇心も感じたが、警戒心を持っていないとも言い切れないような、思春期だけでは片付かないような人との距離の取り方も少し気になった。しかし、子どもは純粋に可愛く、もちろん無邪気さも持っていて、ほっとさせてくれた。学習支援をされている方の応対を拝見しながら、この細やかな対応こそが正解なのだろうと感じた。それを継続されることへの尊敬の気持ちと、まだ、細やかさが必要な現状を知った。

   2日目、福島市子どもの夢を育む施設「こむこむ」でのプログラムがあった。東京おもちゃ美術館のおもちゃを使った遊びのコーナーでは、小学生入学後、入学前の子どもが中心で、のびのびと遊ぶ様子に、大人げなく真剣に遊んでしまい、ちょっと手加減しないといけなかったなと後で反省してしまうほどだった。木製の積み木が高く積み重なり、子どもたちが騒ぐ遊びコーナーは、通常時は学生の勉強スペースになっている。遊びコーナーの横で勉強をする学生も、一緒に遊ぶことはなくても同じ空間にいること、誰が他の場所に行くこともなく過ごすことができていることにも、子どもの寛容さを感じていた。

   3日目、クリスマスカレンダーを作るプログラムがあった。70名、親を合わせると100名を超す参加者と一緒にクリスマスカレンダーを作った。1グループ8人。その中で小学生と幼稚園の姉妹が2人で参加していた。母が風邪で参加できなくなったという。幼稚園の子がはさみを使うのに目は離せないし、加えて8人の子どもを同時にフォローするような力量は持ち合わせておらず、参加者のお母さん方が、だいぶサポートしてくれた。ひとまず、子どもたちが「楽しかった」と言ってくれたので良かった。「去年も来た」という子や「来年も来たい」という子がいてくれて、継続して開催することや、母親自身の体調が悪くても参加を了承できる安心感がこの場所に生まれていることに、6年目の重みも感じた。

   2011年3月11日からの6年が、「子ども」である彼ら彼女らに与えている影響を、3日間という短い期間でも感じた。また、逞しくしなやかにその場に生きる「人」も感じさせてくれた。継続されるものと、そこに院生として参加することで、繋がって織りなす時間や空間を感じた。

   京都に帰ってきた12月4日の21時頃に、また「福島」で地震があった。一番に浮かんだのは、「子ども」たちの顔だった。怖がっていないだろうか。いや、怖いだろう。怖いのは子どもだけでもない。関西に帰ってきたが、行く前の「福島」の地震のニュースへの感じ方は明らかに違う。それは、今回の地震だけではなく、例えば旅行に行っただけの土地でも、その後その場で何か起きた時に、人は身近に感じ、関心の持ち方が変わる。やはり、私は京都にいても、地元大阪で起きたことへの興味関心は強い。訪ねることで起きる、内外の変化でそこに生きる「人」を感じられるのであれば、「訪ねる」という行為だけでも、できる支援があり、見聞きしたことを書き記すこともまた同様なのだろうと、今はそんなことを考えている。  

東日本・家族応援プロジェクト2016inふくしまに参加して(対人援助領域M1 森 淳一)

   震災復興プロジェクトで福島市を訪れた。中通りの市町村は初めてである。浜通りは両親の出身地(双葉町・大熊町)会津地方は両親の親類がいるので、何度か訪れている。東京から思ったより近く感じた。駅前は地方都市の典型という、たたずまいであった。

   会場(福島市子どもの夢を育む施設こむこむ)は駅前のNHK放送局の隣であるが、放送局が小さく感じたのは何故であろうか。

   会場に来ている子どもたちよりも、勉強に来ている中高生の様子が気になった。子どもたちがおもちゃで遊んでいる傍で、黙々と自分の課題を行っていたことだ。とても、マナーのよい中高生である。地方と都市部の違いはあまりなくなってきたと考えていたので、とても興味深いことであった。

   震災当時のことを思い出した。避難所での中高生たちのことである。避難先では何もしない、苦情ばかり言う大人たちとは別に、自ら、ボランティアの手伝いを誰に言われるわけでもなく率先して行っている姿が見られたという話しである。たしか、震災直後の京都で行われたFPフェアー(日本FP協会)での昼食会場で出会った、岩手県のFPの方の話である。一番気なっていた子どもたちが、大人たちより社会性を発揮していることに感動したことである。震災から5年経ち、この会場に来ている中高生またはその上の世代の子どもたちのことなのかもしれない。

   みんなの家@ふくしま」を訪問した。子どもから地域のお年寄りまで多世代のコミュニティハウスとしてオープンし、福島で子育てをしている全てのママ、パパ、お子さんが集う子育てひろばからスタートして、福島の子どもや若者たちが集ったり、一緒に遊んだり、時にはイベントを行ったり、そこに地域の方々も入っていただいて、赤ちゃんから子どもも、親も、若者も、地域の大人たちもみんなが集い、笑いあった り、ワクワクすることを共に創っていくことや、集った人々が安心して、自分らしくいられる場所、 「みんなのための「みんなの家」です」がコンセプトである。この居場所が大切にしていることは、①利用者さんひとりひとりの想いを大切にする。②家族の絆、地域の絆をそっと結び直すこと。 ③福島で子育て中の親子を中心にして、子ども・若者・地域の大人たちが気軽に集える場所、それぞれの力がエンパワーメントされていく場所にすること。

   福島市内でも、一時避難したものと避難せず地元にとどまったものとの関係性に微妙なしこりのようなものが存在していたり、避難先の市町村から地元に戻りたい高齢の親たちと、地元に戻ることにこだわらない若い世代との世代分離が明確化してきているそうだ。高齢者が地元帰還にこだわるのは、共同体アイデンティティーの影響かもしれない。しかしながら、地元の自治会長の協力がとても大きいとも話していた。高齢のおばあちゃんが居住していた家をリフォームした建物であるが、40年前の建物とは思えないほどきれいな家であった。おばあちゃんが書いた絵が玄関口に飾られ、立派な神棚も残されていて、「みんなの家」のコンセプトをこんなところにも伺うことができた。不特定多数が出入りする環境や幼児の声を騒音として保育園建設に反対することや児童相談所が居住するマンションに併設することに反対する都市部の住民とは異なった関係性が震災後、人々の間で育ちつつあるのかもしれない。

   除去土壌(除染後)の保管先がまだ決まっておらず、住居の脇に置かれていることなどで、まだまだ復興に係る課題が残されていることも感じることができた。震災後の福島のコミュニティを再生するための地道な活動をこの「みんなの家@ふくしま」という現場で見ることができた。地方都市の活性化がテーマとして全国の各市町村で様々な取り組みがされているが、この活動の中に「ヒント」が隠されているのかもしれない。残念なことは、民間の財政支援が今年度で終了することで、今後の活動に不安がある旨の発言があった。公的な支援は規制が多くて使い勝手が悪いので、民間の財政支援に頼っているとのことであった。

「東日本・家族応援プロジェクト 2016 in ふくしま」に参加して ~ 何かを介して広がること ~
                                    (対人援助学領域修了生 奥野景子)

   私は、このプロジェクトに参加して四年目になる。つまり、プロジェクトを通して福島に行くのも四回目になる。今年の感想は、「よく動いて、よく遊んだなぁ~」という一言に尽きる。

   遊びコーナーでは、誰よりも集中してブロックをつなぎ合わせていた。他の人が遊びコーナーの写真を何枚か撮ってくれていた。それを見せてもらうと、そのいずれにも同じ場所で、同じ格好でブロックに集中する私が写っていた。一人で何も考えずにパチパチとブロックをつなぎ合わせていると、男の子に「それナニ?ちょっと貸して!!」と取り上げられた。「あっ、秘密基地の隠れ場にしよう!」とキラキラした笑顔で言われると、私も「いいよっ」としか返せなかった。私が何も考えずにつなげたブロックは、彼の秘密基地にむくむくと飲まれていった。私が提案する秘密基地案の多くは、あっさり却下されていったが、自分の枠を超える広がりがとても新鮮だった。あと、遊びコーナーでは、少し不思議で少し心地いい出来事もあった。学童の子たちがたくさん来て、マットの上が人でギューギューになっていた時、私の背中にほわほわしたあたたかいものが押し付けられてきた。それは、背中越しに遊んでいた、ちょっとぽっちゃりした男の子の背中とお尻だった。お互い身体があたるからと謝るでも譲り合うでも、気にし合う訳でもなく、ただただ自分の目の前のおもちゃと楽しく遊んでいる感じがすごく懐かしくて、すごくあたたかくて、すごく心地よかった。

   今年のクリスマスカレンダーを作ろう!!には、今までの中で最多の方が参加して下さった。道具やお菓子の準備、事前にテーブルごとに担当を決め、各々の動きや段取りの確認を行ない、開始時間を待った。そして、いざカレンダー作りが始まると、マイペースに作る子や途中で脱走する子、細かいところにこだわってなかなか進まない子など、さまざまだった。決められた時間の枠があったため、全体の動きを見ながら声掛けをしたり、手伝ったり、みほんを見せて回ったりしながら動いていた。すると、後半に差し掛かろうとしたところで、私が担当していたテーブルに二歳くらいの男の子を抱えたお母さんが入ってきた。膝の上に男の子を抱えながら、その子と相談しながら二人で一緒にカレンダーを作っていた。順調に進むようにと色々と準備や片付けを手伝っていた私だったが、ふと気が付くと横にいた他のお母さんがそのお母さんに手順を教えたり、準備を手伝ったりしてくれていた。たぶん初めましての関係だったと思う。それでも、ごく自然に、当たり前のように手伝い、手伝われている感じがあたたかかった。

   モノやコトがあると何かが起きる。おもちゃやカレンダー作りを介して人と人とのやり取りが交わされ、その場の空気が変わっていく。その場の空気が変わると、それはその場の空間にもじんわり広がっていく。今年の福島では、そんな緩やかな空気の流れのようなものを感じることができた。ふとした温もりによって空気の流れが生まれる感じがしていた。

   わかりやすいモノやコトに真正面から向き合うことやぶつかることが必要な時もあるように思う。でも、このようなやり方もあって、違うところで緩やかに動いたことが、何かの力につながることもあるんだろうなと改めて思うことができた。


 震災復興支援プロジェクト報告(対人援助領域修了生 森 希理恵)

   例年ならば金曜の仕事を終えて福島入りするのであるが、今年は都合がつかずに土曜の夜に福島入りし、日曜のクリスマスカレンダー作りのプログラムだけの参加となった。

   今年のクリスマスカレンダー作りは、広報のおかげでたくさんの申し込みがあり、お断りをしなければならないほどの。申し込みがあったということだ。

   開始時間が近づき、ぱらぱらと親子が会場に集まり始めた。母親と一緒に早く着いた男の子はどことなく緊張気味の様子。元気に部屋へやってきたきょうだいは、机の上に準備してある材料を興味津々のまなざしで眺めている。次々と親子が集まり、部屋が賑やかになってくると、早く着いて緊張気味だった男の子の顔もほぐれてきているようだった。

   作り方の説明を聞いて、それぞれの机にスタッフが付き、カレンダー作りが始まった。子どもたちは思い思いのカレンダーを作っていた。子どもだけでなく、一緒に参加している保護者も夢中になって子どもと作っている姿も見られた。なかなか子どもと一緒に夢中になって何かを作るという機会は少ないと思われるため、こうして大人も子どもも一緒に夢中になれる機会は貴重だと感じた。

   早く来られた親子から部屋の奥の机に案内して座っていただいたが、テーブルの数も多く、それぞれ座っている机で年齢層も違ったため、机によって出来上がる時間がずれてしまうことや、申し込んでくださる方がたくさんいるということは嬉しいことではあるし、賑やかで活気はあるのだが、おしゃべりを楽しみながらゆっくりと作るという雰囲気がもちにくいと感じた。作っている間はなかなか雑談をするという余裕はなかったが、ほぼ出来上がり始めた頃に、何人かのお母さんとお話をすることができた。

   次年度は、カレンダーを作りながら、もう少し話ができるような工夫ができればと思う。

 福島にさまざまな支援があり継続されていること
                  (対人援助領域修了生 NPO法人家族・子育てを応援する会代表 新谷眞貴子)

   福島の震災プロジェクトに参加するのは、3回目。12月2日、今年も特定非営利活動法人ビーンズふくしまの中鉢さんが案内してくださり、昨年と同じ施設を回るフィールドワークに参加しました。

   その中で印象に残ったのが、「みんなの家@ふくしま」です。昨年よりもさらに、さまざまな人たちを支援する受け皿ができていました。ベビままday、園児ままday、小学生ままday、中高生ままday、F-ぱぱ☆プロジェクト、避難先から戻ってきた親子のままカフェ、ご近所day、大人の部活、季節に合わせた楽しい行事等、子育て中の親同士の、多世代の、また、地域の人々の交流と相談の場が沢山あります。ただ場を開設しているだけではなく、利用する人が力を持ったり、コミュニティが再生したり、しっかりとした目標をもって事業を展開し、成果を上げておられました。

   私たちが訪問したときには、赤ちゃんを連れたお母さん方が二人いらっしゃいました。スタッフの皆さんの声が心地よく、工夫を凝らした手作りの飾りがそこにいる人たちをほっとさせてくれる空間を作っていました。

   スタッフの方が、今の状況や支援についてお話ししてくださいました。避難先から戻ってきた人の思い、福島市に避難してきた賠償対象者の思い、ずっと地元で暮らす人の思い、普通の生活が周りに進んでいる中、放射能汚染が気になりながらも口に出せない思い、それぞれの思いを心に持ち続けることは大変なことだと思います。世代分離が行われているというお話も聞き、時間経過とともに、それぞれの人々の中に複雑な事情が生まれていきます。だから、同じ立場の人が集まる場、みんなの中で話せないことを話す個別相談もあります。

   私は、今、奈良県広陵町で会のスタッフと乳幼児の親子の広場を開いているので、個々にさまざまな事情を抱えた福島で、子育て中の人々にとって、子どもの遊びや食べ物に関わる日常の不安を、みんなの中でも個別でも、気がねなく話せ、人とつながれる場のあることが、お母さん方にとってどれだけ助かるだろうかと思いました。

   仮設住宅の学習支援も昨年に引き続き、2か所の仮設住宅に訪問させていただきました。昨年と同じ子どもがひとまわり大きくなって勉強したり、遊んだりしていました。1年前より、ぐっと落ち着いた感じで話す中学生もいました。支援員の方は、学習支援をすると共に、子どもたちが話すその日起こったとりとめもない話にずっと耳を傾け、なおかつ、学習を促し支援している感じでした。この場は、子どもたちにとって心のケアをする場でもあり、確実に学力をつける場でもあると思いました。二本松市に避難している浪江中学校へ1時間かけてスクールバスで登校する子どもたち、地元の中学校で学ぶ子どもたち、それぞれの家族にも子どもたち自身にも事情があります。その中で、彼らが支援員の人たちと学び、笑い合っている、この場が継続されることに意味があると思いました。

   12月3日、まずは、広くて大きな「子どもの夢を育む施設こむこむ」の2階交流コーナーで、おもちゃコンサルタントの小磯厚子さんによる遊びの講習会です。私は、震災プロジェクトに寄贈された東京おもちゃ美術館のおもちゃは素敵だと思いながらも、遊び方を知らなかったので、その一つ一つのおもちゃにある遊びの楽しさについて説明を聞き、よく分かりました。一人遊び、みんなとする遊び、そばにいて大人が見守る大切さ、おもちゃの置き方等、おもちゃに魂が吹き込まれたような小磯さんのお話を聞き、その後で子どもたちと夢中で遊びました。学童の小学生たちがたくさん来て賑やかになり、幼い子どももその子どもたちを見習い、遊びを楽しんでいました。後から、同じスペースで自習をしていた高校生たちも、子どもの遊びコーナーに関心を寄せていたことを知り、一体感のあるコーナーだったと思いました。

   そして、12月4日。今年は、申し込みが多かった「X‘masカレンダーを作ろう!」のプログラムについては、行く前からいろいろな準備をしてくださったおかげで、実際にプログラムが始まると、とてもいい流れで進めることができました。いくつものテーブルの親子が制作過程で一緒に工夫したり、笑顔になったりして楽しんでいました。私は自分の担当のテーブルでそれを少しずつ楽しみながら見ることができ、声をかけられました。子どもたちもお母さん方も創る工程を一緒に楽しみ、出来上がりを同じテーブルの親子みんなが拍手で讃え、満足げに帰って行く姿を見ることができました。昨年に引き続き来てくださった親子も、また来年も来ますと言ってくださる親子もありました。

   さまざまなプログラムに参加してくださった方々にも子どもたちにも、震災が爪痕を残し、いろいろなことで不安だったり、心に何かを抱えておられたりするかもしれません。でも、震災プロジェクトで過ごしてくださったその時間があり、プログラムを楽しんだり、家族漫画展の物語に出会ったり、団先生のお話を聞いたりして、それぞれの形で一人一人の心に届いているのだろうと思いました。

   福島に来て、3回目。回を重ねるごとに、被災した状況も、その後の状況も、時間の経過とともに、事情が随分違う人々が暮らすことを知ります。そして、その福島には、必要とされているさまざまな支援があることも知ります。しかし、先が見えない重い感じがするのは、やはり放射能がこの後どのように人に影響を及ぼすのかも、その処理の問題についても先がわからないからでしょうか?「みんなの家@ふくしま」の庭に、テレビで見ていた汚染土が厳重にシートで覆われて置かれているのを目の当たりにしました。除染は順番で、除染が終わってもそれを持っていくところもなく、その持って行き場のない土、それと同時に、日常にある持って行き場のない人々の思いは、どうしたらよいのだろうと考えました。

   それでも、この福島で、一人一人が必要な支援を、地道に継続している人がいる。そして、毎日を生きている人がいる。そこに私は、人のたくましさ、やさしさがあり、福島の未来につながるものを感じます。震災プロジェクトもその未来に関わっている一つであると思います。私が今行っている活動にも、もっと人が必要としていること、支援の在り方があるように思います。それを地域の人々や共に活動する人々と探り見極めながら、私ができることを行動に移していこうと考えています。昨年よりさらに、複雑な事情を見ながらも、ここにきて、勇気をいただいて帰ってきました。

 道中に出会うこと出会わないこと(対人援助領域修了生 清武愛流)

   今年は、1人で猪苗代まで行ってみた。私が現在関わる仕事の1つ、文化事業関係者の知人が、はじまりの美術館にいらっしゃることから動いたことだった。

   はじまりの美術館では、「いいたてミュージアム2016巡回展」がなされていた。個人の持ち物に物語があった。食卓、クラブ活動などそこで過ごした人との思い出が詰まっていた。これに触れたことで、自分にもある出来事に気づき、同じ境遇であればどのような思いで暮らすだろうかと私の思いは飯館村へ近くなっているかのようだった。足を運んだことのない地、会ったことがない人の展示とはいえ、想像し、そこから私ができることは何か、考える時間となっていた。

   上記は、東日本•家族応援プロジェクトの家族漫画展でも似たような心境が起きていると改めて気づく機会になった。私が続けている家族漫画展の「アテンド」が何をしているのか、捉え直す時間でもあった。

   家族漫画展では、他者の物語に触れ、自分の思いが呼び起こされる。そして、次の場所へ向かう。会場なので、誰かが居る場で他者の物語に触れる。言葉にしたい瞬間が訪れたら「アテンド」と話す。もしくは、「アテンド」もお声かけをする。その会話のひと時が、新しい自他の物語となるのだとすれば、「アテンド」は新しい物語の始まりに居る存在になるのかもしれない。

   これらは、意図して動いてきたわけではない。これまで、家族漫画展のアテンドは、その場でいかに空間と他者と過ごすかを考え続け、更新していた。そこには、互いに見知らぬ人であるから起きる、出会いの豊かさを体験していく者となっていた。たまたまの出会いなので、言葉を交わすことで知る多彩な物語を交歓する。何より私がその体験をしてきた。

   しかし、今回はそのような体験はほとんどなかった。空間での人の過ごし方は、面白いほどに暗黙の了解があるようだ。ご自由にお持ち帰りいただける小冊子の減りが、これまで以上に早かった。何らか関係があっただろう。今言えるとすれば、何か持ち帰りやすさが、そこにあったということ。

   これらの体験は、漫画展、小冊子この2つが人とどの様に関わっているのか改めて考える機会になりアテンドがヒューマン•サービスの上で何であるかの問いを充実させていた。

   小冊子は、1人で読む。他者の物語を読み、読み手の何かに物語が触れ、知り合いの他者にお渡しすることが起きていることは、届けるプロジェクトの様子でも推測される。言い換えると、誰かが見ている空間の中で過ごす人がいない。また、アテンドとついつい話してしまうといった、見知らぬ人と会話をすることが少なかった。

   上記は、今回、私自身に起きなかった体験。遠くから来ているからこそ起きる、失われていないそれぞれの多彩な物語が自然と呼び起こされる体験が私自身に起きなかった。

   意図した通りにいくとは思わないし、そうすべきだとも思わない。ただ、近年知り合い同士の会話はわりと決まり切ったやり取りが多いと思う。気を遣いあって次の一歩に向かいづらい傾向、ある意味それが不自然に映る日常生活の一部になっているようにも見える。そう思うと、今、私が思うこと、したいことが出せないことは、窮屈な生活になるような気がしている。人は、なかったこととして歩む選択は、そう簡単にできないのではないだろうかと思うのである。

   漫画展内で、アテンドが見知らぬ人と出会う時には、冊子やパネルがある。しかし、漫画展内だけでなくても起きている。私は、郡山から福島へ入る途中の新幹線で、女子高生に冊子を渡してしまった。私は一駅で降りるため、通路側に座る彼女に席を交代してもらったお礼がてら。

   ポストイットに一人旅ですか?受験ですか?…人生の旅のお供に…と書いて渡し去った。後、彼女から、Twitterで連絡がきた。何か一言言いたく、私を探してくれたそうだ。こんな体験は初めてだった。実は、私はこれまで渡したあとのことは知らずに過ごしてきたからだ。

   ただ、今回の出来事で、漫画展内で起きていることは、何か言いたくなる時に、それができる装置としてアテンドが居たのだと思った。起こること、起きないこと含め、私にとって面白い体験に変わっていたのだと知った。

   私もここで言っているくらいだから、互いに一言言いたくなるインパクトには、予期せぬ幸運的なハプニングがあるのだと思う。それは、日常の見知らぬもの同士の出会いにまだまだあるのだと喜びとなっていた。

   思いがけない出会いは、道中に起きるようだ。復興の物語も道中だからこそ起きる出会いがあるのだろう。幸運的なハプニングがわずかでも、相手と私の間にあったらいいなと思う。

   これら出会いは知り合い同士の出会いと比べると、一瞬であり断片的な出会いでもある。せっかくなので、既に知り合っている、ビーンズふくしまのスタッフさんたちと福島での暮らし、私の暮らしを交歓できたら…と思う。彼らから福島の生活、文化を教えてもらいつつ、私もそれを体感したいと思っていると気づいた滞在だった。



会場の子どもの夢をはぐくむ施設こむこむ



家族漫画展



遊びの講習会



遊びのコーナー



絵本とみんなの編んでるシアター



交流会




クリスマスカレンダーをつくろう



スタッフ反省会





フィールドワーク:NPO法人ビーンズふくしまの活動現場を訪ねて





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