授業イメージ写真

応用人間科学研究科 震災復興支援プロジェクト

2014年10月4日~10月5日「東日本・家族応援プロジェクト2014 in 石巻」




「東日本・家族応援プロジェクト2014 in 石巻」を開催しました 

(応用人間科学研究科教授・増田梨花)

   今年度の石巻チームは、10月5日(土)~6日(日)、宮城県石巻市内の3箇所で「見て、聴いて、感じて、行動する」をテーマに掲げ、「絵本とJAZZのコラボレーション ライブイベント」を中心とした活動を行なった。イベントの場所、来場者数は以下の通りである。 

   ◇開催日時:2014年10月4日(土) 10:00~11:30

   ◇会場:社会福祉法人(作業所)「みんなの夢広場」2階活動ルーム 石巻市鹿妻南1-16-17 Tel 0225-23-5630  

   ◇来場者数:26人(関係者:17人) 合計43人

   

   ◇開催日時:2014年10月4日(土) 13:30~15:00

   ◇会場:千の杜学びの「学びのホール」「千の杜 学びの」(せんのもり まなびの)

   〒986-0859 宮城県石巻市大街道西2-2-25 Tel 0225-98-6468(株式会社千金堂)  

    ◇来場者数:17人(関係者:17人) 合計34人

   

   ◇開催日時:2014年10月5日(日) 10:30~12:00  

   ◇会場:大森仮設住宅 集会所 石巻市石巻市大森字内田 

   ◇来場者数:27人(関係者:17人) 合計44人

   なお、本プロジェクトは、「絵本とJAZZのコラボレーション ライブイベント」において、絵本の読み合わせとジャズ生演奏の組み合わせることで、絵本の力と音楽の力が融合し、聴く人たちの被災地でのストレスを少しでも和らげようという意図で行われたものである。合わせて、被災地のコミュニティをエンパワーすることを目指した。また、イベントの前日やイベント後にはフールドワークを行ったり、現地のNPOで活動を行なっている方の話を聴く機会を持った。また、トレーラーハウスや簡易宿泊所などに宿泊しながら、朝は宿泊所の食堂にて、地元のとれたての海の幸を味わった。

   イベントは3箇所ともに約1時間程度で、ジャズの演奏に合わせて「ともだちや」「しろくまちゃんのほっとけーき」「花さき山」「森のどんぐりベリョータ」「すいかだぜい」の計4~5冊の絵本の読み合わせをおこなった。「森のどんぐりべリョータ」では、ジャズ風にアレンジした歌を来場者と一緒に歌った。のべ70名程度の方々の来場で、来場者は絵本の読み合わせと場面に合わせたジャズの生演奏に穏やかな表情で聞き入っていた。 

   今回のイベントの来場者は3箇所で70人位であった。絵本の読み合わせと場面に合わせたジャズの生演奏で、来場者の日常のストレスを少しでも軽減してくれたらという願いを込めたイベントであった。

   以下、千の杜学びの「学びのホール」に来場された方の感想を掲載する。

      ライオンズクラブの阿部さんに誘っていただき、親子で行ってきまし た。ジャズの生演奏に絵本のコラボ…!なんと贅沢なひと時でした。千の杜学びの ホールも初潜入!素敵な所でした。実は絵本好きな私。かれこれ、十数年前になるでしょう。絵本は子ども達が小さい頃、たくさん読みました。自分が幼少期に 読んだ絵本が読み継がれている事が多く、その再会がきっかけで、わくわくしてどっぷり絵本好きになってしまいました。

   絵本には、本当に魅力がたっぷりです。娘達が小学生の頃には絵本の読み聞かせボランティアもしたことも ありました。子ども達が大きくなりそして、大切に集めていた絵本も全部津波でダメになってしま い…。それからはずっと読んでいませんでした

   たから、今日はとっても嬉しかった。しかも、もう中学生になった息子とまた絵本の世界を楽しめるなんて思ってもみなかったです。しかもしかも!大学の先生やプロの方に読んでいただけるなんて。

   今日、読んでもらった絵本は ともだちや しろくまちゃんのほっとけーき 花さき山 すいかだぜぇ!森のどんぐりベリョータ 前半の3冊の絵本は穴があくほど子ども達に読んだ絵本。懐かしいなぁと思いながらいざ読み聞かせが始まると…!それは私が今まで思っていた読み聞かせとは全く違う世界~!

   ジャズがただのBGMじゃないんですっ!

   読み手さんとの掛け合いになっていて、時には絵本の主人公を盛り立ててくれたり、絶妙な効果音になって いたり。独特のswingできつねが本当のともだちをみつけたりウッドベースやスネアのリズムでホットケーキが焼けちゃったり山姥が出てくる東北なまりの昔話が、影絵の挿絵とうまくマッチし て妙にオシャレになっちゃったり。いやー、びっくり。楽しい。だって、しろくまちゃんのホットケーキにレイチャールズやA列車 ですよ♪

   後半の2冊は初めて聞いたお話でした。これまた、楽しかった。

   すいかになりきって読んでいる声優さんの顔が何故かスイカっぽく 見えてきたり。一緒に歌を歌ってどんぐりが立派な木になる応援もしちゃいました。童心に帰ったような 大人の贅沢なひと時を過ごしたような 不思議な魅力のある ステージでした。

   長々と個人的感想文 最後まで読んでくれた方、ありがとうございます!

      - 場所: 千金堂 石巻・東松島店 

  

   また、今回で2回目の演奏をお願いした「福本陽子カルテット」のリーダーである、福本陽子氏から以下の感想をいただいた。

   今回で2回目の公演、被災地に行くたびに町の明かりが増え、瓦礫が減り、変わって行く様を感じました。今回大きく違ったのは立命館大学の院生が8人大学のプロジェクトとして参加してくれたことです。タイトなスケジュールの中、機材の搬入、片付けなど積極的に手伝ってくれとても助かりました。何時も楽器や機材の搬入準備片付けでへとへとになってしまう私たちはとても助けられました。また公演中も見に来てくれた子供やお年寄りと積極的に話したり、絵本を見せたり、とてもほっこりとした気持ちになりました。初めての被災地の子も多く感じる事もたくさん、言葉にならないような気持ちになっている子もいたようですが、自分から被災地の方々と触れ合おうとしている姿はとても印象的でした。初めて石巻へ公演に来た時は、音楽を届けるのはまだ早いのではないか、もっと物質的な物の方が必要なのではと思っていましたが、今年伺ってやっと音楽や文化的な物も受け入れられてもらえる状況になって来たかなと感じました。皆さん笑顔になっていただけて嬉しかったです。私に出来ることは音楽を届けること。これからも出来る限りこの活動を続けて行きたいと思います。(福本陽子カルテット リーダー 福本陽子)      

   そして、今回の震災プロジェクトで2回目の参加になる、友人で声優の水谷ケイコ氏からも以下の感想をいただいた。  

   「絵本とJazzのコラボレーション」に参加させていただくようになり(昨年の10月の多賀城)2回目となりました。毎回、感動を戴いて帰ってくるのですが、今回は、特に8人の院生のみなさんとご一緒させて頂き、被災した地域の爪痕を見る機会を得て、一段と心に深く刻まれるものとなりました。小さなお子さんから、お年寄りまで、幅広い層の方々に観て、聴いて頂きましたが、中でも さっきまで駆け回っていた小学生の元気な男の子が、会が始まると、一心に「モニター」を見つめる「眼差し」をわすれることができません。案内人役の方から、「年々、石巻に来てくれる方が減り、忘れ去られてしまう恐怖感が町の人たちのなかに芽生えて来ている」というお話がありました。「東日本・家族応援プロジェクト」は震災から10年間応援し続ける!とのこと、微力ながら、最後まで私も一緒に応援させて頂きたいと思っています。よろしくお願いいたします。(声優 水谷 ケイコ)

   今後も「絵本とジャズのコラボレーション ライブイベント」を通して、絵本や音楽の持つ力を活用しながら、被災地を支え、人々が繋がることをメッセ-ジとして出し続けていけたらと思う。 

 石巻のプロジェクトに参加して (対人援助学領域M2 竹久輝顕)

   昨年多賀城のプロジェクトに参加させていただき、プロジェクトとしては2回目の参加、石巻訪問はこれで3回目になる。石巻には、つながりのある団体があり、個人的に今後の関わりのことも考え、今回は石巻のプロジェクトを希望し、参加させていただいた。  

   本プロジェクト開始前には、自主的に南三陸町、女川町及びプロジェクト開催地である石巻市を訪れた。震災が始まり3年半が経過した「今」のそれぞれの土地の状況を、実感を伴って捉えることができるよう、石巻以外の地域も訪れたいという思いがあった。訪れた南三陸町、女川町ともに、市街地は大規模なかさ上げ工事の真っ只中という様相であり、震災遺構として遺すことが検討されている建物が、まわりの工事の中で目立つ存在になっていた。実際に行ってみると、広範な津波被害があったことが、今でもよくわかる。ただ、同じ町・市でも、それぞれ地域によって、状況は異なっている。その違いをもとに、それぞれの地域を捉え、多面的に物事を捉えることにつながれば…と思う。私自身としては阪神淡路の経験から、被災地として一括りで捉えてしまうのではなく、それぞれの土地にしっかりと焦点を当てて捉えることを大切にしたいと思っている。

   今回の石巻のプロジェクトは、「ピクチャーブック・ヒーリング」と題した、絵本とJAZZのセッションを、3箇所で実施するのがメインプログラムである。プロジェクターでスクリーンに映し出し、絵本の読み聞かせと、JAZZの演奏とがコラボレーションする。私自身は、絵本のスライドを操作する役割で関わらせていただいた。絵本の場面にあわせて、音楽も変わったり、音楽の変化に合わせて、話が進んでいったりする。絵本と聞くと子ども向けと思われる方もいるかもしれないが、それぞれの年代ごとに楽しめるものになっている。また、JAZZ好きな人には、違う観点で楽しむこともできるかもしれない。

   1箇所目は、石巻駅から東に車で10分ほど行った鹿妻にある「トータルサポートセンター みんなの夢広場」。ここは、生活介護・自立支援・就労支援・ショートステイ・相談支援からなる多機能・複合施設である。障害のある方もそうでない方も共に地域で暮らせるよう、また高齢者の方を織り交ぜた子育て支援を目的として作られた施設であり、その目的にあうような、それぞれの方がともに参加し、楽しめるセッションになっていたように感じられた。終了後に参加者がドラムを叩かせてもらっていた場面が、とても印象的であった。

   2箇所目は石巻駅から西に車で10分弱の大街道にある「千の杜 学びの」。ここは、この夏に作られたばかりの新しい場所なのだそうだ。「暮らしを楽しむ街」と打ち出しているように、生活を豊かにし、自然や人と触れ合える空間。とても、きれいで、お洒落で、それでいて居心地のいい場だった。日曜日には朝市も開かれるのだそうだ。

   3箇所目は石巻駅から北に車で15〜20分ほどの位置にある「大森第3仮設団地の集会所」。大森仮設団地は、河北では一番規模が大きい仮設団地である。まだ仮設で暮らす方も多くいらっしゃるそうだ。ここでは、プロジェクトに参加している院生にも配役があり、出演することとなった。プロとしてやっておられる方々の中で参加することの緊張感も感じつつ、私自身も一部分ではあるが、参加させていただいた。また、この会場では、子どもも参加しており、子どもたちとの関わりもあったのが印象的だった。

   3箇所での構成はほぼ同じものの、その場その場で、そこに集まる人によって、全く違う空間に仕上がってくるのが不思議であった。私自身、絵本とJAZZのセッションを改めて経験して、絵本だからこそ、音楽(JAZZ)が合わさるからこそ、その空間に世界が広がるような感覚を持つ。また、参加型になっている部分もあり、老若男女に関わらず、緩やかに入っていける場になっていたように感じられた。実際に参加されたみなさんが、その人なりに楽しめる場になっていたら嬉しい。

   絵本とJAZZのセッション以外の時間には、被害の大きかった門脇町・南浜町(門脇小学校、がんばろう石巻)、最終日には大川小学校をご案内いただいたほか、移動中にも現地の状況について、いろいろと話を聴かせていただいた。門脇・南浜町を訪れるのは3度目だが、何度行っても感じるものがある。大川小学校を訪れるのは初めてだったが、その場に行ってみると言葉が見つからない。それぐらいその場が物語っているものがあると感じた。関わりのある方の思いはいかほどだろうか。

   夜には、現地で移動支援に取り組むNPO法人Rera代表の村島氏よりお話を聞かせていただいた。外部からの支援として入りながらも、そのままその土地に留まり、その地の人とともに活動を続けている姿は、支援のあり方を考えさせられる。お話を聴いていて、やはり支援として必要なのは、震災があったから必要なのではなく、震災がなくても必要だったが、その課題が震災で浮き彫りになってきていることが多いことを実感する。

   全般的に現地のコーディネート、アテンドいただいた石巻中央ライオンズクラブ阿部氏には、大変お世話になり、感謝の意に堪えない。

   また、個人的に行く前から気にかけていたのだが、今年9月11日の集中豪雨による被害を聞いており、そのことを伺った。低地は冠水したところが多く、石巻駅周辺でも床上浸水があったそうだ。石巻市では震災の影響で、40cm~110cmほど地盤沈下しているとのことで、地盤沈下による影響がいたるところに出ている。つい先日10月14日の台風でも、同じく冠水している場所が多く、道路が川のようになっている様子が確認されている。地盤沈下の問題は一側面かもしれないが、大きな問題として影響が残っていることが窺える。 

   今回のプロジェクトでは、昨年とは違うかかわりもさせていただき、違う感覚でプロジェクト及び訪れた地を捉えることとなった。まだまだ浅い実感で、きっと関わり続けていくことで見えてくるものがあるのだろうと思う。10年は続けるとされるこのプロジェクトも4年目。今後もどうつながり続けていくか。私個人としては、つながりのある団体との関わりからも、今後も石巻とのつながりは持ち続けていこうとは思っている。つながり続けながら、少しでも自分にできることをしながら、ともに成長しあえるような関わりができたらと願っている。

 「東日本・家族応援プロジェクトin石巻」に参加して、見て、聴いて、感じたこと(対人援助学領域M1 山本裕子)

   この度初めて、東北被災地を訪れた。自分に何ができるのだろうかと、自問自答しながら宮城県石巻へ足を運んだ。今回の石巻でのプロジェクトは、「見て、聴いて、感じて、行動する」をテーマに掲げ、2日間で市内の施設3か所において「絵本とJAZZのコラボレーション ライブイベント」を中心とした活動に同行させていただいた。この活動は応用人間科学研究科の増田梨花教授を先頭に、3.11大震災後今回が3回目となり、賛同してくださっている地元の方々との良好な信頼関係が築かれていた。精力的に石巻の復興支援に尽力されている地元ボランティアの方の計らいで、イベント会場の準備、楽器機材の運搬、後片付けが容易に行うことができ、来場者の方たちと共にイベントに院生は参加することができた。

   できるだけそばに寄り添い、一緒にJAZZと絵本の読み聞かせを楽しむように心掛け、正面のスライドの絵本と併せて、時には同じ絵本を一緒に手元に広げてJAZZのリズムを取りながらその場を楽しんだ。また、最後に訪問した仮設住宅集会所では、院生も絵本の読み合わせに取り組ませていただいた。JAZZ演奏者が院生の読み合わせの歩調に気遣いながら、来場者の方々と一緒になってライブイベントを盛り上げ、癒しのひと時の演出に参加できたことは嬉しく思った。歌ったり、リズムをとったり、互いが気持ちよく、心地よい空間を共有できたように感じた。素直にこのような感覚をもつことはとても大切なことだと思った。私たちの励ましが、逆に励まされているような気持ちになり、地元の方々から勇気をいただいたような気がした。

   市内イベント会場への移動は、演奏者の自家用車に同乗させていただいた。演奏者の方々は3.11大震災後、初回から石巻を訪問されている。被災当時の石巻の様子について、一人の演奏者が車中で話された。石巻沿岸部は大規模な製紙工場が立ち並び、初回訪問の時にはその工場のほとんどが壊滅し、機能していなかった。しかし次の年には、わずかに工場の煙突から煙があった。施設で機能できる箇所だけがなんとか稼働していた。ところが今年はほぼ工場が稼働している様子。外からみる施設のハード面はきれいに整っており、所々に工場の空き地に津波で流された車がブロックの様にたたまれ、積み上げられていたのがうそのようだ、と。

   確かに、工場の建物は新しい箇所が多く、その周辺道路のアスファルトも新しい。私たちが通った道路は整備されており、新しい建物が多かった。初めてこの地を訪れた人は、困難な被災の状況を想像することはむしろ難しいように思った。経済復興のために優先的に配慮されていることが伺われた。それを感じ取れたのが、トイレットペーパーだ。訪問した施設や宿泊施設、食事をしたレストラン等、お手洗いの紙が上質だったことが印象的だった。工場が再稼働し、軌道に乗り、復興を示唆しているように受け取れた。

   演奏者はまた一方で、3年前、果たしてここで音楽を届けてよいのだろうか、物資を提供した方がよいのではないか等について悩んだこともあったそうだ。しかしこの3年間、演奏をさせていただいて色々な学びがあり、今はJAZZ音楽を届けていることに喜びを感じていると語られた。

   今回、人としての繋がり、その繋がりを通して互いが助けられていることを実感した。この石巻プロジェクトの2か月ほど前に、シンガーソングライターの八神純子さんが、「私の被災地応援」と題して講演されたのを聴いた。八神さんは歌うために生まれてきたと称し、震災直後から幾度となく被災地を訪れ交流が育まれている。八神さんが最も大切にされている被災地の方々からの言葉は、「信頼が、一番のご馳走。」と強調された。この言葉の真意が、この度東日本・家族応援プロジェクトに参加させていただいて、少し捉えられたかなと思っている。癒しと力、エンパワメントが引き出される活動を今後も行っていきたいと思った。

   石巻の皆さん、絵本とJAZZのコラボレーションのスタッフの皆さん、研究科の先生をはじめ院生の皆さん、ありがとうございました。

「被災地」に3年半経って初めて訪れて(対人援助学領域M1 山崎瑞貴)

   被災地を訪れるのは今回が初めてだった。当時のニュース映像を見たり、被災当時の東北の様子を調べたり、被災者の方がどのような思いでいたのかを調べている中で、自分が被災地でどのようなことができるか、どのような気持ちで行けばいいのか、ということに頭を悩ませていた。しかし、もやもやしたままでお邪魔させていただき、感覚を研ぎ澄まして被災地の今を感じて来ようと思い、当日を迎えた。

   一面に広がるきれいに整備された更地の原っぱ。「ここは全部住宅街だったんだよ。」と現地の方に説明を受けた。信じられないくらい、なにもない。モニュメントがあるところや、大川小学校などの震災遺構が残されたところもあったが、それ以外はきれいに片付けられていた。ここに人の生活があったこと、ここで起こったことは、言われないとわからない。しっかり知ることをしなければ、世の中からなかったことにされてしまう。3年半経ってはじめて訪れた思いはそれだった。このプロジェクトが掲げる「証人」の意味を少し理解できた気がした。自分自身も今回石巻を訪れなければ、こんなに考えることなく「東日本大震災」を素通りしてしまっていたかもしれない。

   現地では、NPOで活動している方のお話を伺った。独り占めに近い状態で約2時間。突き動かされるように活動され、震災後さまざまな困難に直面しながらもずっと活動を続けていきたいと語る彼女の力強さや素直に表現してくださった言葉の一つ一つがとても響いた。彼女に、私が感じていた3年半経って今更来たという負い目やそこからくるもやもやした気持ちをぶつけてみたりもした。もやもやするなら自分が納得するまで突き詰めて知ること、考えること、行動してみることだとシンプルな答えをいただいた。その通りだと思う。現地の方々の心情を慮って発言に気をつけて…などばかり考えていた。大切なことではあるが、それだけでは何も始まらないし、実際には何もしていない。現地の方々の心情もこちらが勝手に想像することもできないという当たり前のことも痛感した。100人いれば100通りの東日本大震災があって、被災地に暮らしているからといってその経験「だけ」がその人ではないし、その経験「も」その人の一部であって、全部含めて今につながっていて、今は被害に遭ったまちでの日常を過ごしている。彼女は本当に支援を必要としている人に支援を届けられるようにするため、頻繁に被災された高齢者や障がい者の方と喧嘩をするという。それだけ生身の人間同士の付き合いができるということ、本当の支援とはなんだろうと言うことも考えさせられた。また、日本中、世界中でさまざまな自然災害などが起こっている中でそのすべてに関われるわけでもないし、そんなに善良な人間でもない。たまたま行って知って、その土地や人に魅力を感じて、また訪れたいと思った。それは確かなことである。これからここで知ったことをどう行動にしていけばいいのか、今はわからないが、考えることをやめないようにしたいと思った。

「東日本・家族応援プロジェクト2014 in宮城」~石巻のプロジェクトに参加して~(臨床心理学領域M1 土肥雅子)

   今回、プロジェクトに参加し初めて被災地を訪れた。石巻で開催された「絵本とジャズのコラボレーション ライブイベント」では、来場者の笑顔を見て、改めて絵本と音楽と声の力の大きさを実感した。いま、様々な状況であってもこのひと時だけは日常を離れ、一緒に絵本を見て、一緒の音楽を聴きながら同じ時間を共有できたということで一体感を感じられた。「大森仮設住宅」では私たち大学院生も読み合わせに参加し、とても貴重な経験をした。少しでも何か力になることが出来たらとの想いだったが、力をもらったのは私の方だった。

   また3年半経った被災地を肌で感じることができた。震災当初、画面を通して見ていた景色だったが、海も風も穏やかであり来なければわからない独特の空気感があった。震災の爪痕はいたるところに残っており、風化していないどころか忘れられていないように感じられた。一方でまだまだ復興途上であるが、立ち上がっていこうという東北の人々の強さも窺えた。

   今まで、私にとって被災地東北は遠い場所であったが今回プロジェクトに参加したことでつながりができた。石巻と聞いたとき、そこで出会った人たちの顔が浮かぶ。京都にいても東北に想いを馳せることができるようになり、顔が見えるというのはこういうことなのだと実感した。現地に行かなければわからないことがたくさんあったが、知れば知るほど重みが増し、簡単に口にすることができなくなる。言葉にすると軽くなり、言葉の端々から大切な想いが漏れてしまうような気がしている。そんな中、なにが出来るのか答えは出ていないが、諦めずに自分の出来ることを探し続けようと思う。まずは言葉にできない想いをつかまえて、言語化することから始めていきたいと考えているが、今回のプロジェクトを通して学んだことを生かし、どのように証人となっていくかが今後の個人的な課題である。

石巻でのプロジェクトに参加して(臨床心理学領域M1 安田 結)

   私は今回初めて東北を、宮城を、石巻を訪れた。メディアでの情報のみだった時と、実際にこの目で現地をみた後とでは、被災地に関する感情が全く異なった。現地に行くことによって、数値や写真ではわからないような生々しさや、そこにいた人に思いを寄せることができた。復興が進んでいる場所と、いまだに震災の傷跡が残る場所があり、そこには物理的な傷跡だけではなく、たくさんの人の思いまでもが残っているかのようだった。

   石巻では「絵本とJAZZのコラボレーション ライブイベント」を行った。ライブの会場には様々な人がいた。話しかけると笑顔で答えてくれる人がいる一方で、関わること全てを拒絶するような人もいた。しかしライブイベントで一体感を持つことによって、ここにいることに何か意味があるのだろうかという不安や、ここで何かしなくちゃという焦りが軽減されたように感じた。私と同じように、被災地の方々の不安が少しだけでも軽減してほしいと思うばかりである。こうして少し余裕ができると、他のことも考えられるようになった。関わりを拒絶する人も、会場に来ているということ自体に何か意味があるのかもしれない。このことからも、来てくれたこと自体を大事にしたいと思った。

   以上のことから、実際の現場に行くことや、現地の人とふれあうことで、被災地が急にリアリティを持つものとなった。私の中で「TVの中のこと」ではなくなったのである。もちろんそれはいいことばかりではない。悲しみに触れることは、私には辛いことであったし、直視しがたいことでもあった。それでもこの悲しみに触れることは私の中で大きな意味を持つし、そこにいたという人たちのことを考えることができたのである。このことが「証人」となることなのかもしれない。

石巻のプロジェクトに参加して(対人援助学領域M1 原田 有規)

   今回のプロジェクトを通して、はじめて石巻市へ訪れた。震災が起きて何かしたいと考えていたが、実際に動こうとすると自分に何ができるのだろうと勝手に萎縮してしまっていた。そして、そのままずるずると時間だけが過ぎ、結局行動できずにいた。そんな中でこの震災復興支援プロジェクトに参加させていただいた。参加する大きなきっかけとなったことは、増田先生に石巻市で「絵本とジャズのコラボレーション」イベントを開催するので参加してみないか、と言われたことであった。その時に自分の中で何かできることがあると感じ、すぐに震災復興支援プロジェクトにボランティアで参加させていただいた。

   石巻市のプロジェクトに参加するにあたって、事前に石巻市について調べた。石巻市は震災による被害が特にひどく、被害者は最多の3700人以上の犠牲者を出した。また、とても広い石巻市内でも北東部、リアス式海岸に当たる旧雄勝町、旧北上町、旧河北町の沿岸は津波による被害によってほぼ壊滅状態へと陥った。このような石巻市や震災の情報を事前に準備して、本プロジェクトに臨んだ。しかし、ただ文字や数字を媒体にして得た情報では得られないものを、実際に現地に赴き、話を聴くこと、体験を通して実感することができた。

   石巻市に訪れたことは、自分の中で大きな経験となり、また多くのことを真剣に考えされられる機会となった。石巻市で聴いた震災についてのお話は、どれも自分の中で多くの表現できない感情が湧いてきた。そして、ただ遠いところの過去の出来事ではないことを痛感した。今でも震災の爪痕は各地に残っており、その影響を受けている人もたくさんいる一方で、互いに励まし合い、支え合いながら生活している人たちもいることを知った。人は何かしらの影響を受けて生きている。そして、一つの変化が結果的に多くのものに作用して変化をもたらす。それは人との関連性においても同じである。多くの人が手を取り合い、支え合うことが結果として、本当の意味での「復興」につながっていくのではないだろうか。復興はただ単に物が整理され、場所がきれいにすることだけが目的ではない。目に見えるものだけではなく、目に見えず見落としてしまいがちなものを捉えて、行動することが大切である。そのためにも、人の思いや人との関わりによる変化を見落としてはいけない。

   本プロジェクトに参加して、とても考えさせられたことはこの震災復興のプロジェクトを通して自分にどのようなことができるのかということであった。多くの場所に訪れて、いろんなことを感じることができる中で、ただ学ぶだけではなく、どのような行動ができるかを考えなければならない。その中でいま自分にできることは、自分が目で見て、耳にして、実際に経験したことを多くの人に伝えることである。石巻で震災の話を聴いていて、もし自分の身に起きたことであったならば、自分ならどうしていたのだろうと感じる場面がたくさんあった。今後また同じようなことを繰り返さないためにも、このような事実をより多くに知ってもらうことが現在の自分にできることである。いまは自分が本プロジェクトを通して、経験し学んだことを人に伝えることしかできないが、これからもこの経験を忘れずにいることで自分にできる新しいことを模索し、行動していきたいと思う。

東日本・家族応援プロジェクト2014 in 石巻(対人援助学領域M1 荒井将多)

   初めて被災地へと足を運ばせて頂きました。今まで、テレビの画面や新聞を通じてでしか、現地を知ろうとはしませんでした。ましてや、他人事かのように、何か支援をするわけでもなく、生活をしていました。今回の石巻のプロジェクトと縁があり、参加してたくさんのことを感じました。実際に目の当たりにした、被災地の風景は何かを介してみるものとは大きく異なりました。波により建物は横向きに倒れ、野となった地にはとても驚きました。徐々に復興はしているとはいえ、現状を知れたことは大きな経験でした。

   では、現地の人々は?建物や土地とは違い、目に見えないもの。今を生きている姿を見ることができた気がしました。新しい住居、まだ仮設住宅にお住まいの方など、そこで確かに生活をしていました。その人の営みは、震災により消され、今再び築きあげている景色をみることができました。

   絵本とJAZZのコラボレーションという、「見て、聞いて、感じる」ことで楽しむ企画を現地の方々にしっかり届けることが出来ました。その結果は、今すぐ見えるものでも、見せて欲しいものでもなく、いずれ、実をむすんでゆくのだと思います。また、絵本とJAZZは、連携のひとつとして、確かに機能していました。他職種との連携は困難なことが多いです。でも、連携することで生まれる力は偉大なものなのだと思いました。お互いを知り、お互いを活かす。そこから生み出されるパワーは、それぞれだけでは生み出されない新しい形なのだと思いました。そして、私自身、今、実際の場でできる対人援助がなになのかを改めて知る機会となりました。今、大学院で専門的に色々なことを学んでいます。それを活かすためには、行動力が必要になります。その形は様々で、絵本とJAZZだけでなく、子どもと遊んであげることかもしれないし、お話をすることかもしれません。等身大の自分で、できることはたくさんあるのだと気付かされたような気がします。

   最後に、このプロジェクトを通じて、出来たつながりに感謝したいと思います。このきっかけは、自身に取って、大きな刺激となりました。何かを伝えに行くつもりで行った石巻から、たくさんのことを学ばせて頂きました。次また、私ができること、伝えていけることを考えていきたいと思います。ありがとうございました。

石巻でのプロジェクトに参加して(臨床心理学領域M1 大谷凪沙)

   2014年10月3日から5日までの間、石巻チームとして「東日本・家族応援プロジェクト」に参加させて頂いた。「私が経験し感じた、東日本震災」を報告として記したいと思う。

   本来、石巻チームは3日の夜21時頃に石巻に到着し、お世話になるライオンズクラブの宿舎まで移動して、翌日の打ち合わせをしてその日は終了の予定であった。しかし、活動する前に被災地を巡って、自分たちなりに被災地と一度向き合おうということを石巻メンバーで話し合い、先生に了承を得て朝早くに京都を発った。

   3日は朝7時台の新幹線に乗り、仙台についてから名物の牛タン弁当に舌鼓をし、石巻メンバーである竹久さんが準備してくださったレンタカーを借り、南三陸と女川に向けて出発した。車窓から見える景色は緑豊かな自然に囲まれていて、とても長閑な美しい街で、本当にこの先の地域であのような惨劇があったのだろうかと思ってしまうような信じられない気持ちになった。けれども、途中のパーキングエリアに必ずと言ってよいほど貼られている「がんばろう東北!」「がんばろう宮城!」「支援物資ありがとう」のポスターを見て、だんだんと私の中で「震災」がリアルなものになってきた。私たちはまず被害の大きかった南三陸に向かい「防災対策庁舎」と「南三陸さんさん商店街」へと赴いた。防災対策庁舎と向き合い、たくさん手向けられている花束の前で皆一緒に手を合わせた時、なんとも言い難く胸が締め付けられるような気持ちがこみ上げてきた。テレビの中で何度も見た防災対策庁舎だったが、実物は抉り取られたようなぼろぼろの階段と、建物というより鉄の残骸といった感じで、この場所で多くの方が犠牲になったのだと恥ずかしながら改めて実感させられた。南三陸の被害が大きかった地域に入るとはやり人気が少なく、ガソリンスタンドも屋根がなく急遽たてられたのだろうなと思われるようなものだったり、鳥居が横倒しになっていたり、だだっ広い平地が広がっている場所が多い。「南三陸さんさん商店街」という平地にぽつんと立てられた手作りの小さな商店街は、電気店・散髪屋・衣服・食品店のような生活に必要なお店がぎゅっと集められたという感じであり、支え合って生きていこうとするコミュニティの結束力が感じられた。その隣にあった「南三陸ポータルセンター」は、南三陸町の3月11日からの上空写真の記録や子どものメモ書きなど様々な震災の記録が展示されていた。また、この辺りはチリの大地震とも関係があり至る所にモアイ像モチーフのものが設置されていて、悲しさと同時に津波が生んだ絆も感じた。

   その後女川に出発し、町役場仮設庁舎と地域医療センターへと向かった。高台から眺めた時に見えた、建物が根元からごっそりもぎ取られて横倒しになっていた様子や、「千年後の命を守るために」という女川中学校卒業生が書いた石碑が忘れられない。女川町営運動公園仮設住宅と災害復興住宅も見たが、その差に驚いた。仮設住宅にもう何年も追いやられて生活している方々がいるという現実と、きれいな復興住宅だが入居できる人は抽選で当たったごくわずかの人だという現実を知り歯がゆくなった。

   夜は石巻駅前にあるTEDIC事務所に訪問させてもらい、代表理事である門馬優さんのお話も聞かせて頂いた。主に石巻で小学生から高校生までの支援を震災直後から活動されておられ、ひとりぼっちのいない町を作りたいという門馬さんの熱い思いが伝わってくるお話であった。その後、一緒に地元でとれた美味しい海鮮丼を食べ、明日からのプロジェクトでお世話になる先生、声優さん、バンドの方々と阿部さんとライオンズクラブで合流した。

   震災プロジェクトにおける石巻チームのテーマは、絵本とJAZZのコラボレーションイベントを通して「見て、聴いて、感じて、行動する」であった。しかし私はこの「行動する」というテーマをどう捉えたらよいのか、石巻に向かう前から自問自答していた。楽器で誰かを癒すこともできない、声優さんのように絵本を上手く読むこともできない院生の私に一体何ができるのだろう?

   4日に訪れた「みんなの夢広場」は精神的な障害を抱えている方が多く、何か「行動しなきゃ」という考えが頭の中にあった私は、読み合わせが終わった後、「どうでしたか?」「絵本、面白かったですね、すごかったですね」などと焦って質問してしまった。しかし、その方はにっこり笑ってうんうんと頷きながら、「ありがとう」と私の手を両手でぎゅっと握って下さった。このプロジェクトは、絵本や音楽の持つ癒しや、絵本の内容自体が与えてくれる生きる勇気や思いやりの心を持つことの意味を存分に活かし、それを楽しいJAZZとコラボさせ、被災地の方に少しでも笑顔を届けたいという願いの下で行われていた。それが、見事に実現していて「やってよかった、本当に石巻にきてよかった」という思いでいっぱいになった。しかし、石巻公演に3度来られているバンドの方のコメントで、行くたびに町の明かりが増え、瓦礫が減り、変わって行く様を感じた。そして今年伺ってやっと音楽や文化的な物も受け入れられてもらえる状況になって来たかなと感じた。と仰られていて、やはり、初めて石巻に来た私とは違うものが見えているのだと思った。

   最後に訪れた大森仮設住宅の集会所では、私たち院生が絵本の声優をさせて頂いた。読み合わせが終わった後の皆さんの笑顔を見て、本当に良い体験をさせて頂いたと思った。しかし最後に「復興住宅が、抽選で外れちゃってね。建つのも2年も、3年も先の話でしょ?ほんとにねー」と笑いながらお話してくださった方の笑顔の裏に、きっと複雑な思いがあるのだろうと、私は頷くことしかできなかった。

   「がんばろう!石巻」の看板も何度もテレビの中で目にしたものだった。しかし看板の後ろをのぞき込むと後ろには何もなくだだっ広いだけでそこにあったはずの街並みを想像させられたり、津波到達地点の看板の6.9mの高さに圧倒されたり、心にズシンとくるものがあった。

   最後に大川小学校についてだが、まず、事前レポートでも述べていたが、小学校は河口から約4㎞の川沿いに位置しており「小学生の子がこんな急な斜面をあがれないだろう」「焦るとすぐそばの橋を使って遠くまで逃げようと思ってしまうだろう」と、現場を見て思った。何人もの命を奪ったとは、到底思えないような穏やかな川であった。しかも、山と堤防に遮られていて、小学校からは川の様子が全く見えない。津波の動向が把握できない環境だったこと等が避難を遅らせた要因として挙げられている。ずっとお世話になっていた阿部さんのお話では、この小学校がデザイン小学校で津波が来た時のことを想定されて作られていなかったこと、震災当時、みんな裸足になり、子どもが埋まっている感触を足で確かめながら引き揚げていったという話を聞いて、涙がこぼれた。私が今立っている足の下で命を落とした子がいるという生々しい現実と向き合うのは正直つらかった。

   防災対策庁舎を見た時も、津波到達点の石碑を見た時も、大川小学校や門脇小学校を訪れた時も、チーム石巻のメンバーは、それぞれあまり言葉が出てこなかった。レンタカーに乗って、一言二言言葉を交わすだけだった。毎夜、その日のフィードバックを一人一言ずつ述べていくのだが、みんな「まだ自分の中で整理しきれていない部分があって上手く言い表せないですが…」というところからぽつぽつと話始めた。悲しいとか、少しずつ復興へ向かっていて嬉しいだとか、色々な複雑な感情が混ざり合って、自分も未だに少し整理できていない部分があると思う。

   今回の石巻チームのテーマである「見て、聴いて、感じて、行動する」の「行動する」について、何ができるのか悩むこともあった。しかし、現地で様々な人のリアルな心情を聞き、意見を交わすという交流をし、ライブが成功するように機材搬入会場設営を一生懸命手伝い、たくさん行動したことはあると思う。

   そして、今震災プロジェクト参加者の私にできる「行動する」とは、石巻での体験を報告し、他の皆に共有し、それを社会に発信していくことだと考え「私が経験し感じた、東日本震災」の報告とする。



竹久さんが作って下さった石巻チームの移動マップ



笑顔の人たちばかりでした



防災対策庁舎



絵本とJAZZのコラボ 声優に挑戦



とても印象的でした




acc